社長就任時の15年前、業界6位だったユニバーサル ミュージック(当時ポリグラム)を、昨年初めてCD生産額で業界トップ企業へと押し上げた石坂敬一氏。今年11月には最高経営責任者の職務を辞し、会長職に専任するとともに「日本レコード協会会長としての仕事にも一層力を入れる」と語る。急務はデジタル音楽配信時代に対応した、事業モデルの改革だ。
――社長就任以来、「ユニバーサルにウイニング・カルチャーを育てる」と言い続けています。
勝つためには、強い意志力と誇りを持つことです。サラリーマンは売り上げが落ちても明日の生活が変わるわけではなく、じり貧になってもこれでいいやとなりがちです。今やっていることの何が間違いなのかを常に考えろと言ってきました。また、勝利の美酒に一度は酔わないと分からないこともあり、社員の意識もそこから変わりました。今後の役割は、今の経営陣をサポートすること。A&R(アーティストの発掘・育成)のコーチング。それと皆さんとお会いするような、国内外の外交です。
――パッケージソフトとデジタル(音楽配信)、リスナーの試聴スタイルの変化の中でそれぞれの位置づけをどうとらえていますか。
現在、パッケージとデジタルの割合はおよそ8対2。音楽ビジネスの中核として売り上げを支えているのは、依然としてパッケージです。デジタルは利便性が最高で、ユーザーにとっては安く、企業は在庫が要りません。しかし行き過ぎた低価格化は企業を支えられませんし、違法コピーは国内では正規市場の1.3倍にまで蔓延(まんえん)しています。
私が言っているのは、共生と住み分けの戦略です。若い人の関心はデジタルにさらに特化するでしょうから、「着うた」で試聴して、気に入った曲はフルでダウンロードしてもらえるような、ヒット曲を作ります。ただ今の40歳代以上は、パッケージを所有する喜びを含めた、音楽に対する充足感を求めています。
――日本の若いミュージシャンたちの音楽への姿勢、特に歌詞については思うところもあるようですが。
今は世界的にも優れた歌詞は、必要とされていないのかと思えるほど少ないです。周囲1メートルのことだけを歌う、感覚派ばかりになりました。今、大ヒットが生まれない理由は、技術や形態、価格上の問題だけではありません。絶対に買いたい、持っていたいと思うような、背中がぞくぞくするような作品がないからです。
人のものを聴かなくなった、人のものを勉強しなくなったのもその理由だと思います。例えば徳永英明の『VOCALIST』シリーズは3枚で350万枚も売れました。優れた歌手が優れた選曲、優れたアレンジで歌う歌が望まれています。ディレクターがミュージシャンにアドバイスできることもあるでしょうが、ただそのためには言葉に説得力がなくてはならない。過去のヒット曲を聞きこむこと、優れた仕事をした先達たちに学ぶことです。学ぶというのは話を聞きに行くのではなく、まず作品を研究することです。
――愛読書を教えてください。
私が好きなのは、ヨーロッパのデカダンス文学、歴史譚(たん)、英雄・英傑譚です。一冊といえば、デカダンスの百科便覧ともいわれる、ユイスマンスの『さかしま』です。
『さかしま』で私を魅了したのは、特権階級特有の思い上がりとコンプレックスがない交ぜとなった貴族の腐臭であり、華麗瀟洒(しょうしゃ)な贅沢三昧(ぜいたくざんまい)とデカダンスが醸し出す、非日常的なナンセンスです。日本の幻想小説系譜と西洋的デカダンスが決定的に違うのは、圧倒的なスケールの大きさと残虐さです。どうやら彼らには、我々にはない背骨があるようです。背骨とはすなわち、グレコ=ローマンの審美性であり、カトリシズムでしょう。
文/松身 茂 撮影/星野 章
ユニバーサル ミュージック 最高経営責任者兼会長/日本レコード協会 会長
1945年生まれ。1968年慶應義塾大学経済学部卒業後、東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)入社。洋楽ディレクターとしてビートルズ、ピンク・フロイド、レノン&ヨーコ、Tレックスなどを担当。ピンク・フロイドの『原子心母』は氏が名付けた邦題。1981年同社邦楽本部に異動し、BOØWY、松任谷由実、長渕剛、矢沢永吉らを担当。1994年、ポリグラム株式会社(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)代表取締役社長に就任。2001年ユニバーサル ミュージック株式会社(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)代表取締役社長に就任。2006年から代表取締役会長兼CEO(現・最高経営責任者兼会長)。今年11月1日付で最高経営責任者の職を離れ会長に就任予定。2007年7月から日本レコード協会会長。
※朝日新聞に連載している、企業・団体等のリーダーにおすすめの本を聞く広告特集「リーダーたちの本棚」に、石坂敬一さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)