意見広告にも読みたくなる工夫を~読者の視点から~

 意見広告やメッセージ広告は、読者にどのように受け止められ、読まれているのだろうか。朝日新聞読者による広告座談会「読者の目 サーチング」(2009年3月まで『広告月報』で連載)の司会進行を務めた元・博報堂生活総研所長で社会評論家の林光氏に、読者側から見た意見広告の意義、課題などについて話を聞いた。

言いたいことをすべて羅列する
「自己満足」は読者を遠ざける

社会評論家 林 光氏 社会評論家 林 光氏

――昨年あたりから、意見広告や企業のメッセージ広告などが増えています。どのような背景があると見ますか。

 政権交代などによって体制が大きく変わり、法や制度に対する意識が国民全体として高まっています。そうした社会の動きを受け、さまざまな団体はもちろん、普通の人たちも「ちゃんと意見を言わなくちゃ」という気風のようなものが醸成されてきているように感じますし、人の意見にも耳を貸してみようという機運もあるように思います。そうした社会的風潮やムードを受け、意見広告を活用しようという広告主が増えてきているのではないでしょうか。

――マスメディア、特に新聞広告における意見広告の役割、意義とは。

 日本のマスメディア、特に新聞やテレビは、公正中立を重んじるあまり、意見を言うことがとても難しくなってきています。記事も主張性を弱めているように思います。そう考えると、はっきりと主観的かつ主体的な意見を主張することは、今や広告だからこそできることなのかもしれません。とはいえ、新聞の広告掲載料は決して安価ではありません。ましてや、インターネットのように、個人でも意見を発信できるメディアも台頭してきました。それでも新聞広告を使う意味は何か。それは「リライアビリティー」、つまり信頼性です。ネットの情報は玉石混交で、その意見の背景は何か、本当に正しいのか、という点においては何の裏付けも検証もありません。その点、新聞は、テレビや雑誌、ラジオといったメディアの中でも断トツに信頼性が高い。それは報道機関である「新聞社」という担保、保障があるからなのです。

 ただ自分の意見を言って自己満足できればいいのなら、自費出版で本でも出せばいい。新聞に意見広告を掲載する出稿主は、世の中に自分の意見を発信し、賛同してもらいたい、賛同しないまでも気に留めてほしいと思っているから、多くの人が信頼するメディアである新聞を選んでいるのです。そういう意味では、意見広告は新聞がもっとも適しているのではないでしょうか。不況の影響で商品広告が減ってきている中、新聞社にとっても意見広告は、媒体として生き残る一手になる可能性を秘めているかもしれません。

――実際の意見広告を「読者の立場」として見た感想は。

 意見広告であろうと商品広告であろうと、自分たちの主張を発信し、興味を持ったり支持したりしてほしい、という目的は同じです。しかし、商品広告は、新聞紙面という大きなスペースをグラフィックとコピーでどう見せるか、あるいは最初に目が行ってほしい部分をどこにするか、どこを読ませるかといったことを、アートディレクターなどが考えて作っていきます。その観点が多くの意見広告には欠けているように感じます。自分たちが言いたいことをただ言って、自己満足しているだけ、と感じるものも少なくありません。発信はしているものの、「伝えよう」という強い意志が感じられないものが多いと思います。

 自分たちの意見に対して、賛成にしても反対にしてもそれなりに理解してほしいと思うなら、読んでもらう努力、広告に目を留めてもらう工夫は必要です。言いたいことがたくさんあるがゆえに文字が多すぎたり、関与している団体などが多くてその名前を全部入れなければならなかったりすると、「難しそう」「面倒くさい」ととらえる受け手もいるでしょう。忙しい時間に読まれることの多い新聞で、そんな風に感じられてしまったら、読んでもらうどころか、ページをめくる手を止めてもらうことも難しいと思います。

 私は昨年まで3年近く、『広告月報』の「読者の目 サーチング」の司会進行を務め、その席で「この広告は、今この場で初めて見ました」という読者の話をしょっちゅう聞きました。実に多くの広告が読み飛ばされていたのです。広告を作る側は読んでもらうことを前提にしながらも、表現やデザインばかりに気をとられ、その広告がどう読まれているかという角度からはまったく検証していない。読者目線が不在だったことに気付かされました。と同時に、「初めて見ましたが、よく読んでみるといいことが書いてあって納得しました」というような意見も多く、きちんと読んでもらえれば広告主の意見や主張が伝わることも実感しました。

 最近の意見広告の事例を見ても、きちんと読んでみると有益な情報だったり、考えるきっかけになったりするなど、意義を感じます。とはいえ、広告は「読まれてナンボ、伝わってナンボ」。特に意見広告の場合は読まれなければ意味がない。読者の立場からすると、思わず目を留め、読みたくなる工夫が必要だと思います。


できすぎは説得力に欠ける
理想は「とつとつと」

――どのような意見広告なら、読者の目に留まり、その意見について考えてもらうことができるのでしょうか。

 一概には言えませんが「できすぎていない」ほうがいいように感じます。意見広告の場合、できすぎているともっともらしさが薄れる可能性があるように思います。メーンのコピーがうまければうまいほど、デザインが洗練されればされるほど、意見広告としては弱くなる。不快感はないけれど、やや説得力に欠けてしまう。人間も冗舌すぎると信用されなかったりしますよね。一番いいのは「とつとつと」。しかしこれは、意図的に作るのが最も難しい表現なんです。

 大声で叫ぶのも、伝える手段のひとつです。でも一方で、すごくうまい落語家が満場の客を前にボソボソと話し始め、いつの間にか全員がその話に耳を澄ましている……というような表現が、大声のコミュニケーションに勝ることもある。意見広告はむしろ、後者のような表現のほうが伝わりやすいように感じます。「とつとつと」も「ボソボソと」も、作為的にするといやらしくなりがちですが、落語家の話術のような表現術を広告としてできれば、すごく説得力のある意見広告になると思います。

林氏の最新著書「『減の時代』の新・マーケティング戦略」(プレジデント社) 林氏の最新著書「『減の時代』の新・マーケティング戦略」(プレジデント社)

――新聞の意見広告に期待することなどはありますか。

 意見広告は雑誌にもあるし、インターネットが意見広告的な機能も持つようになっていますが、やはりその信頼度という点において、新聞広告にかなうものはないと見ています。その信頼性を担保するためにも、内容やデータに虚偽はないのか、誇大広告ではないのかなど、新聞社側がきちんと精査することが重要でしょう。さらに意見広告こそ「読まれてナンボ」なので、それが読者にどのように伝わったのか、意図通りの反響があったのか、という掲載後の検証は必要だと考えます。

 繰り返しになりますが、広告は、目に留めてもらい、読まれて、その意見なり主張なりが伝わらなければ意味がありません。さらに意見広告は、読者が考えるきっかけを与えなければならない。そうした双方向のコミュニケーションが読者の間で活発に行われるような意見広告が出てくることに期待したいと思います。

 

 

林 光(はやし・ひかる)

社会評論家 知識創造工房☆ナレッジ・ファクトリー代表

1947年生まれ。慶應義塾大学文学部卒。博報堂入社後、博報堂生活総研に。2004年から所長。07年同社を退職し、社会評論家に。現在、知識創造工房☆ナレッジ・ファクトリー代表。消費社会論、生活者動向予測、団塊世代分析、自動車文化などが主要研究テーマ。埼玉大学、明海大学、東京大学、慶應義塾大学などで非常勤講師。著書に「『減の時代』の新・マーケティング戦略」(プレジデント社)、「職人技を見て歩く」(光文社)。他に共著多数。