学者や実務家の知見を公開し、理論と実践の融合を促す

 2012年11月、マーケティングの研究者や実務家57人が発起人となり設立された日本マーケティング学会。発起人には、アメリカのフィリップ・コトラー教授やデイビッド・アーカー教授も名を連ねる。「国内外の研究者と実務者が出会い、理論と実践を両立しながら、世界トップクラスのマーケティング力を育てる場所を目指す」という同学会の取り組みについて、初代会長で、流通科学大学学長の石井淳蔵氏に聞いた。

観光、医療、大学、行政、NPOにも広がるマーケティング

石井淳蔵氏 石井淳蔵氏

──日本マーケティング学会の設立目的は。

 第一に、マーケティングの理論と実践の融合を促すことです。理論のない実践は支離滅裂な試行錯誤に陥り、実践に結びつかない理論は空論でしかありません。学者と実務家とが同じ土俵で知見を交換する場を提供していきたいと考えています。

 第二に、研究のウイングを広げていくことです。マーケティングという概念が日本で生まれたのは戦後のことで、それ以前の販売活動は流通機構に委ねるのみでした。しかし1950年代以降、メーカー自らが戦略的に商品を売り始めます。国内で先頭を切ったのは、トヨタ、資生堂、松下電器産業など戦後に躍進した企業で、こうした有力企業の活動を中心に理論と実践が発展してきました。そして半世紀が過ぎた現在、販売活動以外のフィールドにもマーケティングの精神が広がっています。観光における顧客対応、医療における患者対応、大学における受験生や在校生対応、行政やNPOにおける受益者対応など、サービス活動を中心に新たな理論や実践が進んでいるのです。日本マーケティング学会は、それぞれの分野で蓄積された知見をオープンにし、お互いに学び合う機会を創っていきます。

──どのような会員を募っていきたいと考えていますか。

 大学もしくは企業や公的機関などでマーケティングの研究や実務に携わっている方、マーケティングのスペシャリストを志す学生や社会人、そして、MBA及び修了者です。例えば、日本のMBAだけでも毎年およそ500人が卒業し、そのほとんどが企業で実務に携わります。彼らがどのような課題に取り組み、どのような成果を上げているのかを深いレベルで情報交換できる場にしたいと思っています。学者をはじめ、異業種の会員がこの輪に参加することで、発表者は外部の意見を吸収でき、参加者は他社の最前線の取り組みを学ぶことができます。現在会員数は約1,000人です。

日本マーケティング学会設立記念大会の様子 日本マーケティング学会設立記念大会の様子

──学会の活動内容は。

 主な活動の一つは「マーケティングサロン」です。少人数の座談会形式の研究会で、第1回は、「瞬足ブランドはなぜ強いブランドに育ったのか?」というテーマで参加者を募集。アキレスの運動靴「瞬足」の開発担当者をゲストに迎え、今月、研究会を開催予定です。今後も様々な会員有志がテーマを掲げて研究会を開き、参加者を募っていきます。

 もう一つは「リサーチプロジェクト」です。ここでは、「ブランド&コミュニケーション研究会」「東南アジア・マーケティング研究会」「観光・地域マーケティング研究会」という3つの研究会が進行中です。「東南アジア・マーケティング研究会」と「観光・地域マーケティング研究会」には、それぞれ国から科学研究費が出ています。文科省の審議会に研究テーマを提出し、複数の研究班と競って研究費を勝ち取った研究プロジェクトです。いわば、学会最先端の研究と言えるでしょう。なお、研究の途中経過は会員に適時公開していきます。

 例えば、「東南アジア・マーケティング研究会」が、東南アジアで長くビジネスを展開している企業Aに訪問インタビューなどを行い、その結果を論文や公開セミナーといった形で発表したとします。これからアジアに進出したい企業Bのマーケティング担当者がその内容に着目し、学会に入会して研究会にアプローチすることもあるでしょう。研究会にとっては、企業Bの戦略をケーススタディーに加えるチャンスとなります。最先端の研究内容を公開するような学会は例がありません。そういう意味でも画期的な場になると思います。

