大阪朝日が「年中無休刊」を改め、年間3日の休刊日を設けたのは、1925年(大正14年)だった。東京朝日はやや遅れ、1926年(大正15年)に年間1日、1929年(昭和4年)に年間3日の休刊日を設けた。それ以来、年により増減はあったが、休刊日は毎年設定されている。
もっとも朝日新聞は大阪、東京とも創刊後しばらくは「毎日曜日および大祭翌日は休刊」であり、「年中無休刊」になったのは大阪が1906年(明治39年)1月から、東京が1909年(明治42年)1月からだった。
大正時代に入ると夕刊も年中発行されるようになり、新聞販売店と配達員の苦労は大変なものだったという。
「年中無休刊」に終止符を打ったのは、第一次大戦後の労働運動の高まりからであった。配達員の労働条件を緩和し休養を与えたい、という声が販売店の間から上がり、まず日曜日の夕刊の廃止を、大阪朝日は1919年(大正8年)9月から、東京朝日は1924年(大正13年)7月から実施し、以降休刊日が設けられていくことになる。












