日本最初の総選挙は、1890(明治23)年だった。この年は国会開設の年でもある。
この国家的行事に際し、朝日新聞社は積極的な姿勢で臨んだ。大阪朝日は1月3日、社説「明治23年来れり」を掲載。国民の政治的自覚を促し、東京朝日は同5日の社説「枝を矯(いつわ)るに折ること勿(なか)れ」を掲げて、政党否認の態度を変えない政府に一考を求めた。政党自体混迷の中にあったが、東西朝日は愛国公党、大同倶楽部、再建自由党の三派合同を呼びかけ、自由主義者の大合同を繰り返し説いた。
7月1日の投票日に向けての報道対策は綿密で、本社通信員のいない地方では地元新聞社・雑誌社と契約してニュースを交換するなど、東西朝日が呼応して選挙報道にあたることになった。この選挙は、有権者も候補者も、「直接国税15円以上を納めている者」とするなど、限られた範囲内で行われた制限選挙で、当時の人口約3,900万人に対し、有権者総数はその1.1%強、約45万人にすぎなかった。当時の選挙運動は、衆議院議員の名誉を得るために、政策を論議するのではなく、赤飯や反物を贈るという行為に終始したため、大阪朝日は社説「奇観」で、これを百鬼夜行の様相と評した。
投票は、全国257選挙区で行われ、翌2日に各地で開票作業が始まった。東西朝日は、号外を発行し、当選者と次点者の氏名などを速報。翌3日の紙上で当選者、次点者の職業、所属党派、得票数などを入れて報道した。3日には順次、大都市圏以外の地方でも開票が行われたが、通信に不便な地区もあり当選者名の報道は容易ではなく、日を追って掲載した。4日の大阪朝日は91区、東京朝日は85区の当選者、次点者の氏名を報じた。全国257区の半数にも満たない数だったが、同日付の東京紙と比較すると、読売81区、報知、東京日日38区など、朝日が他に比べ圧勝したのがわかる。
これは年初から東西朝日が協力して周到な準備を進め、全国に通信拠点を確保していた結果だった。さらに、8日には、東京朝日は300人の新議員の党派別を掲載。総選挙の結果に対して「謂(い)う可き乎(や)自由主義者の大勝利……」と分析している。













