2015年9月、「漱石の世界」と題した8ページの別刷り特集が朝日新聞に掲載された。そのなかでも一段と目を引いたのが、夏目漱石の姿を大きく使った、二松學舍大学の全15段広告だ。今回の広告出稿の狙いについて、二松學舍大学 広報課長の鈴木信子氏に聞いた。
特集「漱石の世界」を活用し“漱石が学んだ二松學舍”をアピール
1907年、40歳で朝日新聞社に入社し、1910年に朝日新聞紙上で「門」を連載した日本を代表する文豪、夏目漱石。今回の特集「漱石の世界」は、漱石の足跡をたどる記事のほか、作家、伊集院静氏の寄稿「子規との友情 俳句ににじむ」や、「漱石語録」などをまとめ、読み応えのある特集として話題を呼んだ。その特集内に掲載された二松學舍大学の広告は、夏目漱石の在りし日の姿をブルーの紙面いっぱいに使い、見る者に強い印象を与えた。14歳の若き漱石は二松學舍で学んだ。今回の出稿においても、漱石が二松學舍で学んだことを広く認知させたかったと、総務・人事部 広報課長の鈴木信子氏は語る。
「本学は来年創立140周年を迎えますが、創立135周年の年に、『二松學舍列伝』というプロモーションを実施しました。舎長を務めた渋沢栄一と吉田茂、そして本学で学んだ嘉納治五郎など、縁のある著名人たちの顔写真を活用し、最寄りの九段下駅の駅貼りポスターや、雑誌などで広告を展開しました。伝統をアピールしながら、同時に新鮮な印象も与えたかったので、デザイナーと相談し、それぞれのモノクロ写真に色をつけたのです。今回出稿したブルーの漱石は、そのプロモーションの際に使用したデザインと同じもの。朝日新聞の担当の方からお声をかけていただいたときに、どんな紙面にするべきかを考えたのですが、『漱石が学んだ二松學舍』というイメージをより広く、深く浸透させるためにも、デザインは踏襲しようと決めました」
実際に紙面を見た読者からの反応を、鈴木氏は以下のように話す。
「やはり全15段広告は目立つようで、学内では『朝日新聞に出ていたね』とよく声をかけられましたし、また喜んでいた在学生、卒業生も多いと聞きます。広告を見てはじめて漱石が二松學舍で学んでいたのを知ったと話す人もいて、狙い通りの効果があったと実感しています」
新聞は受験生の親世代にメッセージが届けられる
二松學舍大学では広報課と入試課が二本柱となって広報活動を行っている。インターネットや雑誌などさまざまなメディアを活用するなか、新聞に特に期待している役割があるという。
「まず一つ目が企業に対するブランディングです。本学は教育界では名前が知られているのですが、一般企業をはじめ、ステークホルダー全体のブランディングにも力を入れたいと考えています。その点では、新聞は非常に有効なメディア。新聞の力には信頼を寄せています。もう一つは受験生の親世代への訴求力です。ここ数年、受験生が大学を選ぶ際、ご両親や、さらに祖父母の意見を重視していると言われています。そうした父母世代、祖父母世代は、毎朝新聞に目を通す習慣がある人が多いですから、本学のメッセージが伝えやすいと言えます。それに東京だけでなく地方にも届けることができますし、また雑誌のように読者層が限定されない点も大きい。今後も折を見て、新聞を活用した広報展開は考えていきます」
時代の流れとともに大学を取り巻く環境は変わっていく。日本の18歳人口は2018年ごろから減少すると推計されており、どの大学も生き残りをかけた取り組みを始めている。
「国際競争力の高いグローバル人材が求められるという意味では、現代の状況は、西洋学が華やかだった明治維新の頃と少し似ているように感じています。本学が創立されたのは明治10年。創立者・三島中洲は、『自国の文化を正しく理解し、母国語を正しく表現できる真の国際人の養成』を目指すと同時に、断片的な知識だけでなく、物事を深耕する力を身につけることの大切さを説きました。これはまさしく現代に必要とされる教育理念ではないでしょうか。まさに夏目漱石のように、真の国際人を養成する大学であることを、より幅広い人々に伝えていくのが務めだと考えています」