1879年(明治12年)、創刊と同時に朝日新聞には「寄書」欄が設けられた。つまり投書欄である。飛び入り無名の投稿もあったが、多くは投書家と呼ばれる特定の文人たちが筆をとり紙面をにぎわせた。内容も処世訓めいたものや滑稽(こっけい)、シャレが中心で、むしろ折にふれての感想といった方が当たっているようだ。
大阪朝日新聞では1897年(明治30年)ごろまでこの欄が設けられていたが、次第に一般からの社会性の強い投書も現れてくるようになった。
いわゆる読者参加型の、現在に近い投書欄が登場してくるのは1898年(明治31年)9月3日付東京朝日新聞の「一ト口(ひとくち)投書」からである。朝刊3面の文芸欄の下に設けられたもので、3行前後の投書を並べて紹介している。種々雑多な内容の投書が多かったため、読者相談に当たる「実用問答」、名勝案内の「山水往来」など4種類の投書を載せた。
この欄は1900年(明治33年)に廃止となったが、1905年(明治38年)日露講和の条件についての意見を求める投書を募集。投書は殺到し、社説欄を休んで1ページ全面をこれにあてる日も出た。その後、発行停止などの変遷などを経て、いまの「声」欄の前身となるものができたのは1917年(大正6年)1月のことである。












