持続可能な社会のために、求められる環境教育

 環境問題とは、経済活動だけでなく、人権や紛争など社会がかかえる根源的な問題とリンクしていることが、昨今明らかになってきている。そこで、「持続可能な社会」を目指すための、従来の視点を超えた環境教育が求められている。環境教育、ESD(持続可能な開発のための教育)の研究と実践を行う、立教大学の阿部治教授に話を聞いた。

 

環境問題は社会の多様な課題とつながっている

――日本における環境教育の歴史を紹介していただけますか。

 環境教育には、個人の環境意識を養うことによって、社会が環境問題に対処できる力を高め、環境破壊を未然に防止できる人を育てるという意図があります。
 日本の環境教育は、60年代後半に起きた公害問題や自然破壊を背景に、公害教育、自然保護教育として民間の中から始まりました。しかし、そうしたことが発端だったために、環境教育は、時の政府や企業活動に対する批判性を持たざるをえなかったのです。そのため、企業は環境教育を嫌い、社会への定着が欧米に比べて遅れました。

 80年代に入り公害問題が一段落すると、環境への意識は「自然保護」という観点から、広く「地球環境全般」へと広がりました。そうした中で、90年代後半以降には国や企業の環境教育への関心が徐々に生まれてきました。ただし、当時の環境教育には、「社会貢献」という名の企業PRの一環と言わざるをえないものも多かったです。外に向かった活動もよいですが、企業自身の姿勢が変わらないかぎり、いくら環境教育をアピールしても意味がないわけです。

 企業のミッションの中に、本当の意味で環境教育を位置づける動きが日本で出始めたのは、ブラジル・リオデジャネイロで国連環境開発会議(通称「地球サミット」)が開催された1992年あたりからです。産業界のトップとして地球サミットに参加した、安田海上火災保険(現:損害保険ジャパン)元会長の故・後藤康男氏は、企業としての環境活動の大事さを痛感し、NGOと協力した活動に日本で初めて取り組みました。また、環境マネジメントシステムであるISO 14000の規格策定も、リオ・サミットを機に始まり、1996年に発行されました。その認証に走り出した多くの企業が、環境教育を積極的に始めています。

―― 企業による環境教育とは、具体的にどのようなことを指しますか。

 企業の環境教育には、大きく三つの柱があります。第一は社員に対する環境教育など、自分たち自身が行う活動。第二は地域や社外の環境教育活動への直接的支援。出前授業や環境活動に従事する人や組織を企業がサポートすることです。そして第三は、環境教育に取り組む社員の支援です。

 日本では、CSRの担当者を中心に個々の活動は熱心に行われていますが、社員の環境意識を幅広く高めるまでには進んでいないのが現実です。最近、社員家族をも対象にしたレクリエーションとして環境教育を行う企業が増えています。しかし、自然と触れ合うことはもちろんいいことですが、企業の環境教育において最も重要なのは、本業として何をしていくかという視点です。持続可能な社会のベースに自然環境があり、その自然環境を損なっているのは人間社会、人間の行為です。そこには、経済、戦争、開発、ジェンダーや人権といったあらゆる問題が含まれ、複雑に絡み合っています。そこで必要となってくるのが、多様な社会的課題の関係(つながり)を意識し、総体として持続可能な社会づくりに主体的にかかわる人々を育てること、すなわち「持続可能な開発のための教育」ESD(Education for Sustainable Development)なのです。

「持続可能な教育のための10年」が目指すもの

―― ESDは、 2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議」(ヨハネスブルク・サミット)で日本が国連の10年として提案し、同年末の国連総会で2005年から2014年までを国連「持続可能な開発のための教育の10年」と決議されたことでその重要性の認識が高まりました。現状の認識は。

