スポ根ばりの情熱でインド版「巨人の星」を実現 未踏への挑戦が日印の懸け橋に

 インド版「巨人の星」として、昨年12月23日に現地放映が始まった「スーラジ ザ・ライジングスター」。野球を、インドで人気のクリケットに置き換え、貧しい環境に生まれた少年、スーラジがクリケットの非凡な才能を見いだされ、努力と根性によってスーパースターへと上り詰めるサクセスストーリーをつづる。仕掛け人の一人である宇都宮毅氏は、「2040年、インドのオトナたちが少年時代の懐かしさを熱く語れる、強烈なインパクトを目指しながら、クール・ジャパンの浸透に一役買いたい」と意気込む。プロジェクト設立の概要や、インド市場における日本企業の市場開拓の可能性などについて聞いた。

「高度成長時の日本」がインドに 「巨人の星」のアダプテーションを思いつく

宇都宮 毅氏 宇都宮 毅氏

──宇都宮さんとインドとの関わりと、「スーラジ ザ・ライジングスター」の発案のきっかけは。

 僕は2000年ごろから中国やアセアン諸国など、主にアジア新興国地域での取引先企業の市場開拓やマーケティング活動に携わってきました。成長目覚ましいインドにも注目し、初めて訪れたのは2004年。インドについて知れば知るほど、子ども時代を過ごした1960〜70年代の日本を思い起こしました。経済の伸長を受け、豊かさを求める人々の意欲は旺盛で、耐久消費財の普及も加速、収入の低い家庭でもテレビの1台くらいはあって、家族みんなで楽しんでいる。

 インド人が熱狂しているのは、野球ならぬクリケットです。街のあちこちで少年たちがクリケットに興じる光景が見られます。クリケット選手の人気は絶大で、サチン・テンドゥルカルという選手は、長嶋茂雄と王貞治と松井秀喜の人気を合わせたよりも上、といえるスーパースター。そのサチンを日系企業のインド向けイメージキャラクターに起用したのは2010年のことでした。

 「日本がかつて新興国だった頃に生活者をひきつけたカルチャーを、今の新興国に生かすことはできないか」。以前からそう思っていた僕は、サチンの人気を見て、「クリケットは野球によく似たスポーツだ。スポ根アニメ『巨人の星』がインドで受けるかもしれない……」と、ふと思い立ちました。日本の高度経済成長を支えた「頑張ればチャンスがつかめる」というスピリットに共感してもらえるのではないかと。

野球好きだった4歳ごろの宇都宮氏 野球好きだった4歳ごろの宇都宮氏
クリケットに興じるインドの子どもたち クリケットに興じるインドの子どもたち
クリケットに興じるインドの子どもたち クリケットに興じるインドの子どもたち

──博報堂としては、かつてない試みだったのではないでしょうか。

 当初は、社内でアイデアを口にしても、「インドで『巨人の星』?」という薄い反応しか返ってきませんでした(笑)。インドでは、「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」など日本のアニメが放映されていましたが、吹き替え版でした。現地のカルチャーに合わせてアダプテーション(適合)する発想はかつてなく、しかもビジネスの足掛かりにしようとは想像がつかなかったようです。逆に、それだからこそ闘志を持って突き進めたのかもしれません。

 社内で相手にされなかったという点では、“戦友”の古賀義章さんも同じ境遇だったようです。講談社の古賀さんとは、どうやって企画を前進させようかと思案しているときに、「宇都宮さんと同じアイデアを持った人がいる」と紹介されたのです。いわば運命的な出会でした。

 同じ1964年生まれで、「昭和の日本」とインドの共通性に注目していました。講談社は「巨人の星」の出版元でもあり、この取り組みには欠かせない存在でもありました。彼とは、「『巨人の星』のクリケットバージョンを成功させ、日本のコンテンツや日本企業の新興国進出を応援しよう!」と、志を共有しました。

