新聞の議題設定機能と出稿タイミングの柔軟性が意見広告を活発に

 団体や個人が世の中に自分たちの意見を訴える「意見広告」。インターネットの普及で個人でも意見や情報が発信できる昨今、あえてマスメディアを使った広告展開が増える傾向にある。意見広告はどのような歴史をたどり、現在はどんな状況にあるのかなどについて、早稲田大学商学学術院教授の嶋村和恵氏に聞いた。

「意見を言わないと」の機運が高まる

早稲田大学商学学術院教授 嶋村和恵氏 早稲田大学商学学術院教授 嶋村和恵氏

――広告学から見た意見広告の定義について聞かせてください。

 紙面にしっかりと「意見広告」と銘打ってある広告はもちろん、「意見的なことを言っている広告」も広義には意見広告と言えます。どう定義づけるかは研究者によるところもあり、そういう意味では厳密な定義はないと見ています。ちなみに私が授業で学生に話すときは、「意見を言うという意味では公共広告も同じ」と前置きをした上で、「その広告を見た人が必ずしも同じ意見を持たないような広告」としています。英語では「advocacy(擁護、主張)」「issue(論争、異論)」といった言葉が用いられており、その意味から考えても、自らの立場を擁護したり、あるいは行動しよう、反対しようなどと呼びかけたりする広告が、意見広告とされています。

――日本では、新聞の意見広告はどのような歴史をたどってきたのでしょうか。

 「『宣伝会議』スペシャル・エディション 日本の意見広告1975」という資料に、日本の新聞社がたどった意見広告掲載への軌跡がまとめられています。

 戦時中は言論統制が厳しく、主義主張を述べる広告が一般紙に掲載されることはなく、戦後もしばらくはその慣行が続いていたようです。ひとつの転機となったのは、1965年。日本における代表的なベトナム戦争反戦運動団体である「ベトナムに平和を! 市民連合」(略称・ベ平連)が、ニューヨーク・タイムズに、「爆弾はベトナムに平和をもたらすか? 日本の友人からの訴え」とうたった全面広告を出稿しました。これが日本のメディアや広告業界などで話題となり、意見広告の可能性を探る動きが出てくるようになりました。

 新聞社においては、68年に日本経済新聞が広告掲載基準の中で、意見広告の扱いについての立場を明らかにしました。その翌年の69年1月に読売新聞が、同10月に毎日新聞も態度を明らかに。ただし両紙とも、実際の掲載に至るまでには2年から3年の月日を要したようです。73年3月に朝日新聞が広告掲載基準を改定したことで、全国紙の立場が出そろいました。すでに71年には関西公共広告機構が発足しており、モノを売る目的以外の広告もある、という地盤ができつつあった、という背景もあったと思います。

――日本の意見広告の歴史の中で、話題になったものはありますか。

 世間でも大きな話題になって、私自身もよく覚えているのが、73年12月2日にサンケイ新聞(当時)に掲載された自由民主党の意見広告です。「拝啓 日本共産党殿 はっきりさせてください。」とうたい、当時の日本共産党が参議院選挙向けに提示した「民主連合政府綱領」が自衛隊、安保条約などの各点について「日本共産党綱領」に矛盾している、と批判しました。これに対し日本共産党は憲法21条からアクセス権(反論権)が導かれるとして、サンケイ新聞に無料で無修正の反論広告を掲載するよう求め、結果、訴訟にまで発展しました。いわゆる「サンケイ新聞事件」です。センセーショナルな内容だけでなく、意見広告を掲載する環境が整ってきた時期で、注目度が高かったのだと思います。

――最近の意見広告をどう見ていますか。

 ここ2、3年で、従来よりも活発に新聞紙面に登場しているように感じます。その背景のひとつとして、昨年の政権交代も大きかったのだと思います。世の中が変わるんだ、変わりそうというムードになり、「そろそろ意見を言わなければ」「なんとか流れを変えたい」といった機運が高まってきた。そこで、意見広告という意思伝達方法をとる団体や個人が増えたのでしょう。広告主の「自らの考えを正確に伝えたい」という意図からか、じっくりと読んでもらえる新聞が最適な媒体として選ばれているとも思われます。

 取り上げられているテーマ(意見)については、今の世の中で、多くの人々が漠然と不安を感じていること、このままでいいのかと疑問に思っていることなどが、タイミングよく取り上げられていて、話題性が高く、読んでみようという気になるものも多いようです。また、特に自分に関係があるとは意識していなかったことでも、取り上げられ方によっては読者の心に響き、考え方を変える力になったり、具体的な行動を起こすためのきっかけになったりしそうです。

