朝日新聞に初めて論説が掲載されたのは1879年9月13日。当時、政論を主とした、いわゆる硬派で知識層を対象とした「大新聞(おおしんぶん)」では論説欄を常設していた。一方、市井の出来事や演芸会、花柳界の風聞などを、やさしい文章で報道する通俗大衆紙の「小新聞(こしんぶん)」では論説はなじみがうすかった。大新聞の論説はいずれも漢文調だったが、小新聞としてスタートした朝日新聞では漢字には全部ふりがなをつけた。朝日新聞が論説の掲載をはじめたのは、紙面の質的な転換の第一歩を踏み出したことを示している。
最初の論説は9月13、14両日付の4面上段に「寄書」欄のスペースを利用して「論説」の標題を立てて2日間掲載された。毎日は載せないが、論ずるべき時に論ずるという姿勢をとった。
論説は1881年4月9日付を最後に一度姿を消す。前年の暮れから「朝日新聞」という標題を立てて、4面から1面に移されたばかりの時だ。しかもこの年は夏から秋、年末にかけて政界だけでもいくつかの大事件、大変動があり論説のテーマにはこと欠かなかった。論説が姿を消した理由は明らかではないが、当時政府の新聞取り締まりが強化されており、論説が原因で発行停止を受けたため、慎重、消極策をとったからと言われている。論説欄の復活は1884年6月である。
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