──著者交渉やストーリーメーキングなど制作方面は主に古賀さんが担当し、宇都宮さんはテレビ局やクライアントとの交渉を主に担当されたそうですが、テレビ局はどのように決まったのですか。

「スーラジ ザ・ラインジングスター」(中央が主人公のスーラジ) 「スーラジ ザ・ラインジングスター」(中央が主人公のスーラジ)

 インドは全土に約700チャンネルもあり、アニメの専門チャンネルもあります。協賛を仰ぎたい企業に、放映するテレビ局はどこがよいかヒアリングしたところ、「子どもだけでなく、家族に見てもらう局でなければ」という声が圧倒的でした。その条件のもと、飛び込み営業に近い形で多くの局を訪問し、契約に至ったのが、「カラーズ(Colors)」でした。媒体料は安くはありませんでしたが、インドの「3大人気チャンネル」に数えられる放送局です。

 インドでクリケットを題材としたアニメはかつてなく、ドラマや音楽番組が主体の 「カラーズ」でアニメが放映されたこともありませんでした。「巨人の星」は知られていませんから、パイロット版を見せて交渉を進めました。その結果、毎週日曜日の午前10時から30分番組を2クール、全26話を放映することになりました。

人の出会いに恵まれ 様々な問題を克服して実現に

──放映までに苦労した点は。

 インドのメディア事情に詳しいわけではなかったですし、ほとんど「飛び込み営業」ばかりでした。そうしているうちに、いろいろな方々に出会い、助けられたという印象です。

 実際、プロジェクトに賛同した旧知のインド人がいろいろなアドバイスをくれたり、『ビジネス抜きでぜひ協力させてほしい』と業種を超えて次々と日本人の方にお声がけをいただきました。ものすごく感動したし、元気付けられました。皆さん『日本をもっと元気にしたい』という気持ちはそれぞれに持っているんです。このプロジェクトでそれを顕在化して、官民で共有できたことがうれしかった。

 『和魂洋才』という言葉を昔学びましたが、転じて『和魂洋採』。日本人のスピリット自体を海外に受け入れてもらう、それこそ本当の意味でのクールジャパンなんじゃないかなと。

 二人、ひっそり始めたプロジェクトが気付けば官民上げての大きな輪に広がりました。ウソみたいな話ですが……(笑)。

──スポンサー企業が決まった経緯は。

 前代未聞の企画ということで、スポンサー探しは2年がかりとなりました。最初に協賛の意向を示して下さったのは、全日空(全日本空輸)です。同社のインド支店長で、僕たちと同世代の杉野健治さんが、「デリー・ムンバイ2路線就航をインド版『巨人の星』で売り込みたい!」と言って下さったのです。その後、スズキ(現地社名:マルチ・スズキ)、コクヨ(同:コクヨ・カムリン)、日清食品、ダイキン工業がスポンサーに名乗りを上げて下さいました。

 幸運だったのは、斎木昭隆前駐印全権大使が、「子どもの頃、『巨人の星』にどれだけ夢中になったことか。日印友好60周年のシンボルにしたい!」と全面応援して下さったことです。さらに、64年生まれの枝野幸男前経済産業大臣が「強力に応援する!」と発言して下さり、経産省のクール・ジャパン室も折にふれて応援して下さるようになりました。こうした発言がメディアで一斉に取り上げられたことも、スポンサー獲得の後押しになりました。出会いに恵まれたことがとても大きいですね。

 なお、インドではテレビCMは大きな影響力を持っていますが、CM枠だけでなく、本編の中でスポンサーの商品をさりげなく見せる「プロダクトプレースメント」によって付加価値をつける工夫もしました。番組のアバンタイトル(オープニング映像)では、ムンバイ上空を全日空機が飛び、コクヨ・カムリンのノートをめくって「前回までのあらすじ」が始まり、主人公のライバル「花形満」にあたるヴィクラムが乗るのはマルチ・スズキの高級車……という具合です。短期的な成果だけでなく、番組を見た子どもたちが大人になった時に、「『スーラジ ザ・ライジングスター』に登場した飛行機は全日空だったなあ」「ヴィクラムが乗っていたマルチ・スズキにあこがれた」などと、懐かしんでもらえたらいいなと思っています。子どもの頃の『すりこみ』が大人になっても記憶に残り続ける、というのは誰もが同じ経験を持っているのではないかと…。それを意識しています。

