ゆとりと遊び心が失われていくなか 社会への態度、哲学の表明が重要に

 バブル崩壊とともに始まり、経済の長期低迷が続き、2度の大震災もあった平成の30年間。モノが売れず、かつてより広告やメディアの力が弱まったとも言われる時代である。そんな時代にどんなクリエーティブやプロモーションが注目を集めたのか。また今後の新聞広告の可能性とは。本誌の前身『広告月報』に長年、「21世紀広告紀行」を連載し、近代から現代の広告を知り尽くす岡田芳郎氏に聞いた。

──平成30年を振りかえり、印象に残っている広告を教えてください。

豊島園・平成2(1990)年4月1日付
 朝刊1.2MB

 初期の作品として、まずは平成2(1990)年のとしまえん「史上最低の遊園地。」をあげたいですね。自らを徹底的にけなす、常識ではありえないクリエーティブでした。デザインもあえて野暮ったくしていますが、実は計算されつくしています。昭和の広告全盛期にあった発想の豊かさ、遊び心も感じられます。

──その後バブルが弾け、日本経済は長期低迷へと向かいます。

 社会からゆとりがなくなり、広告からも遊び心が失われていきます。平成7(1995)年の阪神淡路大震災以降、その傾向はさらに強まります。ただ震災と関連したもので、よく出来たものもありました。例えば、阪神淡路大震災直後に掲載された松下電器(現パナソニック)の広告です。真っ暗になった神戸の街のホテルの窓に灯りをつけ、「ファイト」の文字を浮き出させたビジュアルは、被災者を大いに勇気づけました。

 東日本大震災の後にグーグルが展開した「未来へのキオク」プロジェクトも良かったですね。震災によって失われた写真や動画を全国から集め、被災者の思い出を復興し、元気づけようとの試みでした。


──震災後、経済や物質的な価値の追求より、心の豊かさを重視する風潮も強まりました。

岡田芳郎氏

 社会貢献をテーマにした広告が増えたのも平成の特徴ですね。なかでも秀逸だったのが、平成5(1993)年のベネトンジャパンの「リ・ディストリビューション・プロジェクト」です。先進国の人に不要になった服の提供を呼びかけ、貧しくて服が買えない人へ配る、世界規模のソーシャルキャンペーンでした。全裸のベネトンの社長を登場させ、「わたしの服を返してください」との文字を大きくかぶせたティザー広告も衝撃的でした。

 平成14(2002)年からはエイボンが乳がん撲滅キャンペーンを始めます。「口紅1本でできるボランティア」として寄付金付きの口紅を販売する、社会貢献とからめた上手なセールスプロモーションでした。

──平成は環境問題をテーマにした広告も多かったですね。

 平成2(1990)年にボルボが「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生み出しています。」というコピーを掲げた、文字だけの新聞広告を掲載しました。これまでの自動車メーカーでは考えられないネガティブアプローチには、衝撃を受けました。トヨタも平成9(1997)年から、環境や資源問題に対する姿勢を示すシリーズ広告「エコプロジェクト」を始めます。

 環境をテーマにした広告で私が一番すばらしいと思ったのが、平成19(2007)年に旭化成が掲載した「水の星、ふたたび。」です。「昨日まで世界になかったものを。」シリーズの第一弾で、30段全面に広がる干上がった湖の写真に目を奪われました。インパクトあるビジュアルで問題提起をし、次ページで旭化成の技術を紹介するという、新聞の大きな紙面を生かしたドラマチックな企画でした。

旭化成・平成19(2007)年8月1日付 朝刊1.1MB

──他に新聞ならではの特性を生かした広告で印象に残っているものはありますか。

 ビジュアル的にすばらしかったのが、平成23(2011)年の東芝「10年カレンダー」です。LED電球の長寿命を、ある男性の「10年間の幸せな暮らし」で表現したものです。計60段全体に広がる3,653個の窓のなかに、独身時代から新婚、子供の誕生と、10年間の日常風景がシルエットで映し出されています。一つひとつの画像が面白く、全部見入ってしまいました。

東芝・平成23(2011)年7月31日付 朝刊239KB

東芝・平成23(2011)年7月31日付 朝刊2.2MB

東芝・平成23(2011)年7月31日付 朝刊368KB

 平成15(2003)年1月のホンダの広告も印象に残っています。ヒューマノイドロボット「ASIMO」や燃料電池車を図鑑風に紹介し、親子で楽しめ、教育的効果もある広告でした。このように親子や家族でともに楽しめるコンテンツは、これからも新聞広告が大切にすべき視点だと思います。

 社会的意義のある啓発や啓蒙(けいもう)的な広告も新聞ならではですね。脳梗塞(こうそく)の治験の協力者を募集した藤沢薬品や、緑内障チェックシートとして使えるファルマシアのもの、飲み過ぎ注意を訴えるサントリーの広告などが、とくに印象に残っています。

── ネット時代の今、新聞広告の意義をどのようにお考えですか。

 新聞の影響力はかつてより低下したとはいえ、読者の行動や心、生き方に影響を与える力は、まだ他メディアより圧倒的に強い。また企業にとって新聞広告は、社会のなかで自社がどのような存在意義をもつのかを見つめ直し、広く発信する、存在証明のような役割をもっています。

──今後の新聞広告はどのような方向に進むとお考えですか。

 企業の意思、思想を語る、より経営理念と結びついたコミュニケーションが増えてくると思います。例えば、平成10(1998)年の「クレージーな人たちへ。」のキャッチで始まる「Think Different」キャンペーンは、アップルの企業哲学を表明する優れたアドボカシーアドでした。これからの時代は、あのような企業の人格やパーソナリティーの表明、肉声や本音を感じさせるコミュニケーションがますます重要になってきます。そんな企業の思いや熱をコミュニケーションパワーに変えるためにも、経営者と密に結びついて可視化する役割を担うクリエーティブディレクターが、より必要とされるでしょう。

──若いクリエーターへのメッセージをお願いします。

 ぜひ過去の優れた作品、古典から学んでほしいですね。例えば昔のクリエーターは、戦前のコピーライター・片岡敏郎のような人に憧れ、目標にしていました。どんな表現の世界でも、古典といわれる作品を知らずにものをつくることなどありえません。そうした蓄積が根っこにあってこそ、より優れたもの、深みのある表現が生まれるのだと思います。

──最後に、平成の広告で好きなものを一つだけあげるとしたら?

 宝島社の樹木希林さんを起用したものでしょうか。個人の死生観をテーマにしながら、企業広告としても成り立つ、不思議な作品でした。とくに希林さんが亡くなった後、平成30(2018)年に出た「あとは、じぶんで考えてよ。」には圧倒されました。無邪気だった昭和と違い、屈折していて、何かと難しい時代だった平成を締めくくり、未来へとつなげる。そんな含蓄ある言葉です。

宝島社・平成30(2018)年10月29日付 朝刊1.6MB

岡田芳郎(おかだ・よしろう)

1956年電通に入社。営業企画局次長、コーポレートアイデンティティ室長、電通総研常任監査役を務め98年に退職。都市イベントプロデュース、CIプロジェクトの推進、企業メセナ協議会の創設に尽力。著書に『日本の歴史的広告クリエイティブ100選』『日本の企画者たち』など多数。