これまでの感謝と挑戦を新聞広告で真摯(しんし)に伝える
ニコンは、1917年に誕生した光学機器メーカーだ。1921年に超小型双眼鏡「ミクロン4x、6x」を発売、1925年には自社設計による初の「JOICO顕微鏡」を開発し、1948年に小型カメラ「ニコンI型」を発売。以来、一眼レフカメラやレンズをはじめ、ほとんどのスマートフォンなどに搭載している高精細パネルを製造するFPD露光装置や、ノーベル賞を受賞したiPS細胞の研究をサポートする細胞培養観察システムなど、100年の歴史で培ってきた「光利用技術」と「精密技術」を基に、多彩な技術や製品、サービスを世界中で提供している。
2017年の100周年事業もグローバルで展開した。まずは同年1月に記念サイトを開設。100周年の歴史を語るアニバーサリームービーを公開し、それを皮切りに毎月のように新たなコンテンツを追加している。ただ、記念式典のような派手な催しやテレビCMなどは控えたという。経営戦略本部・広報部長の豊田陽介氏は次のように話す。
「2016年11月からグループ全体の構造改革に取り組んでいます。連結営業利益が黒字のうちに先手を打ち、将来の再成長を狙います。しかし、希望退職も募り、傷みを伴った改革であることには違いありません。そのため、単なるお祭り騒ぎにはならないように、100年の歴史や社会に貢献してきた我々の存在を真摯に伝えていこうと考えました」
2017年4月5日と創立記念日の7月25日には、それぞれ朝日新聞朝刊に全15段の広告を掲載した。新聞を選んだ理由について豊田氏は「日本において、新聞の影響力の大きさは厳然たる事実。信頼性があり、欠かせないと思った」と言う。
4月5日付朝刊に掲載した全15段の広告は、構造改革が始まって日が浅いこともあり、落ち着いたトーンで100周年を迎えることを発信した。メーンビジュアルは、最先端の半導体露光装置用にニコンが製造している世界最大級の合成石英ガラスインゴット。光学素材から最終製品まで一貫して生産できるニコンの強みを伝えるモチーフとして選んだという。
その一方で、7月25日付朝刊に掲載した全15段の広告は、黄色と黒のコーポレートカラーを大胆に使用した。「ニコン100歳。」というキャッチコピーの下には、ニコンのスピリットが感じられる商品を掲載。エポックメイキングな商品として、「JOICO顕微鏡」と小型カメラ「ニコンI型」、そして1959年にニコン初のレンズ交換式一眼レフカメラでFマウント初採用モデル「ニコンF」をセレクトした。顕微鏡とカメラ2台が並んだ様子は、偶然にも『100』の数字に見える。
新聞広告は、社外に向けたメッセージだったが、社内の反響も予想以上に大きかった。ブランド推進課の中屋吉博氏は「特に7月の広告は、100年の歴史を振り返りながら、次の100年に向けたニコンの姿勢や『Unlock the future with the power of light』という新たな経営ビジョンも発信しました。社内からは『一緒に頑張っていこうと思える内容だった』『前向きな印象を受けた』といった声が少なからずありました」と話す。
100周年事業を全社横断的なプロジェクトに
2回目の新聞広告を掲載した7月25日前後を境に、駅に掲出するデジタルサイネージやトレインチャンネル、会社案内、アニュアルレポートなども、黄色と黒を基調としたデザインで統一し、100周年記念のお祝いムードを徐々に高めていった。
100周年の準備は、2011年から始めたという。「まず取り組んだことは、100年史の制作とニコンミュージアムのオープンに向けた準備です。ミュージアムは一足先に2015年にオープンし、100年史は目下編さん中です」と話すのは、100周年プロジェクト室・ニコンミュージアム副館長の陶山貴史氏。プロジェクトが始動したのは、2年ほど前。社長が委員長を務める「創立100周年記念委員会」を立ちあげ「ビジョン分科会」ほか三つの分科会を設立した。分科会には役員も名を連ね、各事業部の社員も参加。本社発信で、各国にふさわしいPR活動を展開した。
「ニコンの社員数は、グループ連結で2万5千人以上。全社員の気持ちを一つにすることは容易ではありませんが、周年事業は仲間意識を高めるきっかけになったと思います。全社横断的なプロジェクトとして社長や役員が積極的に参加したことで、グループや部署の垣根を越えた取り組みになりました。7月まで100周年事業は続きますが、その後は企業ブランディングに移行して、ニコンブランドの価値をさらに訴求していきたい」と豊田氏は締めくくった。