本質的な知恵で勝負。新しいことを柔軟に理解し、広い領域で活動

 広告会社、映画会社、メーカーからオリンピック招致委員会、そして、政府へ――。マーケティングという仕事に情熱を注ぎ、業界や業種にとらわれることなく自在にキャリアを重ねてきたのが、加治慶光氏だ。これまでの経歴、そして、現在の内閣官房内閣広報室 内閣参事官という仕事にかける思いなどを聞いた。

映画、自動車、スポーツ、そして、「日本」――好きなもの・興味のあることを「偶然」の出会いで仕事に

――これまでの経歴を聞かせてください。

加治慶光氏 加治慶光氏

 大学卒業後は、銀行に入行しました。学生時代からマーケティングの仕事に興味があり、先輩から「これからの金融業界はマーケティングの仕事が重要になってくる」と聞いて志望したのです。しかし、業界のそうした本質的な変化には時間がかかると考え、2年後に広告会社に転職。主に国内の外資企業の仕事に携わりました。その後、それまでの経験をもっと究めたいと考え、ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院に入学、MBAを修了しました。

 帰国後は、日本コカ・コーラで「コカ・コーラ」「ジョージア」などを担当、その後、タイム・ワーナーに転職し、映画宣伝部長として「マトリックス」「A.I.」などの作品を、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントに移籍後は「スパイダーマン」などを手掛けました。

 その後、2005年日産自動車に入社しました。国内マーケティングを担当していたとき、「スカイライン」と「NISSAN GT-R」に携わりました。「スカイライン」は日本の自動車が興隆期にあった1957年に誕生、当時セダン型が主流だった中、スポーティーなルックスと走りが人々のあこがれをかき立て、若者層を中心に不動の人気を誇りました。ところが、日本の自動車産業の成熟とともに、機能や形はもちろん、人々の興味や需要が多様になり、さらに最近では自動車への興味自体が薄れてきた。当然、スカイラインに対するあこがれも落ちていきました。調査してみると、現在の若者にとっては「大人の車」であり、年齢の高い人たちには「走り屋の若者の車 」と思われていて、誰も「自分の車」だと思っていなかったのです。誕生50周年を機に、古くなってしまったイメージを覆し、もう一度スカイラインの、そして自動車のおもしろさを取り戻そうと、「日本のクルマに、ときめきが帰ってくる。」というコンセプトで様々なコミュニケーションを展開しました。

 2009年の半年間は、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会に出向、企画と広報を担当しました。開催する上での日本の治安や安全性、いかにスポーツがわれわれ日本人の日常生活になっているか、そして地球環境を配慮した21世紀型のオリンピックの意義や、それを実現できる日本の技術力などを、IOCにアピールしました。残念ながら落選してしまいましたが、非常に完成度の高いプレゼンテーションができました。

――現在は内閣官房内閣広報室で内閣参事官をつとめています。どのような経緯で今に至ったのでしょうか。

 オリンピック・パラリンピック招致委員会への出向から戻った日産での最後の1年間、電気自動車の「日産リーフ」を担当しました。電気自動車については、自動車を作るだけでなく、たとえばバッテリーも同時に作る、そのバッテリーを2次利用する仕組みを整える、コンビニやショッピングモールに急速充電器を設置する、さらに、家で充電・蓄電するようになれば家をネットワーク化して電気を最適化する……など、もはや「自動車メーカー」としての枠を大きく超えています。日産では、「ゼロエミッション社会に向けた包括的な取り組み」と位置づけ、業界を超え、さらにグローバルな展開を推進しています。

 そうした中で国内外の政府の方々と話をする機会がたくさんあり、企業と政府が連携することの重要性を強く感じるようになりました。自分なりに貢献できることが、そこにあるのではないかと。そんなことを友人と食事したときに話したら、内閣官房の国際広報の一般公募がある、と教えてくれたんです。ちょうどAPECが横浜で開催され、来日した要人に対して日産のゼロエミッション社会への取り組みをPRするコミュニケーションのプロジェクトが終わり、また日米欧州で日産リーフが発表されたタイミングでした。内閣の知り合いに聞くと、今年1月に国際的に非常に重要な「ダボス会議」が開かれるので一刻も早く来てくれ、という話になり……。私自身もこのままでは日本の地位があっという間に落ちていくのではないか、という危機感があったので、年内で日産を辞め、年明け早々着任しました。これまでの仕事もずっとそうだったのですが、今回も縁や偶然としかいいようのない流れだったと感じています。

