320万人が使う「MUJI passport」 顧客と「C to B」の関係築く

 ソーシャルメディアなどオンラインで顧客とつながり、店頭購買に結びつける「O2O(オンライン・トゥ・オフライン)」の手法が注目されています。

 「無印良品」のモバイルアプリ「MUJI passport」は、その先駆けとして、すでに多くの顧客に利用されている成功事例です。開発・運営の陣頭指揮をとる良品計画 WEB事業部長の奥谷孝司氏に、「MUJI passport」の開発経緯や同社のデジタル戦略について聞きました。奥谷氏は、日本アドバタイザーズ協会のWeb広告研究会主催で、優れたウェブサイトやウェブプロモーションを企画した人物を表彰する「Web人大賞」を昨年受賞しました。

顧客とコミュニケーションを取り続けて「リレーションの土台」を作る

奥谷孝司氏 奥谷孝司氏

――「Web人大賞」を受賞した心境は。

 2010年にWEB事業部を率いてから、「ネットと店舗の融合」を旗印にしてきました。やる以上は「良品計画のWEB事業部ってすごい」と言われるようになりたいと思っていたので、うれしい気持ちとともに驚いています。おかげさまで、現在「MUJI passport」は320万ダウンロードを突破しました。

 社外からは、「どうしたらうまくいくのか」と聞かれることが多くなりましたが、社内で、「MUJI passportは値引きツールなのでは?」という見方から、「良品計画の大切な資産」という認識へと変わったのは、ちょうどWeb人大賞をいただいた昨年の秋ごろです。私は、多くのファンを抱える「無印良品」というブランドや思想の中に、デジタルという要素をほんの少し加えたに過ぎません。店舗、商品部、そして使ってくださるお客様のおかげで、こうした賞を取ることができたと思い、本当に感謝しています。

――MUJI passportを開発した経緯は。

 構想を実現に向けて進み始めたのは2012年初夏のことで、13年5月にローンチしました。消費増税前に、お客様との関係性を深め、来店客数や客単価の向上に貢献したいという思いがありました。

 私はマーケティングとは、永遠の「ゼロサムゲーム」だと思っています。販促施策を実施するとお客様の関心は一時的に集まりますが、施策が終われば、関心はゼロへと下がってしまう。関心が下がるたびに右往左往して、「買ってくれ」とばかりに刺激的な施策を繰り返す。それでは根本的な解決にはならないと思うのです。

 そこで、この関心の「振れ幅」を少なくできないかと考えました。一度興味を持ったお客様とコミュニケーションを取り続けて「リレーションの土台」を作ればいい。その土台となるデジタルCRMプラットフォームを作ろうと思いました。(注・CRM=カスタマー・リレーションシップ・マネジメント 顧客と良好な関係を構築して満足度を高める施策)

顧客が関わりたいと思える環境を作りたい

――開発時に心がけたことは。

 「C to Bのコミュニケーション」を実現するために、できるだけ機能をシンプルにすることでした。「C to Bのコミュニケーション」とは、お客様の側から能動的にブランド関与してもらうことです。

 今や企業からの一方的な「B to C」の情報発信だけでは、コミュニケーションは成り立たなくなりました。私たちはこれまで、お客様に寄り添う「B with C」のコミュニケーションを目指してきて、2012年12月には、手作りお菓子の家キット「ヘクセンハウス」のキャンペーン「MUJI HOME MADE」(第12回モバイル広告大賞マーケティング部門「グッドブランディング賞」受賞)で、それを実現できた手応えもありました。

MUJI passport MUJI passport

 しかし企業が言いたいことよりも、お客様が感じている情報が広まってしまう時代です。もう一歩進んで、お客様が自発的に私たちに関わりたいと思ってくださる環境を作りたいと思いました。

 お客様自身でアプリを立ち上げ、チェックインして、商品を購入してもらう。そのためには、お客様の作業を極力簡素化することが必要です。その結果、アプリを立ち上げると画面に表示されるバーコードを、レジでスキャンしてもらうだけで「MUJIマイル」(マイル数に応じて、クーポンとして使える「MUJIショッピングポイント」などが付与される)がたまる機能をメインに据えました。今では、来店客の20%がアプリを提示してくれています。

 さらに、このアプリでは、店舗の半径600m以内に入って操作すると、10マイルたまる「チェックイン機能」もあります。必ずしも入店する必要はなく、店舗の近くにいるだけでかまいません。この機能の使われ方はとてもユニークです。

