著作権、リスナーの感謝の気持ち

 今年8月、作曲家の都倉俊一さんが日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長に就任した。海外でも音楽活動を展開し、欧米の著作権事情にも詳しい都倉さんは「日本人はこれまで自己主張が下手だった」と語る。

日本音楽著作権協会 都倉俊一氏 都倉俊一氏

――理事時代の2007年、ブリュッセルで開かれたCISAC(著作権協会国際連合)総会で、日本だけに課せられた戦時加算義務(連合国民が戦争前または戦争中に取得した著作権について、戦時期間を通常の著作権保護期間に加算する取り決め)の解消を提案する演説を行うなど、著作権保護の活動には以前から意欲的でした。

 著作権の保護というのは権利の主張であり、権利の主張とは自己主張です。ところが日本人というのは、自己主張が下手だったんですね。周りに流されて自分の意見が言えなかったり、かと思うと個人主義を取り違えて自分さえよければいいとミーイズムに走ってしまう。著作権の理解には社会における個人主義の成熟が必要で、アジアのようにそれが立ち遅れている地域では、どうしても海賊版や違法コピーが出回ってしまいます。

 これを書けばお金がもうかると思って作曲している人は一人もいないと思います。ただし音楽家になりたいと思う人が、正当な対価を得られる社会でなければ、才能は世に現れません。モーツァルトは貧困の中で、35歳で亡くなりました。世界には彼のオペラやシンフォニーに心を揺さぶられ、彼の子守歌に安らぎを得た人間は数えられないほどいます。もし、モーツァルトの時代に著作権という概念があれば、多くの人が彼の音楽に感謝を示し、極貧の中で死なずに済んだはずです。

――デジタル化社会において、違法コピーや海賊版の増加が深刻になっています。

 近代的な法律の下の著作権というのは、ある著作物を利用したら、その対価を払うというものです。ただし、著作権法はあらゆる技術の進歩を予測して制定されているわけではないので、今日のようなネット時代、デジタル時代には、対応できていない部分があります。世の中にとって一番便利な技術が、我々にとっては一番悩みの種であり、法律は技術革新とのいたちごっこです。

 著作権の原点は何かといえば、その曲、その歌がさまざまな人の人生の中に存在して、感動を与えているということだと思います。その感動に対する感謝の気持ちが著作権だと思います。音楽を楽しまれる方や、新しい技術、利便性を社会に提供する企業にも、そんなマインドを持ってもらうことが、何よりも重要だと思います。

――JASRAC会長として、これからどうのように組織を率いていかれますか。

 CISACでは、連合国相手に戦ったイタリアとドイツにはなく、敗戦国の中で日本だけが実質的に負わされた戦時加算義務の理不尽さを正々堂々と理論立てて主張し、その解消に全会一致で賛同を得ることができました。ただし日本では、 正論を通すだけでなく、組織として法的な働きかけを行ったり、社会全体で我々の主張が支持され、理解される環境をつくることも重要です。日本の著作権を国際的な標準に合わせるためのあらゆる努力を、JASRACの会長として先導していきたいと思います。

――愛読書について教えてください。

 僕は小学生と高校生の時期をドイツで過ごしました。ドイツの学校では近現代の歴史教育をしっかりやり、アウシュビッツの記録映画をみんなで見ることもありました。ドイツの歴史に関する本を数多く読んだ中で、一番感銘を受けたのは、フランクルの『夜と霧』です。本書の最大の特徴は、アウシュビッツの実態を、歴史学者でも作家でもなく、強制収容された当事者が書いているということです。

 アウシュビッツの犠牲者の1人にライモンド・コルベというポーランド系ユダヤ人の神父さんがいらっしゃいます。アウシュビッツに収容されたコルベ神父は、水も食物も与えられない飢餓刑という非人道的な刑に処されることになった若い父親の身代わりを志願して、命を落としました。

 アウシュビッツの悲惨な出来事は日本人には遠いもののように感じられるかもしれませんが、このコルベ神父が1930年から36年まで、長崎の大浦天主堂で布教活動をしていたと聞いたらどうでしょうか。長崎には、秀吉のキリスト教弾圧で処刑された二十六聖人の碑があります。彼らが殉教して400年の後、コルベ神父はバチカンによって聖人に列せられました。ロンドンのウェストミンスター教会には「20世紀の殉教者」の1人としてコルベ神父の像が飾られています。

 書籍とは直接関係のない話題ですが、フランクルとコルベというのは、ドイツで育った日本人である僕にとって重い意味をもつ人物です。

文/松身 茂 撮影/星野 章

都倉俊一(とくら・しゅんいち)

日本音楽著作権協会(JASRAC) 会長

1948年東京都生まれ。学習院大学法学部卒。作曲家・編曲家・プロデューサー。4歳よりバイオリンを始め、ドイツに於いて基本的な音楽教育を受ける。学習院大学在学中に作曲家としてデビュー。70年代には「日本レコード大賞 作曲賞」「日本歌謡大賞」など日本の主要音楽賞のほとんどを受賞。世に出したヒット曲数は1,000曲を超え、レコード売り上げ枚数は4千万枚を超える。80年代後半からはロンドンにも居を構え、本格的なミュージカル、舞台制作に着手。1992年、本格的な舞台制作に着手し、数々の国際芸術祭の総合芸術監督を歴任。1994年、オリジナルミュージカル『Out Of The Blue』が日本人の作曲家として初めてロンドンのシャフツベリー劇場で上演される。2010年8月 一般社団法人日本音楽著作権協会会長に就任。

※朝日新聞に連載している、企業・団体等のリーダーにおすすめの本を聞く広告特集「リーダーたちの本棚」に、都倉俊一さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)

広告特集「リーダーたちの本棚」Vol.21(2010年12月27日付朝刊 東京本社版)