消費者に使われてこその製品価値 「価値共創」の研究を進化させたい

 マーケティング・流通関連の学会では日本で最も歴史があり、会員も多い日本商業学会は早くからマーケティング研究をリードしてきた。会長として学会を率いる慶應義塾大学大学院経営管理研究科の池尾恭一教授に、最近の学会におけるマーケティング研究のトレンドや自身が関心を持って取り組むテーマについて聞いた。

インターネットの普及で製品価値は「消費者とともに作る」時代に

池尾恭一氏 池尾恭一氏

――日本商業学会について聞かせてください。

 流通・マーケティング関連では日本最古で最大の学会です。1950年の設立から60年余の歴史を持ち、現在会員数は1,000人を超えています。英語では「Japan Society of Marketing and Distribution」と表記するように、マーケティングと流通、2つの研究の柱があります。会員の大半が学者や研究者で占められているのも大きな特徴です。

――昨年5月に2012年度の全国研究大会がありました。統一論題の「流通・マーケティングにおける価値共創」とは。

 簡単に言えば、「作り手や売り手と、買い手とが、一緒になって商品やサービスの価値を作り出す」という考え方です。これには二つの背景があると思います。

 一つ目は「現実の変化」です。これまでの人類の歴史の中で築き上げてきた流通の仕組みというのは、「プロによる需要と供給のマッチング」でした。例えば、本を出版したい場合、編集者に認められなければ本になりませんし、本になったとしても取り次ぎや書店が扱わなければ店頭に並ぶことはできません。このように、プロによる多様なスクリーニングを受けて初めて商品やサービスが消費者の元に届いていたのです。

 ところが、21世紀に入り、インターネットの普及によって誰もが商品を提供できるようになり、供給される商品の種類が爆発的に増えました。その膨大な種類の商品に対してどのようにスクリーニングをかけ需給のマッチングを図っていくのか。一つの可能性として注目されているのが「集合知の活用」です。いわば皆の知恵です。典型的な例がソーシャルメディアです。ネット上にある書き込みの多くはプロではない一般の人々が自由に書き込んだものであり、信用できないものも少なくありませんが、それらが蓄積されると、それなりの信用力をもつ、と考えられています。この集合知を活用することは、すなわち「一般の人々が流通のプロセスに参加する」ということです。従来のプロによる流通に一般の人々が加わり、そこで商品やサービスの価値を作り上げていく。これが「価値共創」の一つの側面です。

――もう一つの観点は。

 「理論の進化」です。「サービス・ドミナント・ロジック(SDL)」という考え方が、マーケティング理論のフレームワークとして注目されています。製品の価値は、その生産・流通に関わる様々な人々の知識やスキルと、それを利用・消費する際の消費者自身の知識やスキルが一緒になって生じるという考え方です。例えば、どんなに優れた自動車を作っても運転する消費者のドライビングスキルや知識があってこそ、その自動車に自動車としての価値が生まれる、ということです。

 このように、インターネットによって流通の仕組みという「現実」が従来の形とは変わり、SDLという「理論」面での進化があり、様々な人々がともに価値を生み出す社会になったという認識から、今回の「価値共創」というテーマが導き出されました。

――全国研究大会の感想と、学会についての今後の課題や展望について聞かせてください。

 昨年の大会では、統一論題に関する研究発表が例年以上に多く、「価値共創」という考え方が今のマーケティングにおいて非常に現実的で、多くの研究者が高い関心を持っていることが明らかになりました。また、レベルの高い発表も多かったように感じます。

 研究についての課題は、当学会に限ったことではありませんが、新機軸を切り開く大胆で魅力的な研究が少なくなっていることでしょう。研究者としてキャリアを築くために論文誌に掲載されることが重視され、その結果、選者である雑誌の編集者やレフェリーに選んでもらいやすい「厳密だが型にはまった研究論文」が増えてしまったと思います。こうした傾向はとりわけ米国で顕著ですが、日本も例外ではありません。

 もちろん単なる直感で書かれたような論文は論外ですが、完璧でなくても将来的な可能性がある研究が出てくることも学会のあり方としては望ましい。「魅力的」と「厳密さ」の折り合いをいかにつけていくかは、学会としての今後の課題ととらえています。

