朝日新聞に日曜版ができたのは、1959(昭和34)年である。この年は、皇太子ご結婚、ペギー葉山が歌う「南国土佐を後にして」の流行、映画「人間の条件」のヒット、週刊誌ブームが起きた年であり、さらには、テレビ、冷蔵庫など家庭生活の電子化が急速に進み、日本経済が史上まれにみる繁栄期の入り口に立った年でもある。
この年の4月、朝日新聞はそれまでの朝夕刊セット12ページを16ページ(統合は12ページ)に改め、社会面をワイド化するなど、ニュース面を増やすと同時に、読み物中心の日曜版8ページ(九州は4ページ)の新設に踏み切った。この趣旨について、当時の社告には、次のように記載されている。「内外の情勢はめまぐるしく激動しています。私たちの知りたいこと、知っておかねばならないことは、ますます広く、深くなってまいりました。このため…」
日曜版は同年4月5日付で第1号が発刊された。豊道春海(ぶんどうしゅんかい)筆の「朝日新聞日曜版」の題字を据えたフロント紙面には、「日本の動き・世界の動き」が掲載された。内容は米軍駐留を違憲とした伊達判決とチベット事件の2つのニュースをテーマとした2大評論だった。そして「読書」「旅」「明るい生活」といったページが掲載された。
紙面は評判が良く、5カ月後の9月に朝日新聞社が実施した全国新聞読者調査では、75.6%が日曜版を読み、真っ先に読む面として「日本の動き・世界の動き」(33.5%)、「旅」(18.6%)があげられた。また、このころ全国紙、ブロック紙では6紙が日曜特集を出していたが、他紙の日曜版と比較して、朝日新聞の日曜版はよく読まれていることも調査結果からうかがえた。
中でも好評だった「旅」は、1961(昭和36)年10月から1面へ移った。続いて1964(昭和39)年11月「世界名作の旅」が登場、1966(昭和41)年には、日本の名産などを紹介した「日本の年輪」へとつながっていく。前後してカラー化が進み、日曜版はその後も滝平次郎の作品を連載した「きりえ」など、多くの名シリーズを世に送り出し、長い歴史を経た末に、現在の「be」へと続いていく。













