当面は続く、紙とデジタルのクロスメディア

 業界の期待と不安が渦巻きながら、加熱し続ける「電子書籍ブーム」。電子書籍は本当に紙の本に置き換わるのか。出版業界が生き残る手立ては。電子メディアの最前線と従来の出版メディアの両方に精通する植村八潮氏に聞いた。

すでに日本は電子書籍の先進国

東京電機大学出版局 植村八潮氏 植村八潮氏

――電子書籍、電子出版について様々な言説が飛び交う現状をどう見ていますか。

 技術によってもたらされたものが産業だとすれば、出版産業は印刷という歴史上もっとも古い技術によって発生、継続した産業だと思います。つまり出版“文化”というのはそもそも“産業”と不可分で、両者の境界はあいまいです。今後も言論表現が思想の自由や芸術、科学技術といったものに寄与するためには、サステナブルにお金を生み出す仕組みがなければいけません。優良なコンテンツにお金を出して読者に買ってもらう仕組みが確立していないのにもかかわらず、昨今、「これからは著者と読者が直接つながる」とか「出版社はもう不要」といった意見が多く聞かれますが、これは違うと思います。

 ただし、ネットにおける編集者やプロデューサーが必要だとしても、その役割を既存の出版社が担うとは限りません。時代の変化を見誤り、なくなっていった業種は、過去にいくらでもありますから。

――電子書籍が「ブーム」だといわれる一方で、実際に読める本は少ないという声もあります。

 現在の電子書籍ブームは正確には電子書籍“端末”ブームだと思いますが、ブームというのは、まだ実態がないからブームなわけです。一般的に、ブームの背景にはビジネスチャンスなり、新しい表現への期待なりがあります。ところが今回のブームの背景に強くあるのは「不安」です。グーグルブックサーチという、えたいの知れないものが入ってきた。あちらではキンドルが成功しているらしい。「出版産業はどうなるのか」という恐怖心です。

 ただ実態として見ると、日本は市場規模からいえば、電子出版の先進国です。「日本はコミックばかりではないか」という批判はありますが、日本の出版産業2兆円のうち、4千億円はコミックです。つまりキラーコンテテンツが最初に電子化されている正しい姿であって、ネット上の違法なコピーの流通から守るという観点からもこれは重要です。

 それから電子辞書も電子書籍の成功例です。これは横断検索という紙の辞書ではできない機能を持つことで成功しました。メディアの発展において、従来のメディアの置き換えで成功した例はありません。紙の地図をスキャンしてパソコンで使えるようにしただけではなく、ナビ機能が付加された時、初めてデジタルマップの価値が生まれました。六法全書ならリアルタイムで更新される「判例データベース」、時刻表なら「乗り換え案内」と、成功例はすべて紙では不可能だった機能をもっています。

 ところが、今の電子書籍ブームを、多くの人たちはまだ従来の紙のコンテンツをディスプレーで読むという枠組みでとらえているようです。だから「日本で電子書籍が成功していないのは、アメリカのように新刊がないからだ」という短絡的な結論が出てくるのですね。そもそもアメリカは書籍の値段が日本より高く、電子書籍に割安感があります。また本は雑誌と同じで「本は読んだら捨てる」という国民性があり、日本人と比較してモノとしての所有意識が希薄です。そういった違いを考えずに日本の書物に対する枠の中でアメリカと比較するのはおかしな話です。

紙の本が電子書籍とセットになる時代に

――出版の産業構造が大きく変化する中で、出版社が考えるべきことは。

 今の電子書籍が拾えているのは文芸か人文社会学系のテキストで、書籍といっても極めて限定的な分野です。それが小さな市場というわけではなく、キンドルでターゲットはまさにこの市場です。アマゾンがリアル書店と取次流通の利益を奪ったように、キンドルでやろうとしていることは、紙と製本と印刷会社の売り上げを奪うことでしょう。

 つまりコンテンツを供給する出版社は、今後も必要なのです。その微妙な関係性の中で出版社が生き残るためには、とにかくお金をかけず、紙の本をつくるワークフローで電子書籍を作るしかありません。とかく「作り」に凝る日本の紙の本をデジタルで再現しようというのはナンセンスであって、もっと組版を簡素にしてもいいんです。