 一番多いのは朝7時~8時。売り上げ1位の店舗は有楽町ですが、チェックイン1位は乗降客が圧倒的に多い新宿エリアの店舗です。朝、通勤中に電車内でアプリを立ち上げ、乗り換えなどで利用する新宿でチェックイン。そして退社後の夜に自宅近くの店舗で購入。この機能を通じてお客様のこうした行動が明らかになり、「オフラインのコンバージョン」が取れるようになりました。

 当初、入店したらチェックインできるようにしよう、その後にプッシュ通知で情報提供しようと考えていました。しかし、結果的にご来店いただかなくてもお客様との接点ができましたし、通勤時間にクーポンや商品情報などをプッシュ通知していたら、きっと敬遠されていたでしょう。今でも、店舗からの意見を集約した「顧客視点シート」を活用して、アプリの仕様改善を繰り返しています。

事実やデータはクールヘッド ウオームハートで社内を説得

――なぜウェブサイトやポイントカードではなく、アプリにしたのでしょうか。

   

 1人1台に普及しつつあるスマートフォン(スマホ)なら、お客様ごとに「コミュニケーションのカスタマイズ」ができます。

 従来は誰が何を買ったか分析できないので、全てのお客様に値引き情報を提供していました。もともと「ポイント嫌い」の会社で、社内には「ポイントは値引き装置だ」という意識もありました。しかしお客様の顔が見えれば、その商品を好きな人に、ピンポイントに情報を届けることができる。そうすれば、最小限の値引きでも購入してもらえるかもしれません。

 長年の積み重ねで、「MUJI」というブランドは確立されましたが、「MUJI」というだけで売れるわけではありません。衣料品や生活雑貨などお客様によって購買動向の異なる商品を売っているのですから、「誰が買っているのか」をもっと知るべきです。

 財布よりスマホが大事というくらいモバイルファーストになりつつある時代なので、スマホにダウンロードしてもらえれば、お客様と日常的にコミュニケーションを取ることもできます。このアプリなら、「検討⇒購入⇒使用・消費」という小売業のビジネスプロセスの可視化もできる。こういう技術が、確実に店舗を応援する武器になるはずだと考えました。

――新しい試みをする際、社内の理解を得るために工夫していることは。

 熱く語って説得するだけでは、社内の理解を得られません。アプリで実現可能なことやデータ、会社や店舗にとってのメリットをクールヘッドで根気よく伝え、ウオームハートで思いを伝える。この両輪が必要です。

 「ダウンロード特典を40%の人が店頭で使ってくれた」「将来は値引き最小化ツールとして機能する」「キャンペーン価格で購入した人のうち何割がその後定価で買ったかがわかる」などの事実を地道に伝えていきました。

   

 「奥谷の施策でお客様が増えた」という結果が出れば、店舗からも「休眠顧客を掘り起こしたい」などの要望が出るようになります。味方になってくれる店長が増えれば、投資もしやすくなります。

 商品部で靴下や家具などを作っていた経験や、出向による海外勤務、ネットストアのリプレース、早稲田大学の夜間ビジネススクールに通っていた経験も生きています。様々な部署で働いてブランドの全体像がわかっているからこそ、このアプリを作りやすかったのかも知れません。

 失敗とは本人が決めるべきことではありません。途中でやめてしまうことが、失敗だと思っています。失敗したらまた挑戦すればいい。たくさん失敗しても、「実験ですから」と成功するまでいろんなことをやり続けることが大事なんです。

 今後は、「MUJI passport」の海外版を作り、海外の店舗でも使えるようにするつもりです。中国だけで100店舗以上あるので、そこで得られた知見をインバウンドマーケティングにも活用したい。世界のMUJIファンを、パスポートを通じて可視化したいですね。また、昨年7月にリリースした「MUJI to SLEEP」(「フィットするネッククッション」と連動し、快適な睡眠をサポートするサウンドアプリ)を使った施策も、現在企画しているところです。

奥谷 孝司(おくたに・たかし)

良品計画 WEB事業部長

1997年良品計画入社。3年の店舗経験の後、取引先の商社に2年出向しドイツ駐在。家具、雑貨関連の商品開発や貿易業務に従事。帰国後、海外のプロダクトデザイナーとのコラボレーションを手掛ける「World MUJI企画」を運営。2003年には良品計画初となるインハウスデザイナーを有する企画デザイン室を立ち上げメンバーとなる。05年衣服雑貨部の衣料雑貨のカテゴリーマネージャー。現在定番商品の「足なり直角靴下」を開発、ヒット商品に。10年WEB事業部長。「MUJI passport」のプロデュースで14年日本アドバタイザーズ協会Web広告研究会の第2回WebグランプリのWeb人部門でWeb人大賞を受賞。10年早稲大学大学院商学研究科夜間主MBAマーケティング・マネジメントコース(守口剛ゼミ)修了。