――具体的に、最近の事例ではどのような意見広告が印象に残りましたか。

 「一人一票実現国民会議」(2009年7月30日付朝刊)が出稿した国民審査権の不平等についての意見広告は、本当に驚きました。正直なところ、最高裁裁判官の国民審査権について、日頃から関心のある人は少ないでしょう。しかし、おそらくこの広告を見て、興味を持った人は多いのではないでしょうか。私自身、とても気になって、広告主のホームページにアクセスしました。今まで自分の票の価値を知る機会がなかったのですが、それがサイト上で確認できる仕組みもおもしろかったし、総選挙が終わってからはどんな結果が出たのかを、やはりアクセスして確認しました。意見広告の歴史にも残るような、興味深い事例だったと思っています。

 朝日新聞に掲載された事例では、健康保険組合連合会の高齢者医療制度改革施策への反対声明(2009年12月17付朝刊)や、日本医師会などの「私たちは、『タバコ一箱1000円』を求めます。」(同12月9日付朝刊)といった広告に強いメッセージを感じます。2008年には、たばこ税増税反対事務局の「たばこ税増税断固反対!!」(2008年11月8日付)という意見広告もありましたが、人々の健康、税金、嗜好(しこう)品が提供してくれる生活や心のゆとりについて、相反する意見が見られるのはとても興味深いものです。喫煙者、非喫煙者がそれぞれの立場で読むこととなるでしょう。

 日本医師会は何年にもわたって日本の医療の問題を伝える意見広告を出し、各種の広告賞なども受賞していますが、関連するテーマによる継続的な意見広告活動も最近の傾向といえます。医療や健康に関する問題は、あらゆる人々が関心を持っていることでもあり、医師会がどんな広告を展開するかと気にして見ている人もいるはずです。


しっかり伝えるためには新聞が最適
クリエーティブには「読ませる工夫」を

――ウェブ上に自身のサイトを開設すれば、意見広告的な発信はできます。そうした状況でも新聞の意見広告を使うことには、どんな意義があると考えますか。

 たとえば商品であれば、誰かが持っているものを見て興味を持ち、ウェブサイトにアクセスする、ということはあるでしょうが、誰かの意見に興味を持つ機会はなかなかないと思います。たとえば最高裁裁判官の国民審査にしても、もともと興味がなければいきなりサイトに見に行くケースは少ないのではないでしょうか。友人の間で話題にのぼることも考えにくい。そういう意味では、ほかの人の意見が伝わってくる、いわゆる「議題設定機能」はマスメディアだからこそ、と考えます。最近のテレビは浮かれた話題ばかりで、まじめな意見を伝える媒体ではなくなっているように感じます。そういう意味では、意見広告は新聞だからこそ意義があるように思いますね。
もうひとつ、新聞には「タイミングを図れる」という特性があります。社会の動きや消費者の機運を見ながら、的確なタイミングで出稿することで、広告表現にも可能性が広がり、読者の関心を引きつけることができると思います。

――新聞の意見広告が抱える課題、今後の可能性などについて聞かせてください。

 印象に残る意見広告は、取り上げられている意見が「まさに今、世に問うことに意味がある」というだけでなく、やはり広告として目を引く何かが必要なようです。たとえば文字の大きさや、ホワイトスペースの生かし方、写真の使い方など、商業的な広告で培われた技術がうまく生かされているものでないと、なかなか全部を読んでみようという気にはなりにくい。中にはレイアウトも気にせずに伝えたいことを山ほど盛り込んで、私たちの主張を理解してくださいというタイプの意見広告もありますが、かえって逆効果になっているように思います。

 また、意見の根拠となるデータが正しいかなど審査も重要です。そのうえで、新聞には議論を促進するような様々な意見、たとえば対立する広告が同時期に載っていてもいいのでは、と思います。あくまでもいろいろな意見を冷静な目で判断できる知性を備えた読者がいることが前提ですが、両論併記のほうが読者の関心を引くでしょうし、自分ならばどう考えるかの判断材料になるでしょう。

 そうした意味で、意見広告については「いろいろな立場の意見を広告として掲出している、判断は賢明な読者に任せる」という立場をはっきりと示すべきだと考えます。そのためにも、「意見広告」のクレジットはきちんと明記したほうがいいのではないかと思います。社会に開かれた新聞社の姿勢を表すことになりますし、広告主は「自分たちの意見を強く言っている」とアピールするポイントにもなる。読む側もクリアに受け止められるはずです。

嶋村和恵(しまむら・かずえ)

早稲田大学商学学術院 教授

早稲田大学商学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得満期退学。埼玉女子短期大学専任講師、同・助教授を経て、1993年早稲田大学商学部専任講師、1995年助教授、2001年教授。主な著書に『新しい広告』(2008年 電通)、『現代広告論 新版』(2008年 有斐閣)、翻訳『経験価値マーケティング』(2000年 ダイヤモンド社)、『経験価値マネジメント』(2004年 ダイヤモンド社)など。