異業種のマーケティングを検証し、応用することに意義

──最近のマーケティング研究の潮流とは。

 1950年代から始まる製品中心の「マーケティング1.0」の時代は、学者が中心となってマーケティングの概念を実務家に教えていました。つまり教える人と教えられる人がはっきりと分かれていたわけです。ところが、顧客中心の「マーケティング2.0」の時代になると、マーケティングの知識を有する実務家が増えてきます。そこで学者たちは、企業の実例をもとにディスカッションを展開していくような講義を始めました。80年代ごろからハーバードビジネススクールなどでさかんに始まった学習スタイルです。21世紀に入り、「マーケティング3.0」の時代になると、学者並みに実例に通じたマーケターが現れ、状況によって教える側と教えられる側が入れ替わるような構図が見られるようになりました。冒頭、「マーケティングの理論と実践の融合」「学者と実務家が同じ土俵で知見を交換する場」と申しましたが、日本マーケティング学会は、まさにマーケティングの新しい潮流をくんで生まれた学会といえます。

 また、デジタル化が進んだ今日は、経験が浅いうちにマーケティングの世界で活躍する人が現れています。先日も、ある航空会社で、マーケティングのキャリアは短い若い方が、航空会社の顧客を対象とするウェブコミュニケーションシステムをマネジメントしている話を聞きました。ウェブを通じて顧客との情報交流ができる体制さえ整えば、長い経験を積まなくても才覚だけでマーケティングの責任者となって活躍できる時代になっています。

──学者と実務家との交流だけでなく、異業種の実務家同士の交流、MBAなど若い才能と学者や実務家との交流、アイデアを持った新人マーケターと学者との交流など、分野の違う人たちが集うことの意義とは。

 1970年代にレナウンが「ダーバン」というブランドを立ち上げましたが、当時、同社は「車を売るように服を売る」というコンセプトを持っていました。量産商品にブランド価値を持たせて訴求する自動車販売に倣ったその戦略は、見事に当たりました。

 マーケティングのヒントというのは、同業種の成功事例を追うばかりでなく、異業種の手法の応用から広がることも大いにあり得るということです。そして、応用できる理屈を検証し、鮮明化していくのが学者の役目ではないかと考えています。日本には世界に誇りうる知恵にあふれた事例がたくさんあります。ただ、そこに着目して理論化してきたのは往々にして海外の学者でした。観光、医療、大学、行政、NPOなどにもマーケティングの定義が広がっているという話をしましたが、日本が得意とするサービス分野から世界に打ち出せる理論と実践が生まれることを望んでいます。

──流通科学大学の学長として、マーケティングを専攻する学生たちにどのような指導をしていますか。

 これまでの日本の大学は、知識や情報のインプットばかりに注力してきました。しかしこれからは、学んだ知識を活用するアウトプットの機会を増やすことが大事だと思っています。そこで、当大学では、企業と組んで、より実践的なマーケティングを学ぶ機会を作っています。これまでに賛同を得たのはモロゾフ、日産自動車、大阪ガス、日本盛といった企業で、学生たちがそれぞれの商品企画などに挑戦しました。

 また、スチューデント・イノベーション・カレッジ(Sカレ)など、全国規模で大学と企業との交流が始まっています。Sカレは、3人1組の学生チームが、企業や団体から出されるテーマについて、商品化を目指して企画・開発を競うコンペです。学生たちは、市場調査、コンセプト設定、ターゲティング、商品デザイン、売り場づくりなど、あらゆることを学びます。知識の限界を知る機会にもなり、新たな向学心につながっています。活動を通して、アプリ開発や、3Dキャドを使った店舗提案など、私たちが驚くような優れた提案も生まれています。企業側も学生の能力の高さに驚き、刺激を受けているようです。こうした実践的な学びの中から、理論の発展も期待できるのではないかと思っています。

石井淳蔵(いしい・じゅんぞう)

日本マーケティング学会 会長/流通科学大学 学長 石井淳蔵氏

1947年大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。神戸大学院経営学研究科教授などを経て、2008年4月から現職。著書に『ブランド』『マーケティングの神話』『営業をマネジメントする』『マーケティング思考の可能性』など。

■日本マーケティング学会 http://www.j-mac.or.jp/