世界の学生向けコンペで日本チームが初めて受賞

 デジタルエージェンシーAKQAとカンヌライオンズの事務局が共同主宰する学生コンペ「フューチャーライオンズ」は今年で8回目。AKQAのシニアメンバーで、初回から審査に携わっているレイ・イナモト氏に、同賞の目的や審査基準について聞いた。また後編では、日本初の入賞を果たした学生チームの皆さんに、制作秘話などを話してもらった。

カテゴリーに縛られない アイデア勝負のコンペ

レイ・イナモト氏 レイ・イナモト氏

――フューチャーライオンズが誕生した背景は。

 カンヌライオンズの事務局から、セミナーをやってみないかという打診があったんです。カンヌのセミナーというと、「どんな有名人が語るか」ということが話題になります。しかしAKQAは次の3つにポイントを置きました。AKQAのプロモーションをしない、コミュニケーションの分野に貢献する、長期的に持続できる、の3点です。こうした観点から、学生向けのコンペを企画したのです。若者たちに世界へと羽ばたくチャンスを提供し、企業が才能あふれる人材と出会う場にしたいと考えました。

――受賞者が世界を舞台に活躍しているという手応えはありますか。

 あります。例えば、第1回の受賞者の中にペルーの学生がいましたが、彼は受賞をきっかけにエージェンシーからスカウトされ、シンガポールで就職し、その後アムステルダムに移って活躍し、今はパリで働いています。僕も駆け出しの頃、東京やニューヨークで非常に苦労をしました。世界的に見れば、チャンスに縁遠い若者のほうが多いのではないでしょうか。そうした人たちにも光を当てられる賞だと思っています。

――募集課題は「5年前には実現不可能だったアイデアをブランドのために考案する」でした。

 募集課題は毎年同じです。これもフューチャーライオンズの大きな特徴です。カンヌライオンズは毎年カテゴリーが増え続けています。このことが、良い意味でも悪い意味でも足かせになっている面があります。フューチャーライオンズではカテゴリーが全くありません。そのため、それに縛られず、純粋にアイデア一本で勝負してほしい。そんな意図から、この課題を出し続けています。

──今年の応募状況は。また審査の仕組みを教えてください。

 世界40カ国以上から1,500点を超えるエントリーがありました。初回は約30点しかなかったことを考えると、ずいぶんと大きなコンペになりました。
審査は、AKQAのスタッフがグループに分かれて行います。1グループ4、5人程度で、テクノロジー、クリエイティブ、ストラテジーを得意とする人間をバランスよく配置しています。メンバーは、アメリカ、ヨーロッパ、アジアのオフィスをまたいで構成し、オンラインでつないで審査しています。1次審査、2次審査を経て、エントリー総数の1割程度に候補が絞られた段階で、僕も含めたクリエイティブカウンシル(エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター以上のシニアメンバー)の約10人が全員集合して最終審査に臨みます。

──AKQAらしいと感じる審査プロセスや審査基準は。

 クリエイティブカウンシルによる最終審査では、一人ひとりが推薦作品を挙げ、その理由を述べることになっています。ケーススタディーの映像だけでは気づかなかったこともお互いにあるので、作品の価値を鮮明化していく上で、とても大事なプロセスになっています。それから、いわゆる「広告」は選ばないというのがAKQA流です。重視しているのは、ビジネスのアイデアやプロダクトのアイデア、あるいは社会にどう貢献できるか、といった視点です。

受賞したアイデアを実現したい

──今年は日本のチームが初めて入賞しました。イナモトさんは、以前から日本の学生たちと交流し、世界での活躍を後押ししてきました。

レイ・イナモト氏

 実は、前回のフューチャーライオンズで約1,100点の応募があった中で、日本からの応募が1点だけだったんです。中国、韓国、シンガポール、インドなど、他のアジアの国々からの応募は年々増えているので、なおさら少なさが目立ちました。震災の影響もあったかもしれませんが、そういう困難があったからこそ、社会を前向きに変えたいという意欲を日本の若者たちに持ってほしいと思ったのです。

 そこで、マーケティングやコミュニケーションに興味を持つ学生を集めた団体「applim」の代表に会い、フューチャーライオンズへの参加を呼びかけました。今年2月には、団体のメンバー100人を対象に「IGNITE」というワークショップを開催。学生たちに課題に沿った作品を制作してもらい、僕が講評などを担当しました。この時の参加者が、全く別のアイデアで本選に応募し、受賞したのです。