 もうひとつ重要なテーマは「国際化」です。今、世界で最も有望な経済地域は、明らかにアジアです。アジアにおけるマーケティングを対象とした共同研究の場を作ることを、現在、日中韓の学会で検討しています。来年度から本格的に動き始めるべく準備を進めているところです。

有望市場は欧米からアジアへ マーケティング戦略のキーワードは「低関与消費」

――ご自身が研究を進めているテーマ、関心を持っているテーマなどがあれば聞かせてください。

 今、日本のマーケティングは三つの面で大きな転換点を迎えていると考えています。
一つ目は「囲い込み型からオープン型へ」です。日本は高度経済成長の中で未熟な消費者が大量発生したことで、小売店や営業マンといった人的情報源が重要な役割を担うことになり、その小売店や営業マンを通じて買い手を囲い込むというマーケティングが続いてきました。しかし、時代とともに買い手は賢くなり、「比較したい」「好きなものを選びたい」と思うようになりました。かつて家電製品はメーカー系列の街の電器店で買われていたのが、今は複数ブランドの製品を扱う量販店で買われている、といったことです。量販店で売るのであれば、他ブランドよりもとんがった製品でなければ売れない。単純に販売チャネルが変わるということだけではなく、マーケティングの仕組みを変える必要があるだろうと考えています。これが「オープン型マーケティング」です。

 二つ目は「デジタルマーケティングの発展」です。レコードがデジタル化してCDになったり、ゲームがデジタルソフトになって玩具店の店頭で売られたりしているうちはたいしたことは起きないのですが、インターネットからダウンロードできるようになった途端に、マーケティングのやり方は劇的に変わってきています。今後、デジタルマーケティングはどうなっていくのか。非常に大きな関心があります。

 最後は「グローバルマーケティングの在り方」です。かつて日本は欧米先進国を標的にモノを売ってきましたが、今や市場として伸びているのは新興国です。さらにいえば、新興国の中でも消費が伸びているのは「中間層」です。どの程度の収入からが中間層なのかの線引きはいろいろありますが、年収50万~200万円とみておけばいいでしょう。こうした市場に対しては、日本で売っているものをそのまま持っていって、よいものは売れるはずだといっても、価格が高すぎて売れないでしょう。となると、性能や品質は少し落とす代わりドラスティックにコストを抑えた製品を作る必要があるのです。ここでも、単にそうした製品を作るだけにとどまらず、マーケティングの仕組みから変えていかなければなりません。

――そうした新興国中間層市場に対して、どのようなマーケティング施策が必要なのでしょうか。

 私が個人的に注目しているのは、日本国内における「ライトディマンド」です。訳するならば「低関与消費」、「いいかげん消費」といってもよいかもしれません。例えば、スマホの登場により、ゲーム市場は急激に広がっていますが、スマホで選ばれているゲームの多くは内容的には簡単なもので、無料であったり、従来のパッケージ製品より格安であったりです。それらが消費者には受け入れられている。またそれにより、ゲームから離れた大人が再び市場に戻ってくるといった現象も起きています。これがライトディマンドです。こうしたライトディマンド向けの製品こそ、先ほど触れた「性能や品質は落としドラスティックにコストを抑えた製品」です。新興国中間層市場に向かって行くに際しては、こうしたライトディマンド向け製品がヒントを提供してくれそうな気がします。

 これらのテーマのうち、とくにアジアを中心とする新興国中間層市場に対するマーケティングへの理解は、実務的にも理論的にもまだまだ足りない。幸い日本だけでなく中国や韓国でも同じような関心を持つ研究者や実務家がいるので、情報交換をしながら意欲的に研究を進めていきたいですね。

池尾恭一(いけお・きょういち)

日本商業学会 会長/慶應義塾大学大学院経営管理研究科 教授

1950年神奈川県生まれ。73年慶應義塾大学商学部卒。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程・博士課程、関西学院大学商学部専任講師などを経て現職。商学博士(慶應義塾大学)。
84年日本広告学会学会賞。91年慶應義塾賞。92年日本商業学会賞。2005~09年慶應義塾大学大学院経営管理研究科委員長兼ビジネス・スクール校長。11年から日本商業学会会長。