クリエーターインタビュー

絡まり合いながら循環する生命の複雑さ、見る人の思考を促すアート作品

アーティスト 大小島真木氏

 人や動物、植物、海や空、山や川など自然を構成するあらゆる生物、無生物は、すべて絡まり合うように循環している――そんなメッセージを込めた作品を発表しているアーティストの大小島真木さん。リアリティーがありながら儚(はかな)げで幻想的なドローイングやインスタレーションなどの作品は、いい意味で違和感があり目を奪われる。思考を深めながら生み出しているという思慮深い作品は、同時に、見る人の思考をも促す装置のような役割も果たしている。

Entanglement hearts―多自然のポリフォニー

気づきを得て思考を深めながら生み出す、コラージュのような作品

――Entanglement hearts (エンタングルメントハート/絡まり合う心臓)と題した作品が印象的です。作品に込めた思いやテーマについて教えてください。

 Entanglement heartsは、人や動物、植物、鉱物など、生命、無生命の絡まり合う様を、生命の象徴である心臓を象(かたど)って描いたシリーズです。描き始めたのは大学生の頃で、近年はあまり描いていなかったのですが、2020年に私が挿絵を提供した新型コロナウイルスをテーマにしたある対談シリーズで、人類学者や精神科医、アーティストなどが、それぞれの視点で自分の考えを語っているのを聞いたことをきっかけに、あらためてシリーズを再開しました。というのも、その対談シリーズを通して、あらためて人類にとってコロナなどのウイルスをも含む他種の存在は決して切り離しえない存在であり、私たちはそうした他種=多種と混じり合うことなしには生きてさえいけないんだということを実感したんです。自然においてはあらゆる生き物が、食べ、また食べられながら循環しています。生命の進化の過程においては目には見えない小さな菌たちがとても重要な役割を果たしていて、それこそ私たち人類は腸内に暮らす菌たちがいなければ食べ物を消化することもできません。そうした数々の気づきを記憶にとどめておきたくて、ドローイングを始めました。新型コロナウイルスの流行で緊急事態宣言が発出されていた2020年4月後半からは、それこそ毎日のように描いていましたね。

 Entanglement heartsシリーズの「エピタフ」という作品は、人類学者の奥野克巳さんから教えていただいたリアルなストーリーがモチーフとなっています。インドにおいては牛の死骸を燃やしたり埋めたりせず、そのままにする習慣があるのですが、その死骸はハゲワシたちに食べられることで勝手に片付けられていたそうなんです。しかし、ある時から病んだ牛を労働させるために投与され始めた抗炎症薬が牛の身体に残ることによって、牛の死骸を餌としていたハゲワシを死滅させてしまったんです。その結果、牛の死骸が大量に放置されることになりました。すると、今度はハゲワシに代わり野犬が牛の死骸を餌にするようになったんです。これによってインドでは野犬が増加し、狂犬病の脅威が人間にもたらされるようになりました。また、それだけではなく、野犬が処理しきれない牛の死骸からは炭疽菌も発生していて、これもまた住民の人々にとって重大なリスクとなっているのだそうです。

Entanglement hearts−エピタフ

 これは人間目線で言えば、完全にネガティブな絡まり合いですよね。ある行動が思わぬ形で波及し、予測しえなかった悲惨な結果をもたらしている。そして、その発端は人間にある。これはまさに、私たちが独立して生きているのではなく、複雑な絡まり合いのもとに生きているのだということを象徴するエピソードで、今日のパンデミックを考える上でもとても示唆深い話のように思います。その話を聞いて、描きとめておきたいと思ったんです。

 私は自分がすでに知っていることを描くというよりは、むしろ分からないこと、答えの出ないこと、ポジティブともネガティブとも言い切れないこと、そういう簡単には結論を出せないような事象を描きながら、描くことによって思考しているんです。話を聞いて描くのは、コラージュに近い。具象化したものを縫い合わせていくようなイメージです。そうすることで、私自身も何度も反芻(はんすう)することができ、その気付きを他の人にシェアすることもできます。

──自然にはもともと関心があったのですか。

 子どもの頃から自然に対する畏怖(いふ)の念はあったような気がします。私は東京の中でも比較的自然が多い東久留米市の出身なのですが、とはいえ都心部からもそう遠くはなくアスファルトやビルが建ち並ぶ都市的な風景も身近に感じながら育ちました。その一方、子どもの頃は毎年、母親の出身地である大分の田舎に行って、山や川など大自然の中で思い切り遊んでいました。だからか、私にとっては都市も自然も当たり前のものとは思えないところがあって、両者を相対化する視点がいつの間にか備わっていた気がします。

 人類も含めた自然の循環について強く意識するようになったのは、大学生になってからです。2015年に開催した「鳥よ、僕の骨で大地の歌を鳴らして。」という個展は、私が屋久島とインドのラダックで得た体験、そしてその体験を通じて考えたことをベースとして構成したものです。

《 鳥の歌 鳥よ、僕の骨で大地の歌を鳴らして。Birds, sing the songs of the earth, through my bones. 》
2015year, In Dai-ichi Life South Gallery

 というのも、大学生の頃、屋久島のヤクスギランドの原生林のエリアで、道を見失ってしまったことがあるんです。そのとき私は一人きりで、誰も周りにおらず、ただ身体を取り巻く木々のざわめきにのみ込まれていくような感覚に陥りました。もし今、ここで死んで誰にも発見されなかったら、自分の肉体は森の動物や微生物に食べ尽くされるのだろう。そんなイメージがリアルに思い浮かび、同時に森を生きる様々な他生のまなざしを感じました。それは都市の中では味わったことがない、生々しい恐怖でした。

