次世代のアイデアの定義は、エモーション(情緒)×ファンクション(機能)

 イナモト氏は、米ニューヨークの広告会社R/GAなどを経て、2005年に独立系デジタルエージェンシーAKQAに入社。「NIKE」や「Xbox」のクリエーティブ責任者として実績を重ね、2004年には、米デザイン・広告業界で活躍した若手クリエーターを対象とする「ADC Young Guns」の1人に唯一の日本人で選ばれた。2009年には、米Creativity誌から「最も影響力のある50人」に選ばれ、2010年のカンヌ国際広告祭(現・カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル)で、チタニウム&インテグレーテッド部門の審査員を日本人として初めて担当。世界を舞台に活躍するイナモト氏に、AKQAの仕事、新しいコミュニケーションのあり方、日本の広告界の印象を聞くとともに、若いクリエーターへのメッセージをもらった。

“The best advertising isn't advertising”

──海外で活動している理由は。

AKQA チーフ・クリエイティブ・オフィサー イナモトレイ氏 イナモトレイ氏

 僕は高校からスイスに留学し、その後アメリカの大学に進みましたが、大学卒業後は少し日本にいて、タナカノリユキさんのスタジオで修行させていただいていました。キャリアのきっかけは日本だったんです。ただ、世界で自分の腕を磨いてみたいという思いがあって、90年代後半に再度渡米し、そのまま根を張って今に至ります。

──日本の広告界をどのように見ていますか。

 日本のクリエーターの仕事は、クラフトの質がとても高いと思います。いわゆる「手仕事」に長けていて、特にデジタル系のクラフトは、世界一、二を争うレベルの高さです。カンヌでも、サイバー部門の受賞歴は際立っていますよね。その一方、他の部門でなかなか賞にのぼらないのは、情報で口説いていく傾向が強く、アイデアや物語性がいま一つ弱いせいではないかと思います。情報も大切ですが、人間というのは結構感情で物事を決める動物で、ビッグアイデアや物語に心動かされるものです。

──AKQAが提案する数々のアイデアや、カンヌライオンズの受賞作などを通じて感じる次世代のアイデアとは。

 従来の広告の文脈では、「アイデア=ブランドの物語をコミュニケーションするためのプラットホーム」という思考が主流でした。今年のカンヌ受賞作でいえば、フィルム部門でグランプリを受賞したナイキの「Write the Future(未来をかきかえろ)」がそれにあたります。しかし僕は、次世代のアイデアの定義は、「エモーション(情緒)×ファンクション(機能)」になるだろうと考えます。つまり、物語を語るだけではなく、物語を可能にし、生活者が使えるところまで意識しなければならないと。というのも、今の時代は、ツイッターやフェイスブックを通じて誰もが自分の物語を発信でき、中には何百万人ものフォロワーを抱えている個人もいます。そうした環境においては、どんな優れた物語であっても埋もれてしまう可能性があるのです。

──AKQAの提案事例について聞かせてください。

 今までこの業界ではおもに、広告は「エモーション(情緒)」、インタラクティブは「ファンクション(機能)」という分け方がされていました。また「ファンクション」だけでなくとも、インタラクティブを、一時的に消費者の興味・関心を高めるその場限りの「エンターテインメント」と見る傾向があったと思います。

 先ほども言ったことですが、AKQAではそれらを総合的にとらえ、ビッグアイデアは「エモーション(情緒)×ファンクション(機能)」両方であるということをふまえて提案するようにしています。

 また、社内で“The best advertising isn’t advertising(最高の広告は広告ではない)”という言葉をよく使います。要するに、「楽しいアイデアを作ろう。意味のあるアイデアを探そう。それが結果として広告になったらいいよね」という考え方です。

 アイデアの善しあしを判断する物差しが、僕の中にはあります。それは「Useful. Usable. Delightful.(使えるか、使いやすいか、ワクワクするか)」ということ。この3つの条件がそろってこそ、我々のアイデアになる、と考えてます。

 弊社の仕事で、2009年発表のフィアットの「ECO:DRIVE」という企画があります。車のダッシュボードにあるポートにUSBメモリーを差し込むと、車のデータが保存でき、PCで開くとガソリンをセーブできる運転方法などが確認できます。もともと音楽ファイルを車とPCで共有するための技術で、他にも応用できるという話をエンジニアからマーケティング担当が聞き、何か面白いことができないかと弊社に話がきて生まれたアイデアです。「エンジニア+マーケティング+クリエーティブ」という連携は、今後の新しい形になっていくと思います。

フィアット「ECO:DRIVE」企画
フィアット「ECO:DRIVE」企画

フィアット「ECO:DRIVE」

 また、ハイネケンの「Star Player」は、「エモーション(情緒)×ファンクション(機能)」のかけ合わせがうまくいった企画です。ビールという商品にはほとんど新しい変化がなく、だからこそ消費者に楽しい体験を提供しなければなりません。そこで、同社がスポンサーになっているヨーロッパ・チャンピオンズリーグに着目。サッカー観戦者の80%近くが自宅で中継を見ていて、そのうち65%はPCやモバイル端末に触れながら見ているという調査に基づき、フェイスブックアプリやモバイルを通じ、試合の行方についてユーザー同士がやり取りできるようにしました。

 余談ですが、よく「どうやって広告業界に入ったのですか?」と聞かれるんです。でも「広告業界に入っていません」と答えています。僕自身、「広告を作ろう」と思って仕事はしていません。