 国連の10年の目標は政府の国内実施計画などに書かれていますが、私としては、一人ひとりが、もはや持続しえない現在の関係(つながり)がどのようになったら持続するかを想像し、自分なりの持続可能な社会のビジョンを描けるようになることだと考えています。そのためには想像力と正しい知識が必要ですし、情報がちゃんと伝わる仕組みが必要です。またビジョンとはただ頭で考えるものではなく、他者との議論や実践的な体験に基づいたものであるべきです。そのためには体験学習の場や、ディスカッションできるさまざまな場が必要です。 そして、個人のビジョンというベースの上に、総体として日本が持続可能な社会づくりにどう取り組むのかを、政府が示すことが求められています。
 企業もまたその一翼を担わなくてはいけないし、社員が体験し考える場を保障し、積極的に提供していくことが必要です。そうすればモノを作っていく時にも、どんなモノを作れば持続可能な社会に貢献できるのかを一人ひとりが考え、自分たちの仕事に誇りが持てる企業になれるでしょう。企業内での学習機会を広げていくことで、利益追求と持続可能性という二つの歯車がうまく一致するところを見つけていけると思います。

―― 環境教育という観点から、大学の役割はどう変わっていくのでしょうか。

 私は、2007年にESD研究センターを設立し、日本を含むアジアと南太平洋を対象にESDの人材育成プログラムの開発研究を行っています。CSRもその対象ですが、それは今企業が取り組むCSRのほとんどが環境分野にとどまり、持続可能な社会全般にかかわる広い分野を扱っていないからです。企業の新たな強みになっていくCSR活動を推進できる人材をどう育成していくか、海外事例を調査しながらモデルをつくっています。

 

「持続可能な社会づくり」で世界のリーダーシップを

 

―― 環境教育について、今後日本が進むべき道は。

 西ヨーロッパの一部の国々と比べ、日本のESDの動きはまだ弱いといわれますが、日本ならではの強みもあります。それは持続可能な地域づくりです。典型的なのは、水俣病の教訓をもとに、日本で初めて環境モデル都市を宣言した熊本県水俣市や、国の特別天然記念物である野生のコウノトリと共に生活できる地域づくりに挑戦した兵庫県豊岡市です。これらの地域では、行政、NGO 、学校、企業、そして市民が一緒になり、ESDの視点による社会教育、学校教育を推進しながら、世界に誇れるような地域環境を生み出しています。こういった例は世界にありません。

 日本企業のCSR担当者の環境問題への意識や知識レベルは、諸外国のそれと比べて高いレベルにあると思います。ヨハネスブルク・サミットで日本がESDを提案しましたが、そもそも、1982年に「持続可能な開発」という言葉を打ち出したブルントラント委員会の設置を国連に提案したのは日本です。国連「持続可能な開発のための教育の10年」の最終会合(2014年)の日本開催が決まりましたが、その際には、政府も企業もNGOも「オールジャパン」の体制で、持続可能な社会づくりのリーダーとしての気概を、世界に示してほしいと思います。私たちが持つ先進的な環境技術に「ビジョン」という魂を吹き込んで、「持続可能な社会づくり」を日本ブランドとして世界に打って出ていくことは十分可能ではないかと思います。

阿部 治(あべ・おさむ)

立教大学社会学部教授/ESD研究センター センター長

1955年、新潟県生まれ。東京農工大学環境保護学科卒業、筑波大学大学院環境科学研究科修了。日本の環境教育のパイオニアとして活躍。国立特殊教育総合研究所、筑波大学、埼玉大学を経て、2002年から現職。国立環境研究所客員研究員、地球環境戦略研究機関環境教育プロジェクトリーダーなどを歴任。現在、日本環境教育学会会長、「持続可能な開発のための教育の10年推進会議」代表理事、日本環境教育フォーラム理事、日本自然保護協会理事などとして、国内外の環境教育の研究と実践に取り組んでいる。おもな著書に、『日本型環境教育の知恵』(小学館、2008年、共編著)、『あなたの暮らしが世界を変える』(山と渓谷社、2006年、監修)など。