全国高校野球選手権大会は、球児を育てたばかりでなく、報道写真の進歩を促した。激しい一瞬のプレーをいかに美しく、迫力あるとらえ方をするかにカメラマンは苦心した。望遠レンズのなかった昭和初期までは、本塁にすべり込んで来るランナーの決定的瞬間を写そうと、ベースの15メートル付近まで接近した。
白熱した試合ともなれば、ランナーが出塁する前から、十数人のカメラマンが一塁側と三塁側のグラウンドに一列に陣取り、腰を落として待機した。「全国高等学校選手権大会史」によると、それでも選手との間にインターフェアなどのトラブルは起こらなかったという。大会の会場が鳴尾から甲子園へ移ったころ、某社のカメラマンが、カンカン帽子片手に旧式の大型カメラをひっさげ、二塁へ進むランナーを追いかけて一緒に駆け出したこともあったという。
本格的な望遠レンズが登場したのは、広島商が三度目の優勝を果たした1930(昭和5)年の第16回大会だった。1925(大正14)年に東で早慶戦が復活、1924(大正13)年に西で甲子園が開場したのを機に、全国的に野球熱が爆発した。同年、朝日新聞社では、スポーツカメラとしては、当時日本最大の焦点距離40インチのレンズのついた英国製の「超望遠」カメラを使い、縦横にゲームを追って威力を発揮、他社をアッと言わせた。
これを契機に他社のカメラ陣のほとんどが、わずか一年間に面目を一新。台湾の嘉義農林が「素足の俊足」で観衆を驚かし、中京商が初優勝した1931(昭和6)年の第17回大会には、ゲーム写真はいっせいに望遠カメラを使用した。以降、撮影はすべてスタンドから、と改まった。
また、当社ではこの夏、180度の超広角レンズのついた魚眼カメラ、小型カメラに取り付けて遠距離撮影に威力のあるアストロ400ミリレンズなどを初めて登場させ、甲子園写真は一段と異彩を放った。