――お仕事の内容は。

 主に海外における日本のブランディングです。日本の魅力をどうやって伝えていくべきかを考え、実行していく仕事を行っています。一方で、日本人に対しても自国への誇りを持ってもらうような仕組みを作り、さらに、世界から日本がどう映っているのかを客観的に知らせていくことも重要な責務です。

 また、TBSで報道記者をしていた下村健一さんが、やはり民間から入られ、首相や政府の活動を伝えようと「KAN-FULL BLOG」という首相官邸ブログを立ち上げました。報道などではなかなか伝わらない内閣や政府の取り組みを、映像コンテンツも駆使し、タイムリーに情報発信をしています。菅首相自らが語る言葉もアップしており、ぜひ多くの人に読んでいただきたいですね。まだまだ認知度が低いので、広報を強化することが現在の課題です。

 内閣官房に入ってわかったのですが、政治家の方々も官僚の皆さまも、とても情熱を持って私心なくこの国をよくしようと頑張っている。その姿と世の中の受け止め方があまりにも違うことに、戸惑いを感じます。しっかりと情報を開示して、その上で国民が判断できるような広報戦略を考えていくことが、私をはじめ、広報担当の急務の課題です。

変化の中で生き残るために自らが変化し続ける

――様々な業界で仕事をし、さらに今度は民間から政府へと移られました。非常に珍しい経歴だと思うのですが。

 映画、自動車、スポーツ、そして大好きな国「日本」と、私自身が興味を持っていて、情熱をかけてできそうなことを、いろいろな方々にお世話になりながら仕事にしてきた。その結果です。自分が興味を持っていることを人に話したり、その分野の人に会ったりする中で、「こういう仕事があるんだけど」と声をかけてもらったり、あるいは「何か手伝えな いか」と自分から申し出たりして、巡り合ってきました。今回、民間から政府に移ったことで、公共の立場にいることを十分に配慮しなければいけませんが、「伝えるべきことを的確に、効率的に、そして魅力的に伝える」という根本的な仕事の内容ややり方は、何も変わっていません。

 実はアメリカのホワイトハウスには、民間からたくさんの人が入って働いています。民間と政府との間の人材の行き来が仕組みとして成立しているのです。そして、アメリカの広告会社にとって、大統領選は「マーケティングのF1」と言われるほどで、大統領選にかかわることは最もエキサイティングと言われています。選挙制度が違うので日本で同じ仕組みができるかは難しいところですが、もう少し民間と政府の垣根が低くなるといいですね。そして、企業で積み重ねた経験や知恵を持った人が、優秀で高い理想を持った官僚の方々とチームになることでよりよい行政が実現できれば、国民の皆さまにより受け取りやすい形でメッセージが発信できるのでは、と考えています。

 時代がものすごいスピードで変化する今、「メディア」「エージェンシー」「クライアント」「クリエーター」など、所属や肩書で仕事することにあまり意味がないと感じています。働く場が変わっても、それまで培ってきたスキルや知恵が生かせるような働き方ができるといい、と思って、私の場合、偶然にそういう働き方をしてきた。「偶然」というと無計画のような印象ですが、実はスタンフォード大学大学院のクランボルツ教授が、「Planned Happenstance Theory」、日本語に訳すと「計画された偶然性」として理論化しました。教授がビジネススクールで教える中で、卒業生のキャリアの志向性が変わってきていることを感じ、話を聞いてみたらほとんどの学生が「偶然に」「たまたま」という言葉を口にしたそうです。そして、成功した人たちには「好奇心を持って自分の領域以外のことを勉強している」「リスクテークができる」「柔軟性があるが本質的なところは一貫している」など、いくつかの共通要素があることがわかり、それらが偶然を必然に変えていく重要な要素だ、というのです。