 ちなみに、フューチャーライオンズの審査は、制作者の名前も国籍も伏せて進められます。ですから、日本のチームの快挙を知ったのは、賞の決定後でした。ワークショップを始めた年にすぐに成果が出たのでうれしかったですね。ただ、今年の日本のエントリーは10数件で、依然として多くありません。来年もワークショップをやらなければと思っています。

──日本チームのアイデア名は、「awaken by amazon」。アマゾンで本を購入した時に届いた箱に、読み終わった本を入れてアマゾンに返送すると、インドに送られて識字率向上と本不足解消に役立てられる。本を送った本人には、その本の電子版が届く、というアイデアでした。このアイデアの評価ポイントは。また、他に印象に残った作品は。

 ブランド、ユーザー、第三者(インドで本が手に入らない人たち)、この3者すべてにバランスよくプラスαの恩恵をもたらすアイデアだったこと。アナログからデジタルに移行している時代を捉え、両者を見事に融合させてエコシステムを循環させていること。シンプルでわかりやすいシステムであること。この3点が、主な評価ポイントでした。

 その他に印象に残った作品としては、アメリカの学生による「EDITORIALIST by NASTE」。雑誌の記事をジャンル別にまとめ、自分用にカスタマイズしてくれるタブレットの提案で、このサービスがあったら自分も使うだろうなと思いました。

 僕は、クリエイティビティとイノベーションには二つの見方があると思っています。一つは、当たり前の問題に、思いつかなかったソリューションを出す。もう一つは、思いつかなかった問題に、当たり前のソリューションを出す。「awaken by amazon」と「EDITORIALIST by NASTE」には、こうした要素があったと思います。

──フューチャーライオンズの結果は、広告主やプロのクリエイターの注目を引きつけていますね。

 とてもうれしいことです……。が、フューチャーライオンズの受賞作とそっくりのアイデアが、翌年のカンヌライオンズにエントリーし、しかも上位賞を獲得している例も見受けられます。そこはちょっと複雑な気持ちです。

──フューチャーライオンズについて、今後の課題としていることはありますか。

 受賞したアイデアの実現です。実現のため、AKQAで何らかの手助けができるケースもあるのではないかと考えています。受賞者の発表後、アイデアの題材となったクライアントからAKQAにビジネスの相談が持ちかけられたり、受賞者本人に問い合わせがあったりということは、これまでもありました。ただ、実現に至るケースはまだ少なく、課題としています。

──若いクリエイターにメッセージをお願いします。

 僕が30代の時に聞いて励まされ、10代や20代前半に聞いておけばもっとよかったのにと思った言葉を紹介します。「It’s not how good you are. It’s how good you want to be(どれだけ才能があるかではなく、どれだけすごくなりたいかが大切)」。60~70年代に活躍したイギリスのアートディレクター、ポール・アーデンの言葉です。

 僕からのメッセージをつけ加えると、「日本の未来は世界にある。世界を意識して」ということです。日本の若者はハングリー精神が足りないとよく言われますが、実際に接してみるとそんなことはありません。「IGNITE」で初めて出会い、この秋からインターンシップとしてAKQAに通うことになっている男子学生は、ニューヨークの「アート・ディレクターズ・クラブ」が主宰する「PORTFOLIO NIGHT」という若いクリエイター向けのイベントに参加し、優秀な人材としてコンペ応募の権利をもらい、英語を猛勉強して果敢に挑戦しました。そういう頼もしい若者が、この先どんどん増えるといいなと思います。

レイ・イナモト

AKQA チーフ・クリエイティブ・オフィサー

高校からスイスに留学。米国ミシガン大学卒。美術とコンピューターサイエンスを専攻。1996 年タナカノリユキのもとで活動開始。米国大手デジタルエージェンシーR/GA や、01 年、クリエイティブ・ユニットTronic Studioの設立を経て04 年欧米大手デジタルエージェンシーAKQAにグローバル・クリエイティブ・ディレクターとして入社。08 年チーフ・クリエイティブ・オフィサー。12年よりNY社の経営最高責任者も務める。 10 年日本人として初のカンヌ国際広告祭チタニウム・インテグレーテッド部門の審査員。12 年『Creativity』の「世界で最も影響のある50 人」に選出されるなど、世界を舞台に活躍しているクリエイティブ・ディレクター。12 年に「Advertising Hall of Achievement」に選ばれた他、世界的な賞を数多く受賞。ニューヨーク・アートディレクターズクラブ やクリオ広告祭審査では日本人初の委員長も務めた。現在ニューヨーク在住。