カメラは自作、工芸作品と混ざり合う古典技法のアナログ写真

 写真家の外山亮介氏は、広告写真や映像のカメラマンとして活躍する一方で、作品制作も精力的に取り組んでいる。伝統工芸の産地をめぐって若手職人の肖像写真を撮影するシリーズ「種」と「芽」は、2008年から10年越しで手がけている作品だ。現在制作中の「芽」という作品は、薬品を塗布したガラスに光を焼き付ける「アンブロタイプ」という写真の古典技法で撮影を行っている。薬品も自ら調合し、カメラも自作。手間と時間をかけて撮影する、その原動力と魅力について聞いた。

──2008年に「種」という作品を制作されました。なぜ、伝統工芸の産地をめぐって若手職人の肖像写真を撮ろうと思ったのですか。

※画像は拡大表示できます 外山亮介氏と自作のカメラ

 実家は祖父の代から続く着物の染物屋で、父は今も染匠をしています。僕は男3兄弟の末っ子なのですが、誰も家業は継いでいません。継ぐべきなのか気になって父に聞いたことがあるのですが、「着物を着る人は減っているから、やめておけ」と。けれども、心のどこかに「継がなくてよかったのか」という思いがあったんです。実際、僕と同じような境遇でも、伝統工芸を継いでいる人たちはいます。自分と同世代の職人たちは、今の状況をどう感じ、どんな思いでものづくりを行っているのか。直接会って話を聞いてみたいと思ったことが、産地をめぐったきっかけです。

──若手職人とは、どうやって知り合ったのですか。

 何のツテもなかったので、伝統工芸の産地にある組合に趣旨を説明して、30歳前後の若手職人を紹介してもらいました。「一番若くても60歳前後」と言われることも少なくなかった。最終的には20名の職人と知り合うことができましたが、出発した時点では何も決まっていませんでした。本当に撮影できるのか分からないままスタートし、日本全国の産地を約3カ月間、カメラを持ってバイクでめぐりました。

──撮影する前に、10年後の自分に宛てた手紙を書いてもらったそうですね。

 狙いは、職人たちの気持ちを引き出すことでした。10年後の自分に宛てた手紙を書くとき、自(おの)ずと今の自分と向き合いながら未来について考えるはず。その後に撮影をすれば、手紙を書いたときの気持ちが表情に表れるのではないかと仮定しました。実際、みなさんとてもいい表情でした。10年後、再び撮影に訪れることを約束して、手紙は書いた本人に封をしてもらって僕が預かりました。だから、僕も手紙の中身は読んでいません。現在、「種」につづく「芽」という作品を制作しています。10年前に書いてもらった手紙を持って、20名の職人のもとを訪ねている真っ最中です。今度は手紙を読んでもらってから、アンブロタイプという古典技法で撮影しています。

──「種」はフィルムカメラでの撮影でした。今回、アンブロタイプで撮影する意図は。

 2008年に職人と出会い、自分もつくり手になりたいと思ったからです。僕が知り合った工芸の職人たちは、根の部分からものづくりをしています。たとえば、焼き物なら窯をつくるとこから始まる。そんな工芸のものづくりに刺激され、自分も何かつくりたくなった。写真はアナログといっても、カメラはもちろん、フィルムも印画紙も全て既製品。何一つ自分ではつくっていません。

 また、伝統工芸の産地をめぐって職人を紹介することは、既にいろいろな方が行っています。それらとの違いを出すためにも、「芽」という作品は職人と対等につくり手として、制作する方法を考えることにしました。

 最初に思いついたのは、工芸の職人たちに写真用の額縁をつくってもらうことでした。ただ、その額縁に印画紙に現像した写真を入れても、額縁とはつり合わないことが想像できた。そこで、写真自体で何ができるか考え、あらためて写真の歴史を勉強することにしました。

試行錯誤の痕跡
4×5フィルムから、感光化させた手漉きの和紙に焼き付け
南部鉄器の額縁と紙のネガから和紙に焼き付けた写真作品

 最初に試したことは、フィルムを和紙の上に載せて太陽光で焼き付ける古典技法です。そこからスタートして、紙のネガを自作して和紙に焼き付けてみました。そのとき自分が「ものをつくっている」と実感できた。それで、南部鉄器の職人に額縁をつくってもらいました。その額縁に紙のネガからつくった写真をいれてみると、工芸と写真、それぞれの作品が混ざり合った。それからさまざまな手法を模索し、1年ほど前から薬品を塗布したガラスに直接光を焼き付ける、「アンブロタイプ」という古典技法の研究を始めました。

──薬品の調合だけでなく、巨大なカメラを自作し、移動しながら作業できるように車を暗室として使えるように改装もしました。

 アンブロタイプは、光を焼き付けたガラスそのものが写真作品になるため、焼き増しも、後からサイズを変更することもできません。あらかじめ撮りたい写真サイズのガラスを用意し、それをセットできるカメラが必要になります。

「芽」より。被写体は、南部鉄瓶をつくる職人の佐藤圭さん

 「芽」という作品は撮影当初から、完成したら展示をしたいと考えていました。展示をするなら、小さい作品よりも、まるでそこに人がいるかのように、実寸サイズの作品のほうが、インパクトがあるはず。検討した結果、作品のサイズは50センチ×60センチに決めました。それがセットできる巨大なカメラが必要なので、自作することにしました。

