「カスタマー・ジャーニー・マッピング」

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 顧客が特定の動機や目的の達成のために取る一連の行動、その途上でのブランド、サービスの経験、それに伴う感情の変化などを、プロセスに沿って書き記して、顧客や商品・サービス・ブランドについて理解し、洞察を得るマーケティングの活動。

 打ち合わせが終わったらもう6時だった。何かおなかに入れたいと思って、そのビルの地下のモールに降りた。居並ぶ飲食店をのぞいたが食べたいと思うものが見つからない。と、さっきは気が付かなかったそば屋があって、店頭にビールとおつまみのセットのメニューを見つけた。これはいいかもしれないと思ってのれんをくぐり、一杯やりながら、僕はこの原稿を書いている。早速出てきた刺し身は見本とはちょっと違うけれど、まあいいか。

 何かが欲しくなったとき、したくなったときから、その動機を完遂するまでに人が取る一連の行動は、常に環境との対話であり、ブランドやサービスの探索や経験、そしてそれへの反応の連続である。こうした一連の行動や経験、それに伴う感情を顧客の身になって追いかけ、その中に、顧客を理解し洞察を得ようとするのがカスタマー・ジャーニー・マッピングという活動だ。
  ジャーニーは辞書を引くと「旅」だが、語源は「一日」。日誌を意味するjournalと同根だ。一日の旅程、ある目的に沿ったひとまとまりの行程を指す言葉。ニーズを満たすプロセスはいわば「顧客の歩む旅」というわけだ。

 カスタマー・ジャーニー・マッピングでは、サービスやブランドとの接触や経験、そこで感じた感情、期待や失望、ストレスの上がり下がりをプロセスに沿ってレイアウトしながら書き出す。進め方も、フォーマットも決まりがあるわけではない。文章で、イラストで、あるときは写真や感情を表すアイコンや色を使って、その旅を一枚の「マップ」の中に表していく。
  目的に応じて必要なことを盛り込めばいい。全部が一覧できるようにするのがポイントだ。

 カスタマー・ジャーニー・マッピングを行うと、製品やサービスが顧客のニーズや欲求にきちんと応えているか点検できる、という人がいる。確かにそうだ。そういうことにも使える。
  サービスの「真実の瞬間」(顧客の心をつかむ瞬間)がどこにあるのか、を知る縁になるし、オペレーションの改善、ブランドの意味や提供する価値の差し出し方の見直し、大切なコンタクトポイントでどのようにブランド経験を生み出したらいいのか価値創造のヒントを得ることもある。
  しかし、それだけのことであれば、ごく普通のブランドのコンタクトポイント分析で十分だ。カスタマー・ジャーニー・マッピングの神髄はカスタマーセントリック、つまり徹底して顧客の立場と気持ちでものごとを見るというところにある。

 それは、「提供しているもの」を前提にしないということだ。顧客にあるのは動機や欲求であって、ある商品やサービス、ブランドと出合うのは、それを満たすためである。よほど特殊なものでない限り、特定のサービスやブランドでしか動機や欲求が満たされないということはない。また、人は同時に様々な情報や経験を取り込むものであって、たいていの場合は特定のサービスやブランドに専念しているのでもない。
  だから、提供している一つのサービスの窓だけから見ると、顧客の行動や感情に影になって見えない部分が出てきてしまいかねないのだ。本当に顧客と同じ目線になると、自分たちが顧客のニーズの一部にしか応えていなかったことに気付くこともあるし、提供する側に都合のいいサービスになんとか誘導しようとしていたことを悟るときもある。さらに、他の商品やブランドと結びついて一緒に価値を提供できるチャンスを見つけることさえある。

 どうすれば、うまくいくか。本当にカスタマーセントリックになるためには、その人になりきることをおいて他にない。私は日頃ブランド作りのお手伝いをしている企業の方には、ご自分でその顧客の立場に立つことをお勧めしている。
  空腹を抱え、その店のあるフロアに立ってみること、顧客と同じように旅をして家にたどり着き、なおその後自分が何をしたいか、何をしなくてはいけないか、どう感じているか感じてみること、同じように商品パッケージを開けて組み立ててみること。自分の主観がビンビン働く環境に身と心を置いてみることが大事なのだ。これを事業に関わるみんなでやってみると、真に顧客を見る力のあるチームが出来上がる。

 カスタマー・ジャーニー・マップのような形を作ることだけなら、頭でシミュレーションすることでもできる。既存の調査結果をマップして作ることもできる。しかしそれではカスタマー・ジャーニー・マッピングの一番大切なところが得られないからお勧めしない。私たちは普段顧客を自社の商品を買う人とか、あるサービスを使う人とか決めつけて、よく見ていないことがあるし、消費者調査のほとんどは商品やサービスの提供側のフレームで作られているものだ。
  何かが欲しい、何かがしたい「顧客」になってみよう。そこでは、何が見え、何を思うだろうか。何に喜び、何にがっかりし、何にイライラするのだろうか。
  マッピングとは、マップを作るプロセスのことだが、そのプロセスで、何を見、何を感じ、何を考えたか。そしてその体験を通じて顧客の何を理解したのか、が真の果実である。
  大事なことだから繰り返すが、マップに力があるのではない。活動としての「マッピング」にこそ意味があるのだ。

岡田浩一 (おかだ・こういち)

電通 マーケティングソリューション局 ブランドコンサルティング部 部長

 電通の戦略コンサルティング部門であるブランド・クリエーション・センターの立ち上げに加わり、現在、このグループのディレクターとして、国内外のクライアントのブランド、マーケティング、イノベーションなどの課題について「戦略から実体化まで」一貫して支援するサービスをリードしている。最近では多国籍企業のグローバルブランド管理、価値創造戦略のためのイノベーションなどのプロジェクトを担当。訳書に「ブランド価値を高めるコンタクト・ポイント戦略」(共訳 ダイヤモンド社)、「ブランド価値で戦わずして勝つ カテゴリー・イノベーション」(共訳 日本経済新聞出版社)など。
Email: d10444@dentsu.co.jp