グローバル化の今こそ、安全性とサービスという独自のバリューを

 今年10月、32年ぶりに国際定期便が就航した羽田空港。格安価格で日本市場に切り込むアジアのLCC(ローコストキャリア)。欧米で進む航空会社の再編とネットワーク化など、航空業界は近年かつてなく話題に富んでいる。一つひとつの話題からは見えづらいその全体像と将来の展望を、航空評論家の秀島一生氏に聞いた。

「価格破壊」なら、日本はすでに経験している

――世界の航空業界の潮流を、どのように見ていますか。

航空評論家 秀島一生氏 秀島一生氏

 戦後の日本航空が、商社や自動車をはじめとした日本企業の経済進出の先兵役を託されていたように、航空会社の戦略には、その国や地域において飛行機という交通手段がどう利用されているかという地理的、歴史的、そして政策的な背景があります。

 例えば今話題のアジアのLCCの歴史は、昨日今日始まったわけではなく、10年以上前からのものです。もともとインドネシアやフィリピンなどでは海上交通が国内移動の主たる手段で、飛行時間は1、2時間程度。利用者は運賃が安ければ機体の老朽化に目をつぶりますし、安全意識も相対的に低いものでした。それが、アジアの経済発展と共にサービスや安全意識もある程度成熟してきたというのが今日までの経緯です。

 またアメリカでは、1978年のカーター大統領による航空規制緩和が大転機でした。運賃破壊が始まり、それがパンナムやTWAといった大手航空会社の終焉(しゅうえん)を呼びました。政府は国際線のネットワークをもつ大エアラインを整理し、チャプターイレブン(連邦破産法第11条)の下に事実上国営化を行ったわけです。今日もアメリカの大手航空会社では国営化や再編・統合が話題になりますが、そういった国策の下で大手航空会社は力を回復させ、他社とのアライアンスによるネットワーク化に活路を見いだそうとしています。

 一方、国内線では、ハブ空港とハブ空港をつなぐような大手が競合するビジネスには手を出さず、ハブ空港とローカル空港、あるいはローカル空港同士の路線に特化して展開する航空会社が定着しています。高頻度での往復運航、同一機材の使用による整備の合理化などによってアメリカらしい経営合理化を進め、ジェットブルー、サウスウエストといった優良企業が生まれました。

 そしてヨーロッパでは、EUという経済圏としてアメリカと戦おうという戦略が鮮明になっています。エールフランス-KLMの誕生、ルフトハンザによるオーストリア航空や旧スイス航空のグループ化などで、「一国にひとつのナショナルフラッグ」といった意識は薄れました。また飛行機メーカー間においても、ヨーロッパ連合であるエアバスと、アメリカのボーイング社が熾烈(しれつ)に戦っています。エアバスはA380が代表する大型輸送、ボーイングは次世代機787で展開する中型輸送といった大きな構図があり、かつては劣勢だったエアバスのシェアが、近年はほぼ6対4でボーイングを上回っています。

――マレーシアのエアアジアX、中国の春秋航空などが日本へ進出し、LCCの攻勢が日本にも迫っています。

 メディアはLCCの日本進出を大々的に報じていますが、日本の航空会社が価格で彼らに対抗しても収益性はありません。アジアのLCCが来るのは日本の基幹空港までで、そこからの乗り継ぎは依然と国内の航空会社が利用されます。LCCの進出には、空港利用料を優遇して彼らを招き入れ、国際路線を確保したい空港側の戦略もあります。日本の航空会社がそこで本気の勝負はしないでしょう。

 何より価格破壊は、日本ではとっくに始まっています。どういうことかというと、日本では「パッケージツアー」が非常に進化していて、ホテル代込みで非常に格安な商品が流通しているわけです。航空券だけを買っても、早期割引などのさまざまな割引制度によって正規料金から格段に安くなります。日本の航空運賃というのは、幅広い選択肢がすでに提供されています。

 逆に日本のエアラインが今力を入れているのは、収益性の高いプレミアムエコノミーやビジネスの利用客です。各航空会社もエコノミーの席数を減らし、プレミアムエコノミー以上の席を増やす動きが目立っています。エコノミーは今後も価格訴求が重要ですが、ある意味若年層より旅行マインドが高い中高年の富裕層を満足させる快適なサービスの提供がひとつの戦略でしょう。そもそもビジネスで夫婦二人で欧米に旅すれば、正規料金なら往復200万円ぐらいはかかります。ホテルやレストランなら、どんなサービスを受けられるか。それをよく知る人たちが今の海外旅行の顧客なわけですから。