 アンブロタイプは、暗室でガラスに薬品を塗り、光に触れないように箱形のケースに入れます。それをカメラにセットして、薬品が乾かないうちに撮影。すぐに暗室に戻って現像します。その作業を撮影現場で行う必要があるのです。そこで、中古のウォークスルーバンを購入し、荷室部分を暗室として使えるように自分で改装しました。

 やりたいことが先にあり、それを実現するために道具もつくる。それは、工芸の職人たちもみんな同じ。いわば、そうやって写真も進化してきたのです。モノクロしかなかった時代に「カラーで残したい」「暗いところでも撮りたい」といった思いから技術革新が進み、スマートフォンで誰もが気軽に撮影できるようになりました。アンブロタイプは準備から現像まで3時間はかかりますが、スマートフォンなら一瞬でシェアできる。その技術革新は本当にすごい。写真のルーツに立ち返ったことで、デジタルの優れた点をあらためて実感しています。

──今回の撮影では、活動資金を募るクラウドファンディングも実施し、見事目標金額に達成しました。

 クラウドファンディングは、資金集めはもちろん、活動を少しでも多くの人に知ってもらうために実施しました。展示のリハーサルのつもりで2017年に初めて個展を開催し、たくさんの方が足を運んでくれたのですが、その多くが知り合いだった。そのとき、僕を知らない人たちにも来てもらうためにも、もっと情報を広めていく必要があると実感し、その手始めとしてクラウドファンディングに挑戦することにしました。

 展示会場では、職人たちの制作工程の映像も流す予定です。映像を通じて、ものづくりの現場の張り詰めた時間の流れを体感してもらってから、写真や工芸品をじっくり見てもらいたいと考えています。

職人の洗練された所作や息遣いは映像で残していく

感動が全く伝わってこなかった旅行写真

──写真家として活動するきっかけは。

 大学卒業後はテレビCMの制作会社に就職し、2年ほど進行管理などを担当していました。もともと写真を撮ることや旅行が好きでしたが、カメラマンになるつもりはなかった。写真に目覚めたきっかけは、思ったとおりに写真が撮れないことに衝撃を受けたからです。

 制作会社を辞めた後、リコーのコンパクトフィルムカメラ「GR1V」とポラロイドカメラ「SX-70」を持って、中南米を旅行しました。心を揺さぶった絶景や風景、出会った人たちなどを撮影し、東京に戻って現像したら、そのときの感動が全く伝わってこない写真だったんです。それから思った通りに写真を撮ってみたいと考えるようになり、写真スタジオで働くことにしました。その後、NGOのカメラマンのアシスタントを経て、フリーになりました。

中南米旅行でのポラロイド写真 ニカラグア コーン島(左) ペルー マチュピチュ(右)

──フリーになってから、どうやって仕事を得たのですか?

 2008年に制作した作品「種」が完成したので、以前、働いていた制作会社の人や知り合いに見せていました。そのとき、ある制作会社の方から「人物を撮るのがうまい」と褒めていただき、仕事を依頼してもらえるようになった。

 これまで、あまり営業をしたことはありません。それでも仕事を得ることができたのは、時代も良かったからだと思います。フリーとして活動するようになった頃から一眼レフのデジタルカメラで動画が撮影できるようになり、インターネットも普及してホームページで映像を流したい企業も増えてきました。さらに、かつて働いていた制作会社の先輩たちがプロデューサーになり始めていました。そうした色々なタイミングが重なって、「一緒に仕事をしよう」と映像の仕事で声をかけてもらえるようになりました。

──今後の展望を聞かせてください。

 工芸を盛り上げるために、職人たちはデザイナーと一緒になって、今の生活スタイルに合わせたものづくりに挑戦しています。とても素晴らしい試みで、素敵なものもたくさん生まれているのですが、それだけでは長続きしないような気がします。たとえば、日本人の暮らしに「日本らしさ」をあらためて取り入れ、作り手と使い手の双方から歩み寄ることも必要だと思います。

 工芸の産地をめぐり、「ここを打ち出せば、もっと面白いのに」と気づくこともあります。それは自分が東京で生まれ育ったからこそ、気づくことができる。そんな文化の中に自分が飛び込んでみたら、何か自分にもできることがあるかもしれないと思っています。子どもが小学校に入学するというタイミングでもあり、2019年4月に京都の田舎に引っ越すことも決めました。もちろん、住んでみないと分からないのですが、新しい活動や自分なりの表現などが生まれるのではないかと期待しています。

外山亮介(とやま・りょうすけ)

写真家

1980年、東京の着物の染め屋の三男として生まれる。中央大学卒業後、映像制作会社・太陽企画に勤務。2005年、カメラを持って中南米を半年かけて回る。06年、桜前線を追いかけ撮影しながら日本を縦断するプロジェクト「Under the Cherry Blossoms」に参加。代官山スタジオに入社。フリーランスのアシスタントを経て、現在は写真と映像のカメラマンとして広告などの仕事を手がける傍ら、自身の写真作品制作を続けている。08年、作品「種」を制作。16年、桜前線を追いかけ2度目の全国撮影の旅を行い、Roppongi Basecampにて「旅、光と桜」展を開催。18年、「種」の続編「芽」を撮影中。
http://ryosuketoyama.jp/