 ひとつの組織で働き続けることは、プラスのほうが多いでしょう。組織を離れるのは、それまで積んできた様々なものを一度壊すことになりますから。しかし、新しい場所に移ることで、それまで知らなかった領域のことに触れ、学ぶことが多いのです。日本は職業の流動性が低く、その背景には変化を受け入れにくい土壌がありますが、世界はものすごい勢いで変化しているわけですから、新しいことを柔軟に理解しないと対応できない。立場や社内などについての知識ではなく、本質的な知恵を生かして仕事をし、世界と対峙(たいじ)していく、そんな国になればいいな、と思っています。

――これまで加治さんが携わったコミュニケーションでは、ブログなどのCGMを利用するなど、そのときどきの新しいメディア、手法をいち早く活用してきました。最近はソーシャルメディアが力を持つようになってきていますが、マスメディアをどのようにとらえていますか。

 新聞などのマスメディアが世に及ぼす影響力は、変わらず大きいと感じています。しかし、もはやソーシャルメディアの存在は、マーケティングを考える上で無視できないと思います。このことは、企業のコミュニケーションに限ったことではありません。ホワイトハウスにはフェイスブックやグーグルのスタッフが入って、かなり高度にソーシャルメディアを使いこなしているのです。当然リスクもありますし、日本ではまだ慎重論が根強いですが、メーカーと生活者、政府と国民などの関係を本質的に変容させる可能性を持っています。そういったソーシャルメディアとどうやって向き合っていくのかはしっかりと考えるべきだと、あくまでも私見ではありますが、そう見ています。

 ただし、たとえば何か商品やブランドのコミュニケーションを展開するとき、消費者とのあらゆるタッチポイントを考えて最適なメディアを選ぶ、という基本的な「知恵」は変わっていません。その知恵に基づいて選ばれるメディアやその組み合わせが、最新のものに変わっただけなのです。「これからはソーシャルの時代で、マスメディアでのコミュニケーションは効果がない」という単純な話ではありません。

 私がこれまで民間で積んできた経験と知恵を、どのようにして変化の時代にふさわしい政府のコミュニケーションに活用していくか。それこそがこれからのチャレンジです。

 先日、玄葉光一郎大臣がある会合でこんなスピーチをされていました。「ダーウィンの進化論をひもとくと、生き残るのは強い種でなく、変化し続ける種なのだ。だから、我々は海外に出て行って頑張るべきだ」と。メディアも、企業も、そして政治も、変化の前に戻ることはできません。「変化の中にあるんだ」と自覚し、 自らも変化し続けることを覚悟する必要があると思っています。

※このインタビューは、2011年3月10日に行われました。

加治慶光(かじ・よしみつ)

内閣総理大臣官邸 国際広報戦略推進官

青山学院大学経済学部卒。富士銀行、東急エージェンシー・インターナショナル、レオ・バーネット協同を経て、ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院にてMBA修了。日本コカ・コーラにて、コカ・コーラ、ジョージアなど担当。タイム・ワーナーにて映画宣伝部長として、『マトリックス』『A.I.』などの作品を手がける。ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントに移籍後バイス・プレジデントマーケティング統括として『スパイダーマン』やテレビアニメーション『鉄腕アトム』などにかかわる。その後、日産自動車にて、高級車種担当マーケティング・ダイレクターとしてシーマ、フーガ、ティアナ、ステージア、ティーダ、スカイライン、NISSAN GT-Rなどの市場戦略構築・実施を指揮したあと、関連会社オーテックジャパンにて海外事業部部長。北米、欧州、アジアなどにおける海外事業戦略構築・実施を担当。東京オリンピック・パラリンピック招致委員会にエグゼクティブ・ディレクターとして出向。落選後日産自動車に帰任、ゼロエミッションビークル(電気自動車)の2010年末のグローバル(日米欧州)導入作業に参画。2011年1月から内閣官房内閣広報室にて勤務。共訳に『マーケティング戦略論』『戦略の経済学』『統合マーケティング戦略論』などがある。