羽田と成田を一体で考える航空政策を

――今年10 月、羽田空港に国際定期便が就航しました。またそれに伴い、成田空港にも様々な動きがあります。

 それについては、両者の顧客の囲い込み競争といった世間で喧伝(けんでん)される話題とは少し違った角度から意見を述べさせてください。ニューヨークには、JFK、ラガーディア、ニューアークの3つの国際空港があります。パリはシャルル・ドゴールとオルリー、ロンドンはヒースローとガトリックとその他。大都市には2、3の基幹空港があるのは当然。重要なのはそれをどういった形で運用するか、国家戦略として決めることです。韓国の仁川、シンガポールのチャンギ、タイのスワンナプームなどに降り立つと、長期的な視野で航空ビジネスをグローバル化し、世界で勝とうという国の意気込みをひしひしと感じます。

 利便性の比較論にしても、そもそも飛行機というのはレールや道路を走るわけではなく、離着陸も運航時間も天候に左右される3次元的な乗り物です。そのような移動手段に搭乗するまでの分単位の時間の比較が過熱化するのは、どうかとも個人的には思います。

 ただし空港という場に注目が集まっているのは好機ですから、空港のその先にあるもの、すなわち日本の観光をどうアピールするかを改めて考えて欲しいと思います。航空業界の活性化策というと中国人ビザの緩和といった入り口の議論になりがちですが、重要なのは空と観光をどう結びつけるかです。日本には四季に恵まれた日本の美しい自然があり、同じ季節でも少し国内を移動すれば異なる表情が楽しめます。空を利用した旅だからこその、魅力的な提案があるはずです。

――旅の選択肢が広がっている中で、生活者をつかむには何がカギになりますか。

 日本の航空会社が最大の売り物にすべきは、「安全性」です。なぜなら、多くの日本人はそれがどんなサービスより重要だと思っているからです。

 世界中の人が、「世界一安全な航空会社がカンタス」だと思っています。実際カンタスには人身事故は一度もありません。とはいえカンタスとて、小さなトラブルがまったくないとは言えない。人々がカンタスを信用するのは、自信と覚悟をもって「私たちは安全です」と利用者たちに言ってみせているからです。

 私は、日本の航空会社の安全管理は本当に世界屈指の水準を誇っていたと思っています。しかしながら安全性のメッセージは、どうしても受け身です。安価な外国の食料品が生活に浸透した中で、改めて日本の食の安全性の高い価値が見直されたように、積極的に安全をアピールし、アピールする以上は実質もさらに向上させる。グローバル化の時代だからこそ、そんな日本的な価値の追求があってほしいと思います。それをどう具体的に広告やコミュニケ―ションに落とし込むかは、それぞれの航空会社のカラーがあるでしょう。

――最近注目された航空会社の戦略や広告・プロモーション展開があればお話しください。

 ANAが「きたえた翼は、強い。」というコピーで展開しているキャンペーンは非常に優れたものだと思います。まず登場するのは、飛行機ではなくヘリコプター。小さな民間航空会社として始まった事実を隠さずに、むしろ誇らしく語られて共感を誘います。航空業界に長くいる人であればあるほど、うまい広告だなあと思うのではないでしょうか。

 華やかな仕事の象徴のような航空業界においても、今は経営状況が厳しいことは、国民は報道などで知っています。そういった時、とにかくお金を使った大々的な広告が生活者の心に届くでしょうか。メッセージが誠実で、信頼感があり、そして航空会社にふさわしいロマンや夢を感じさせるもの。そんな広告を人々は求めているのではないでしょうか。

秀島一生(ひでしま・いっせい)

航空評論家

1946年生まれ。68年から日本航空の国際線チーフパーサーとして30年間乗務。98年に退社後、航空評論家として数々のメディアに登場するかたわら、拓殖大学客員教授、早稲田大学講師も務めている。航空業界を舞台にした映画『沈まぬ太陽』の監修も担当。