「読めないまち」をアピール ユニークな新聞広告が話題に

 養父市。どう読むかご存じでしょうか。兵庫県北部にある人口2万4千人余りの小さなまちが、その読みづらさを逆手にとって、思い切った新聞広告を1年前に出稿しました。過疎が進むまちに、若者を呼び戻したい。何をするか「読めないまち」、アピール戦略の今を追いました。

養父市=ようちち市?読みづらさを逆手に

三野昌二氏 三野昌二氏

 「養父市は ようちち市へ、」2015年8月11日、朝日新聞のページを繰っていて現れた15段全面広告、インパクトのある文字の紙面に驚き、あるいは戸惑った人も多いだろう。しかも傍らには小さく、「生まれ変わりません」。では、そもそも「養父市」はどう読むのか。実に、狙いはそこだった。「何をしでかすか『読めない』まち、ということです」と、副市長(取材当時)の三野昌二氏は笑う。

 兵庫県の北部、但馬地方に位置する養父市=やぶ市。2004年に養父郡の八鹿町、養父町、大屋町、関宮町が合併して誕生した。それでも人口は2万4千人余りだ。そんな山間部の小さな自治体が全国紙に広告を出稿するなど異例中の異例、しかも内容が内容だけに、大きな反響を呼んだ。「読みづらさ」を逆手にとって全国発信しようというピーアール戦略は、功を奏した。

 「地元の方々からの批判もありましたが、一方で、大阪や東京など、故郷を離れている方々からは、『面白い。よくやった、頑張って』との激励も受けています」

若者を呼び戻したい「国家戦略特区」 が弾みに

※画像はPDFへリンクします。 2015年8月11日付 朝刊 2015年8月11日付 朝刊

 背景にあるのは、各地で深刻化している過疎問題。養父市でも、4人に1人を65歳以上の高齢者が占める。若者を呼び戻したいという思いは、どこも同じだろう。だが、手入れする者のいなくなった田畑が増えるだけの状況下で、何ができるのか。そこであらためて思い至ったのが、唯一の産業と言える、農業の活性化だった。農業では食べていけない、かといってほかに職もないと、若者たちが故郷をあとにする現状にあって、逆転の発想だ。その取り組みが、実を結ぶ。多様な農業の担い手を確保し、耕作放棄地の対策としての「農地の流動化促進」と「高齢者の労働環境改善」を提案、2014年に農業では初の、国の「国家戦略特区」に認定されたことで、大きく弾みがついた。

 新聞広告の掲載から1年を経て、新規参入してきた農業生産法人は11社に上る。たとえば、「有機農業がしたい」と移住してきた若夫婦が酒米作りに精を出し、近隣の酒造会社と組んで日本酒を製造、海外進出も視野に入れている。あるいはまったく畑違いの全国区の大手企業がニンニク栽培や野菜工場を運営するなど、それぞれに多彩な生産活動を展開している。ニンニクをはじめ、珍しい食用ホオズキ「サンベリー」、使い勝手のいいミニサイズのパプリカ「ミニパプ」など、いずれも高付加価値のブランド化を目指した農産品であるところが特徴だ。地元特産の「朝倉山椒」の海外販路開拓のため、パリやミラノも訪れた。ミシュランの星獲得の日本人シェフが活躍する数々のレストランで好評価を得て、手応えを感じている。しかし、国内でも知る人ぞ知る存在なのに、なぜ海外なのか。答えは、「海外で有名になって逆輸入」という作戦だ。

 「過去の延長線上に未来はありません。同じことを繰り返していても意味はない。10年、20年先を見すえたまちづくりには、発想を大胆に転換し、新たなチャレンジが必要です。古い体質を打破すること。たとえば移住・定住を促進するにしても、いつまでも『お客様』扱いでは先は見えています」

 それには、地元の農家の人たちの協力が不可欠だ。積極的に国家戦略特区の事業に参加する農家も増えてきた。「中には名刺に堂々と『百姓』と書いている人もいますよ」と三野氏。特区となって3年目、意識も変わってきたことを実感している。

活字とITのコラボレーション

 そこで問題となるのは、メディア戦略だ。いかに「読めないまち」を情報発信するか。今回の朝日新聞への出稿も、賛否両論が巻き起こった。だが、「それは想定内。とにかく話題になることが、まずは一番ですから」。新聞広告は、その意味で大きな効果があったという。「ただ、それだけでは、新聞の賞味期限といいますか、一過性の情報に終わってしまう」とも。見据えているのは、活字とSNSなどのITとのコラボレーションだ。

 たとえば、ドローンで市内を撮影し、その360度の映像をVR(バーチャルリアリティー)技術で配信する。その情報を、今回のようなユニークなメッセージとともに発信する。たとえば、

「シブヤじゃないよ、ヤブシだよ」
「養父危篤、すぐ帰れ」

 まだ実現こそしていないが、そんなコピーが新聞の紙面に躍れば、「読めないまち」への注目度はますますアップするだろう。

 小さなまちの、大きなチャレンジ。今後も目が離せない。