 ただそうはいっても、向こう20年くらい、つまり今50代の人が70代になるくらいの間は、私たちの鍛えられた読書習慣が急に変わることはないはずです。今後も読書の優先順序の中で、電子書籍が紙の本を超えることはないでしょう。紙の本でまず読み、理解し、後は電子書籍を利用する。つまり紙の本が電子書籍とセットで売られる時代が来ると私は思っています。

 例えば一度読んだ新書を後で拾い読みしたくなったり、若い時に読んだ本をふと読み返したりしたくなる時がありますよね、それが電子書籍になっていたら、こんな便利なことはありません。最初は紙で読んだ書籍にデジタル版の利用コードが付いていて、ネットで落とせたり、さらに自分が買った新書の横断検索ができれば、新しい利便性が生まれます。「読む」という点では紙を超えられなくても、「利用する」という点では、デジタルははるかに可能性を持っています。紙の本が突然なくなるのではなく、著者と出版社、編集者という関係を残したまま、技術によって付加価値を付けるという図式がまだまだ続くと思います。

――従来のコンテンツの電子化以外の可能性については。

 従来の文芸がまったく押さえられなかったコンテンツ、最初からデジタルで生まれ、デジタルの中でしか読まれないコンテンツが生まれるでしょう。また、そういう市場ができなければメディアの将来はありません。

 実はそのひとつが、ケータイ小説だったはずなんです。日本の出版社はケータイ小説を文芸と認めず、市場を作れませんでしたが、あれこそが新しい表現ではなかったかと私は思います。ゲームのように、大人も楽しめるクオリティーの作品がいくつかあれば、もっと面白い展開があったのではと思うと、ブームが去って活気がないのが残念です。

 それでも書籍は紙とデジタルの併売というワークフローに再編することで生き残れると思いますが、大変なのは雑誌です。広告モデルの見直しという課題は別としても、「フロー情報とコミュニティーの関係づくり」という雑誌の使命そのものの部分を、今はネットの掲示板やSNSが得意としているんですね。日本の書店は雑誌を売ることで、また、多くの出版社もマンガ雑誌の潤沢な利益で経営が成り立っているわけで、これは大きな問題です。

 雑誌の強さは記事の編集力にありますが、メディアが変われば、コンテンツも作り変えなくてはいけません。例えば新聞記者は「5W1H」や「重要なことを頭に書く」といった訓練をされていますが、そういった文体はネットに向きません。キンドルやiPadの画面サイズで読ませる記事は、次をクリックさせることが勝負で、「この先はどうなるんだろう」と思わせる文章でなくてはだめなわけです。今こんなことが起こっているといったケースを最初に投げかけ、それを探索していくような記事の書き方のほうが、「ここから先を読むなら有料」というネットサービスに向いています。よいコンテンツを持っているからそれをネットで配信すればビジネスになるというのは幻想で、どんなメディアで読まれるかを考えなければ、コンテンツは成立しえないのです。

――これからの出版社、新聞社の役割をどうお考えですか。

 電子書籍、電子出版の問題は、ネットの中で優良なコンテンツを、お金を出して買ってもらえる仕組みができていないことです。そのような仕組みがネットでは成立しないということではなく、ネットがまだ未熟で現状それができていないと私はとらえています。それを可能にしていく最大の強みは、出版社や新聞社が果たしてきたギャランティー機能です。つまり著者にお金が入る仕組みを保証し、作品を企業の看板で世に出すことで著者を守り、読者に対しては品質を保証するといったことだと思います。出版界が構築した、天賦の才のある人を世に出す持続的な紙のシステムと、CGMのようなネットの世界観のクロスメディア的な展開が、当面は続くのではないでしょうか。
 

植村八潮(うえむら・やしお)

東京電機大学出版局 局長

1956年千葉県生まれ。78年東京電機大学工学部卒。同年、東京電機大学出版局に入社。主に理工系専門書単行本や電子出版物の編集業務に携わる。2007年に局長に就任。専修大学文学部、鶴見大学文学部の非常勤講師。国際標準活動として、マルチメディア電子出版に関する分科会議長、国内でも電子ペーパー、文字コードなどの委員として普及と標準化活動に携わる。