インドの家庭でも普及しているテレビ インドの家庭でも普及しているテレビ

──放映後の手応えはいかがですか。

 いまのところ、まずまずという表現が一番近いと思います。ヒンディ語圏全体で視聴率は0.2%程度ですが、ムンバイ、デリー等の都市部、メーンターゲットの15歳以上ではそれ以上の数字も出つつあるところ。他のアニメチャンネルとの比較でも同レベルです。

 もちろん、もっと数字を伸ばしたいと思っています。そのために、キャラクターをプリントしたうちわを街角で配るなど、地道な広報活動も続けています。ありがたいことに、全日空がステッカーを、コクヨ・カムリンが文具セットを、協賛5社の企業名をすべて入れて作って下さいました。こうしたノベルティーグッズを現地のイベントで配ってもらったり、僕も現地の子どもたちに手配りしています。
  全26話の放映は6月に終了しますが、6月以降も再放送を繰り返し、認知を高めていきたいと考えています。続編もぜひ作りたいですね。

──キャラクター商品など、コンテンツの拡大の可能性は。

イベントでうちわとステッカーを配布 イベントでうちわとステッカーを配布

 すでに日清食品は、主人公のスーラジがパッケージにプリントされたインスタントラーメンを現地で販売しています。今後はインド系企業へのキャラクター販売やコラボレーション、DVD、コミック、映画化への展開も考えられます。さらに、クリケットは実はサッカーに次ぐ競技人口を誇るスポーツで、母国の英国の他、パキスタン、バングラデシュ、南ア、豪州など、インド以外のクリケット文化圏へのコンテンツ販売の可能性もあります。さらに、ゲームや携帯コンテンツへの展開、日本への逆輸入など、さまざまな可能性を視野に入れています。

──今後はインド企業の協賛も考えられますか。

 大いに期待しています。インド企業に加え、日系企業にもさらに幅広く協賛していただけるような仕掛けを考えていきたいです。まだ詳しくはお話できませんが、コンテンツの認知が高まれば、様々なことができると思っています。

──日本企業にとってインド市場をどう捉えていくべきでしょうか。

 12億の人口や、生産年齢人口の拡大など、データを見ただけでも市場の大きさは明白です。それに加え、「ビジネスのやりやすさ」という意味でも日本企業にとって有望だと思います。経営基盤がしっかりしているインド企業には、欧米留学経験のあるインテリ層も多く、契約の概念などが比較的しっかりしています。そして親日家が多い。意外に浪花節的な話も通じますし、誠意を持って接すれば、ビジネスはスムーズに運びやすい国だと思います。

 「スーラジ ザ・ライジングスター」が、日印の文化交流やビジネス交流の懸け橋になったらうれしいですね。異文化とのコミュニケーションが難しいのは世界中どこも同じですが、インドには特にとっつきにくさを感じてきたのかもしれません。市場規模から考えても日本とインドとのビジネス額はまだまだ小さい。でも逆に小さいからこそ、とてつもないポテンシャルを秘めていると思います。

宇都宮 毅(うつのみや・たけし)

博報堂  出版・コンテンツビジネス局 アカウントディレクター

1964年埼玉生まれ。88年早稲田大学商学部卒。同年日産自動車入社。中近東アフリカ営業部、海外統括本部(欧州マーケティング)、アジア大洋州営業部を経験。97年博報堂入社。中国、ASEAN、インドなど主にアジア新興国地域でのアカウント開拓、マーケティング業務に携わる。2012年4月からライジングスタープロジェクトの本格化に伴い現職。