ハイネケン「Star Player」

ハイネケン「Star Player」カンヌライオンズ2011 サイバー部門 金賞を受賞

テクノロジーを「制作」ではなく「戦略」としてとらえるべき

──新しいアイデアを生み出す環境づくりとして何が重要で、何が課題だと思いますか。

 弊社では、クリエーティブ部門とテクノロジー部門のコミュニケーションがとても密です。「Star Player」の企画も、「ストーリー・テラー+ソフトウエア・ディベロッパー」という組み合わせから生まれたものでした。従来の一般的な「コピーライター+アートディレクター」という組み合わせには全くとらわれていません。今の時代は、テクノロジーが消費者の身近な暮らしに入り込んでいます。テクノロジー的に何が可能で不可能なのか、不可能を可能にする方法はないのかを戦略的に検証できなければ、新しい発想は生まれません。しかし、テクノロジーを単なる制作上のタスクとしてしか見ておらず、内部に専門知識を持つ人を置かずに外注してしまう広告会社がいまだに多いのが現実です。アメリカでも日本でも同じことがいえるのではないでしょうか。

──今年のカンヌライオンズで特に印象的だったことは。

 「カンヌ国際広告祭」の名称から「広告」という言葉が消えた今年、受賞した作品の多くは、皮肉にもまだ従来の広告の方程式に沿ったものが多いという印象でした。ビッグアイデアを中心に映像やグラフィックなどの周辺施策を行うというものです。そうした中、チタニウム部門のグランプリは「該当者なし」でした。上位作品の質はおしなべて高い印象でしたが、「ブレークスルー」とみなすには足りなかったのでしょう。従来の広告作法を打ち破るアイデアを重視してきた部門だけに、「該当者なし」は妥当な判断だったと思います。

──AKQA主催の学生向けセミナー「フューチャー・ライオンズ」の目的、内容は。

 未来を創造するアイデアを探し、若い世代にチャンスを与え、エージェンシーやクライアントが雇える才能を発掘することを主目的としています。内容は、全世界の学生を対象とするコンペで、毎年「5年前にできなかったアイデアを出してください」という同じ課題を出しています。今年で6年目ですが、作品のレベルは年々上がっていて、カンヌ本選よりも面白いくらいです。

 今年は約850点の応募があり、社内で審査をして4点を選出しました。僕がいちばん気に入ったのは、WWFの活動にちなんだ節電をテーマにしたアイデアです。オフィスのPCとモバイル端末を連動させられるアプリで、席を離れてしばらく戻らないと自動的にPCがスリープ状態になり、さらに時間が経つと電源がオフになる仕組みです。僕は、「技術は透明でなければならない」というのが持論です。このアイデアはまさに好例で、技術を意識することなく節電という目的を果たすことができ、しかもメッセージ性があり、アクションにつながっている。大学2年生の作品でしたが、とても感心しました。

──クリエーターを目指す学生にとっての課題は。また、学生や若いクリエーターへのメッセージをお願いします。

 学生たちの課題として一つ気になっているのは、教育現場で昔ながらの広告手法ばかり教えられているのではないかということです。アメリカの広告学校でも、「印刷物の広告を作りなさい」という課題がよく出されるそうです。それが悪いというわけではありませんが、学生たちの作品集を見て、「見栄えはいいけれど、アイデアとして使えない」と思うことが多々あります。

 学生や若いクリエーターに向けては、僕が10代や20代前半に聞いておけばよかったと思う言葉を紹介します。「It's not how good you are. It's how good you want to be(どれだけ才能があるかではなく、どれだけすごくなりたいかが大切)」。60~70 年代に活躍したイギリスのアートディレクター、ポール・アーデンの言葉です。

 僕からのメッセージをつけ加えると、まず「自分の弱点を利点に」。そうすると、いろんな壁が突破できるようになります。ちなみに、僕の弱点は英語で人前で話すことでした。そこで僕が分かるレベルの英語で説明すれば、ネーティブの人は絶対分かるはずだと考えました。そこから物事をシンプルに伝えることが強みになっていた・・・・・・というわけです。

 それと、「世界を意識して」。矛盾するようですが、日本と外国の違いをあまり意識しないことです。文化的な違いはあっても、人間の心を動かす物事はそれほど変わらないのではないでしょうか。そうしたことも含めて世界を意識してみるといいと思います。

イナモト・レイ(稲本 零)

AKQA チーフ・クリエイティブ・オフィサー

米Creativity誌「世界で最も影響のある50人」の1人にも選ばれた、世界を舞台に活躍するクリエーティブディレクター。スイスの高校に留学後、米・ミシガン大学で美術とコンピューターサイエンスを専攻。1996年タナカノリユキ氏のもとで活動開始。97年からニューヨーク在住。R/GA、Tronic Studioなどを経て、2004年10月、欧米大手デジタルエージェンシーAKQAにグローバル・クリエイティブ・ディレクターとして入社 。2008年にはチーフ・クリエイティブ・オフィサーに昇進。2010年には日本人として初めてカンヌ国際広告祭チタニウム・インテグレーテッド部門の審査員に抜擢(ばってき)される。カンヌ国際サイバーライオン祭金賞・銀賞・銅賞、ロンドン国際広告祭グランプリ・金賞・銅賞、NYADC金賞など、受賞多数。