新車発売のタイミングに合わせ、震災後の第一声を新聞紙上で発信

 「これからも、夢を量産しようと思う。」――6月17日、本田技研工業は、こんなコピーを大きく掲げた全面広告を朝日新聞紙上に掲載した。これは、3月11日以降、すべての広告活動を自粛してきた同社にとって、事実上の震災後の第一声だ。震災から3カ月間余りの沈黙の間、何に悩みどんな迷いを経て、このメッセージにいきついたのか。震災後の今、企業は人々に何をどう伝えるべきか。同社営業開発室の原 寛和氏に話を聞いた。

モノがつくれなくなったメーカーが、真っ先にやるべきこととは?

――震災後6月17日まで、広告活動をいっさい行いませんでしたね。

原 寛和氏 原 寛和氏

 震災で、弊社でも栃木地区を中心にいくつもの事業所が被害に遭い、生産がストップしてしまいました。あのとき、まず我々が考えたのは、お客様のことです。納車の日を楽しみに待っている方がたくさんいるのに、お届けすることができない。モノをつくることが我々メーカーの仕事なのに、モノづくりそのものができなくなってしまった。そんな状況にあって、復旧のめどがしっかり立たないうちに、広告活動を再開することは、ちょっと考えにくかった。やはり、コミュニケーション活動は、モノをつくり、届ける態勢がある程度まで整ってからにすべきだろうと。

 でも、それはいったいいつになるのか――。これがなかなか見えてきませんでした。震災から3週間後くらいには、事業再開の一応のめどがついてきましたが、部品供給に課題が残っていた。部品メーカーさんの状況によっても変わるため、復旧の時期は非常に読みにくかった。

 お客様との接点である販売店は、お待ちいただいているお客様のところへ何度も足を運んで説明するなど、たいへん苦労していました。メーカーからの情報発信が何よりも求められていることは、よくわかっていました。一方で、弊社のお客様相談室や広報には、お客様から応援メッセージもちょうだいしており、ありがたいやら申し訳ないやら。すぐにでも思いを伝えたい、コミュニケーションを始めたい。でも、まだ、モノが届けられない。そういった状況で、スタートの時期についても、何をどう伝えていくかについても、悩みつつ、迷いつつ、議論を重ねながら作業を続けてきました。

2011年6月17日付 朝刊 2011年6月17日付 朝刊

――4月から5月にかけて多くの企業がCMの自粛を解き、自動車メーカー各社も広告活動を再開しました。御社が出稿のタイミングを6月17日にされたのはなぜでしょう?

 もともと3月17日に「フィット シャトル」という新商品を発売する予定でいました。震災前の段階ですでに1千人以上の方にご予約いただいていたのに、震災で発売を延期せざるを得ない状況になっていました。

 新車の発売というのは、自動車メーカーにとっては最大のニュース。だから、復旧への取り組みが進む中、「フィット シャトル」の生産ラインが少しずつ稼働に向けて動き出すと、社内でも自然に「フィット シャトルの生産開始に合わせて、広告を出稿しよう」という機運が盛り上がってきた。

 モノづくりが再開しました、新型車がみなさんの元へお届けできるようになりました――これって、考えてみれば、我々メーカーにとっての、復旧のメッセージそのものなんですよ。であるなら、震災後、最初の我々からのメッセージは、「フィット シャトル」の発売のタイミングに合わせるのが一番いいのではないか、と考えたのです。

 最終的には6月16日に新車の発表ができそうという体制が整ったことを受け、翌17日の朝日新聞全国版に広告を掲載、その日の夜からテレビCMスタートという運びになりました。

新聞は、思いを伝える手紙に最も近いコミュニケーションができる媒体

――震災後の第一声を載せる媒体として新聞を選んだ理由は?

 新聞で行こう、ということはかなり早い時期に決めていました。というのも、我々が真っ先に伝えるべきは、モノがつくれなくなってしまったことへのおわびであり、そんな状態になっても応援していただけていることへの感謝、そして、ホンダはこれからもモノづくりをがんばっていきます、という決意でした。おわびやお礼の“手紙”を書くイメージ、とでも言えばいいでしょうか。思いを伝える手紙に最も近いコミュニケーションができる媒体は、新聞だった。

 それから、地震が起こったときにたまたま仙台にいて被災した友人から、「避難所では新聞の回し読みをしている」と聞かされていたことも、僕の中では大きな理由のひとつです。被災したみなさんに届くメディアとして新聞は外せないと思った。

 さらに、その“手紙”は、被災地の方々はもちろんのこと、被災地から遠く離れた西日本に住んでいる人たちにも読んでもらいたかった。というのも、被災地に心を寄せながらもそろそろ普通の生活に戻ることで復興支援につなげようと考える人が増えている、と西のほうからは聞こえてきていたにもかかわらず、我々は生産を止めざるを得ず、普段の生活の足となる自動車をお届けできないでいたからです。だから、我々の第一声は、日本全国に届くものでなくてはならなかった。新聞広告の全国版での展開はそんな中で決まっていきました。

――「これからも、夢を量産しようと思う。」というコピーがたいへん印象的でした。

 これはもう、何パターンつくったか数え切れないほどつくりました。4月の終わりにできあがっていたコピーはもっと“復旧感”が強いというか、今こそ立ち上がるぞ、というようなトーンだった。でも、ゴールデンウイークを過ぎると、普通に戻れる人から戻った方がいいという方向に世の中の流れが変わってきましたよね。そんな中で、「夢」をブランドスローガンに掲げるホンダとしても、「被災をしてお客様にご迷惑をかけたけれど、だからこそ先を見据えて前に進むんだ」というメッセージを出そう、ということになっていきました。

 とはいえ、キャッチコピーで何を言えばいいんだろう。いくつか案はありましたが、本当に決めにくかった。ちょうどそんな時、東大に「希望」を学問的に研究するプロジェクトがあるという話を聞き、そこでは希望を「具体的な何かを行動によって実現しようとする願望」と定義していることを知りました。あ、これだと思った。何かを実現するため起こす具体的な行動こそが「希望」の本質なら、僕らメーカーにとっての具体的な行動は、やっぱり夢のある商品を開発してどんどん生産すること、つまり量産すること他ならないし、その行動こそがお客さんとホンダがつながっていく「希望」ではないか――そんな思いが、「これからも、夢を量産しようと思う。」というコピーにつながっていきました。

――広告の反響はいかがでしたか?

 勇気づけられたという声や、通勤途中に読んでこみ上げてくるものがあったという感想、その他たくさんのご意見を広報やお客様相談室にお寄せいただき、とてもうれしく思っています。内容も出稿の時期も本当に悩み抜きましたが、お客様からのこんな反響を得て、ようやくこれでよかったのかなと思うことができました。

――震災後の広告コミュニケーションはどうなっていくのでしょうか?

 エネルギー問題への注目が高まる中で、自動車メーカーがどんな役割を果たしていくか、どう貢献できるかという視点をもって行動していること、それをしっかり伝えていくことが大切になると思います。

 具体的には、このボディーコピーの後半でも触れているように、ハイブリッドカーや電気自動車、 さらには、太陽光発電や家庭用コージェネレーションなどへの取り組みということになるでしょう。これらをもっともっと進めていくことの先にある、ワクワクする未来を描きたい、お客様の夢につなげたい、という思いをこれまで以上に意識してコミュニケーションしていく必要がある。

 その意味では、今回のこのコピーは、今後コミュニケーション活動を行っていくにあたっての、我々の基本的な姿勢というか、核心的な部分をしっかりと示したものになっていると思っています。