
市場シェアの低いブランドは、浸透率の面で劣り顧客数が少ないだけでなく、顧客1人あたりの購買頻度(ロイヤルティ)も低いという「二重の苦しみ(Double Jeopardy)」に直面する。少数の熱狂的ファンが支えるブランドというポジションは「幻想」であると説く。
小さなブランドが背負う「二重の苦しみ」
「これからはマスの時代ではない、個の時代だ」
「広く浅くではなく、狭く深く愛されるブランドを目指すべきだ」
ここ数年、SNSマーケティングやD2Cの現場で、幾度となく語られてきたフレーズだ。一度は書籍やセミナーなどで聴いたことがあるだろう。確かに、生活者の価値観が細分化し、SNS上のボトムアップな熱狂、いわゆる「Hype」がブランドを押し上げる現象は日常茶飯事となった(Hypeについては過去の当連載記事を参照)。
だが、それらは「物語」としては美しく納得力も高いが、実際の行動データとは不整合である。それが、マーケティング・サイエンスの進展によって明らかになった「ダブルジョパディ(二重の受難)の法則」である。前回の「メンタルアベイラビリティ・フィジカルアベイラビリティ」に続き、バイロン・シャープ氏らによって唱えられたことで知られている。
ダブルジョパティの法則とは、簡潔に言えばこういうことだ:
「シェアの低いブランドは、顧客数が少ないだけでなく、顧客の購買頻度(ロイヤルティ)も低い」
直感的には、「ニッチなブランドは顧客数こそ少ないが、その分、熱狂的なファンに支えられており、リピート率は高いはずだ」と思いたくなる。しかし、現実には、シェアの大きなトップブランドは、多くの顧客を持ち、かつリピート率も高い。一方で、小さなブランドは顧客が少なく、さらにその少ない顧客すらも滅多に買ってくれない傾向にある。
それは、生活者が基本的に「スイッチャー」であるためだ。一つのカテゴリ内で、複数のブランドの商材を買い分けるのはむしろ常態である。そして、そのカテゴリーに興味関心があり、その熱量を持って特定のブランドへの偏愛(ロイヤルティー)を持つ消費者ほど、そのこだわりから多様なブランドの商品を試したり組み合わせたりするものだ。バイロン・シャープ氏はそれを「ロイヤル・スイッチャー」と呼ぶ。
コーヒーを毎日飲むヘビーユーザーほど、スタバだけでなく、コンビニ・缶コーヒー・インスタントも横断している。そうした事例には枚挙にいとまがない
もちろん、子細に検討していくと、例えば購入頻度の少ない商材であったり、サブスクリプション型のサービスであればスイッチングが起きにくかったりするなどの例外はある。しかしながら、大勢としては、小さなブランドは「浸透率(ペネトレーション)」と「購入頻度(ロイヤルティ)」の両面で不利な戦いを強いられる。これが「二重の受難」と呼ばれるゆえんである。
アルゴリズム時代だからこそのマス広告の機能 そして「知られる」ことのその先へ
なぜこのような現象が起きるのか。その鍵を握るのが「メンタル・アベイラビリティ(想起されやすさ)」である(過去の当連載記事を参照)。そして、ここでこそ「マス広告」が重要な役割を果たす。
SNS全盛の今、Hypeは確かにボトムアップで生まれる。しかし、アルゴリズムは「関心のある人」にしか情報を届けないため、その熱狂は狭いコミュニティ内に閉じ込められがちだ(フィルターバブル)。
一方で、テレビCMや交通広告といったマス広告は、本人の関心の有無にかかわらない、偶発的な出会いをつくりだす力能を有する。
「喉が渇いた→コーラ」のように、生活者の脳内検索のトップを占有するためには、広範なリーチが不可欠なのだが、主にデジタルが顕在層の獲得に有効なのに対して、マス広告はそうした「脳内の棚」を確保するメンタル・アベイラビリティの獲得装置として潜在層にも広くワークする。この土台があって初めて、ブランドはニッチの壁を越え、ダブルジョパディの法則を乗り越えることができるというわけだ。
では、マス広告を打てない新興ブランドに勝ち目はないのだろうか?
実は、成功しているD2Cブランドは、段階的にこの法則を攻略しているのだった。
初期段階では、往々にして「単価」を上げて高付加価値化するか、「サブスクリプション」の仕組みで頻度を固定化するという戦略が図られる。
しかし、例えばBASE FOODやYOLUのようにD2Cに端を発し、そこから突き抜けたブランドは、さらに一歩を踏み出し、コンビニなどの物理的な配荷とテレビCMなどのマス施策へ一気に舵を切っている。「知る人ぞ知る」でいる限り、シェアは広がらず、ロイヤルティも頭打ちになることを知っているからこその打ち手だと言えるだろう。
ダブルジョパディの法則が教えてくれるのは、「ロイヤルティは、ペネトレーション(浸透)の後についてくる」という順序の大切さである。
SNSで生まれたHypeを、一過性の流行で終わらせないためには、すそ野を広げ、それを多様な人々に定着させるメンタル・アベイラビリティの構築が欠かせない。熱狂を作るだけではブランドは育たない――熱狂が“広く行き渡る条件”こそ、広告の仕事である。
「誰にも知られていないけれど、知っている人だけは猛烈に愛してくれている」という状態はロマンチックだが、ビジネスとしては脆い。かつて「広告はラブレターだ」と例えられた時代があったが、その言辞はこの意味においても誤っていたというわけだ。
アルゴリズムによる「個」の最適化が進む現代、このダブルジョパティの法則はもっと広く認識されてしかるべきではないだろうか。そして、この立場に立脚すると、「広告は不要」論への反駁にもなる。常に新しく一見さんを呼び込み続けることではじめて、ロイヤルカスタマーが出現する可能性を得ることができるのだ。
天野 彬(あまの・あきら)
電通メディアイノベーションラボ 主任研究員
1986年生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。若年層の消費行動やSNSのトレンドに関する研究・コンサルティングを専門とする。近著に『新世代のビジネスはスマホの中から生まれる―ショートムービー時代のSNSマーケティング―』。その他、『シェアしたがる心理』、『SNS変遷史』、『情報メディア白書』(共著)、『広告白書』(共著)等。明治学院大学非常勤講師。セミナー登壇やメディア出演の経験多数。
〈参照文献〉
バイロン・シャープ 著 / 前平謙二 訳
『マーケティングの科学 セオリー・エビデンス・実践で学ぶ世界標準の技術』第2章
(2025年、朝日新聞出版社)