 その3年後、今度はインドのラダックを訪れました。ラダックでは火葬が一般的なのですが、ラダックのように岩山が多く埋葬が難しい環境では、鳥葬といってハゲワシなどの鳥に死体を解体させる葬儀方法が行われることもあるということを聞きました。鉱物がむきだしの環境では、人類は空を飛びまわる鳥の血肉となり、残った血液は空気中に蒸発していく。その話を聞いて、大地に見られながら、空が自分を解体していく様子を思い浮かべたんです。そのとき屋久島での体験がよみがえり、この「森と空に食べられる」という感覚をきちんと残しておこうと思いました。。その後、個展を開催するチャンスを得たので、「鳥よ、僕の骨で大地の歌を鳴らして。」と題し、食らい食らわれる生命の連鎖をテーマに、生命が森や鳥に解体されて木々となっていく様子を描いた作品を発表しました。

クリエーションせずにはいられない、その生き様がアーティスト

──アーティストとして生きていこうと決めたのは、いつでしたか。

大小島真木氏 大小島真木氏

 みんな、3歳ごろからお絵かきをしますよね。その頃から私は、絵を描くことをやめたことがないんです。ずっと続けているから、技術も高まっていきました。話すことが得意な人が、言葉でコミュニケーションをするように、私にとってはドローイングがコミュニケーションのツールになっていきました。

 アーティストになろうと意識したことはないのですが、大学卒業後も、クリエーションをやめる選択肢はありませんでした。個展を開催するようになったのは、アートの公募展で受賞したことが一つのきっかけです。あと、私は東日本大震災が起こった2011年に院を修了しているのですが、その時にアーティスト仲間と被災地で行った泥出しや炊き出しにおいても様々なご縁がありました。そうしたご縁を通じて徐々に展示などに呼んでもらえるようになり、いつしかクリエーションだけで生計を立てられるようになりました。

 私は、何かを体験したり、不可思議なことを見てしまったりすると、その理由や背景を知りたくなります。2017年にフランスのタラ号という海洋探査船に、海洋調査を専門とする科学者や研究者とともにアーティストとして乗船したときも、様々な発見や気づきがありました。ちなみに、タラ号にアーティストが乗船する目的は、アーティストだからこそ感じられる海の記憶を、作品にして発表することです。

 その船に乗船しているとき、海に漂うクジラの遺体を目撃しました。その遺体にはたくさんの鳥や魚が群がっていて、その大きな肉体が他の小さな生き物たちの糧となっていました。その光景を見たときに、「じゃあこの巨大なクジラが生きていたときはどれだけの命を食べてきたのだろう?」と思ったんです。調べていくうちに、クジラの好物がオキアミと呼ばれるプランクトンであることを知りました。すると、今度はプランクトンについて知りたくなる。一緒に乗船していた研究者さんたちに話を聞くと、どうやら海のプランクトンは地球上の酸素のおよそ半分を作り出しているらしい。そんな具合に、次々と知りたいことが増えていく。

 そして、知らなかったことを知って感動したり、心が揺さぶられたりしたときは、忘れる前に描きとめて残しておきたくなる。クリエーションせずにはいられなくなるんです。私の場合、作品のテーマは頭で考え出すものというより「出会ってしまう」という感覚に近い。そう考えると、私にとってアーティスト、あるいは制作とは、職業というより、「生きる」ことそのものなのかもしれません。

──最近は陶器の作品も制作されていますね。

 2019年から陶器の制作を始めたんです。2020年の春ごろは、毎日、土と格闘していました。植物を生み出す土とは、長い歴史の中で連綿と堆積し続けてきた生と死の結晶ですよね。そんな土に触れていると、今日の私を生かしているものたちに、ここに至るまでの生命の絡まり合いの歴史に、想いを馳せずにはいられません。そんな途方もない夢想をしながら制作したのが、「土のアゴラ」という作品です。

土のアゴラ 《 土のアゴラ|Agorá of Multi species 》in 秋田緑花農園 photo by Kenji Chiga

 生き物たちの頭部を陶器で制作し、実際の土を身体に見立てています。アゴラというのはギリシャ語で「広場」という意味。かつて古代ギリシアにデモクラシーが生まれたのは、多くの人々が集い、自由に語り合う、公共の広場であるアゴラがあったからだとも言われています。その時のデモクラシーはあくまでも人間のためのものだったと思いますけど、ただ、きっとアゴラには人間以上の様々な存在が、本来、蠢(うごめ)いているはずなんです。今もデモクラシーは私たちにとって重要なものではありますが、ただ、そのデモクラシーを人間だけのものとしてではなく、人間以上の多種との関係性を含むものとして捉え直してみることはできないだろうか。そんな問いを込めた作品です。土の上に置かれた生き物の頭部を見たら、ちょっと驚きますよね。見慣れない組み合わせなので違和感もあると思います。ただ、見慣れないものやそれによって生じる違和感は、思考を動かすきっかけにもなるはず。そんな作品をこれからも創り出していきたいと思っています。

大小島真木(おおこじま・まき)

アーティスト

1987年東京都東久留米市生まれ。2011年女子美術大学大学院美術専攻修士課程修了。日本各地を始め、インド、メキシコ、ポーランド、中国、フランス、海洋調査船タラ号での海上などで滞在制作。描くことを通して、鳥や猿、森、菌、鉱物など異なるものたちの環世界を自身に内在化し、物語ることを追求している。 現在、東京・府中市美術館で開催中の"メイド・イン・フチュウ公開制作の20年"に参加し、10mを超す大きな身体を構成している。オフィシャルサイト

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