分かりやすさと小さな差別化が生む 手の届くプレミアム感を求める消費者

 ホームラン級の大ヒットや社会現象的なブームがなく、「健康」「ムダの見直し」といった堅実なテーマを中心に単打が目立ったといわれる2008年の消費動向。そこには景気の減速という経済要因だけでない、消費者の価値観の転換があるのかもしれない。古今東西のモノや風俗に明るく、独自の視点で世相をとらえる山田五郎氏に、今年のヒット商品から見えてくる「いま」を語ってもらった。

オーバースペックの反動と自己への興味

── 今年、山田さんご自身が関心を持った新商品はありますか。

山田五郎氏 山田五郎氏

 正直にお話しすると、個人的に「気になる新商品」が見当たらない状況が、もう何年も続いています。特に今年は、客観的に考えてもヒット商品と呼べるようなものが思い浮びません。ただ、新商品に限らなければ、今年は珍しく興味をそそられた商品が二つありました。一つはスマートフォンで、もう一つは人間ドックです。

 スマートフォンは「iPhone」が出る前から気になっていて、「BlackBerry」(欧米で広く普及し、日本では今夏からNTTドコモが個人向け供給を開始したスマートフォン)をはじめいろんな機種を、今もなお検討中です。僕は電話でのやりとりが苦手なので、携帯電話もメールやネット検索、スケジュール管理の道具として期待する部分の方が大きいですね。

── 山田さんの受け止め方では、スマートフォンはケータイの高機能版というより、パソコンの機能を簡略化して持ち歩く感覚ですね。

 そうですね。最近のデジタル機器は、自分には不要な機能が多過ぎます。5万円パソコンの人気も、単に安いからではなく、そういうオーバースペック状態への反動の表れではないでしょうか。

 もうひとつの人間ドックは、僕は今年でちょうど50歳になるのと、会社を辞めてから5年以上、何の検診も受けてこなかったので、そろそろかなと思って。で、調べてみたら、この大不況にもかかわらず、入会金だけで何百万円もするような会員制人間ドックが続々と登場していることに驚きました。いわゆる富裕層の関心が、モノよりも健康や自己の内面に向かっている現状を、改めて実感した次第です。

モノの物語の喪失問われる価値の実体性

「モノの物語」を、今という時代にふさわしい形で再構築していく必要がありますね 「モノの物語」を、今という時代にふさわしい形で再構築していく必要がありますね

── 時計やファッション、街など、山田さんが得意の世界では新しい動きはありましたか。

 どの分野も、煮詰まっている感じです。特に男性ファッションは、数年前に『LEON』などが提唱したイタリア風のクラシコと呼ばれるスタイルを最後に、大きな流行が生まれていません。流れが淀(よど)んで逆流し、量販店にまで広がったため、今や高級スーツも2万円スーツもパッと見はさほど変わらない。それでも高価なスーツを買おうと思わせるには、何らかの付加価値が必要ですが、もはや単なる「ブランド性」といった実体のない価値だけでは消費者を説得できなくなってきているという、手詰まり状態が続いています。

── 新しい流行が生まれにくくなっているのはなぜでしょう。

 身も蓋(ふた)もない言い方をすると、需要が満たされているからだと思います。例えば携帯電話をはじめて買うのと新機種に買い替えるのとでは、需要の次元が違いますよね。今は、そういう爆発力を持った商品があらゆる分野でひと通り出尽くして、デザインや付加機能で買い替え需要を喚起するしかない段階。新たな欲望や生活習慣を創出する商品が登場しない限り、大きな流行は生まれないでしょう。

 僕が若者情報誌の編集に携わっていた80年代の終わり頃までは、物語性やブランド性といった実体のない付加価値だけで、それなりの流行を創(つく)り出すこともできたんですよ。ところがバブル崩壊後は、価値観の多様化というか崩壊が進み、社会全体で大きな物語を共有できなくなってしまった。ファッションの分野でいうと、かつては流行を超えた普遍的な価値だと思われていた素材や仕立てのよささえも、今では「別に使い捨てでいいじゃん」みたいな感じで評価されなかったりするわけです。そのような状況で、メディアが流行やヒット商品を「仕掛ける」ことは、もはや不可能だと思います。

見える理由がヒットの条件

── モノ選びの尺度が根底から変わりつつあるとすれば、ヒット商品から何が見えてくるのでしょうか。

 物語性やブランド性といった抽象的な付加価値に替(か)わり、より直接的で身体感覚に訴える付加価値が求められているような気がします。わかりやすいところでは、糖質ゼロ、無添加・無農薬、メタボ関連といった健康商品。エコやスピリチュアル(精神性)にしても一見、思想的ですが、実は「なんか体によさそう」という感覚的な部分でウケているのではないでしょうか。少し高いけど無農薬野菜を買ってみたり、行列してまで有名店のラーメンを食べたりするのも、より身体的に実感できる価値を求める心理の表れでしょう。 この傾向はいわゆる富裕層にも見られ、先に述べた会員制高級人間ドックやブランド携帯などは、より実体的な価値に裏づけられた「プレミアム感」が求められていることを物語っているように思います。

── これまで大衆消費を牽引(けんいん)してきたマスメディアの役割については、今どう考えていますか。

 マスメディアはもはや流行を仕掛けられないといいましたが、個人的にはむしろそれでいいと思っています。メディア本来の役割は、無から有を創り出すのではなく、すでにある事実を正確に伝えることですから。

 長らく編集に携わってきた身として反省をこめていえば、雑誌が売れなくなったのは、携帯電話やネットが普及したからではなく、広告収入に依存しすぎて読者をおろそかにしてきたツケが回ってきたからです。今の読者は雑誌の記事を読みながら、「どうせ広告でしょ」と当たり前のように言います。つまり「信用できない」と、言外に言っているわけです。メディアが信用されなければ、広告も信用してもらえません。信用されないから売れず、広告も人の目に触れない。こんな不幸な関係を続けていては、いずれ共倒れになってしまいます。

 手軽に発信できるネットと違って、既存のメディアは時間と労力が情報の信頼性を担保します。そこは読者もわかってくれていて、メディア・ソースのないネット情報は信用されません。マスメディアは、今こそ基本に立ち返り、この信頼に応えるべきです。それが結局は、広告主の利益にもつながるでしょう。中でも信頼性の代名詞である新聞には、毅然(きぜん)とした姿勢を貫いてほしいと切に願ってやみません。

モノを増やさない燃費のいい消費を

── 今後の新聞広告に期待する役割は何ですか。

 信頼性や速報性はもちろんですが、物理的な紙面の大きさがもたらすグラフィック効果も、新聞広告の大きな魅力のひとつだと思います。ところが最近は、コンピュータでしかデザインをしたことがないグラフィックデザイナーが増えたせいか、この魅力を生かしきれていない作品が目につくのが残念です。せっかく腕の振るいがいのある大スペースなのに、雑誌と同じ版下を流用していては、もったいない。たまにはパソコンのモニターから離れ、原寸大のレイアウト用紙に手で線を引きながら、発想を膨らませてほしいですね。

 もうひとつ、これは新聞広告に限りませんが、モノを増やさない方向での消費を推進してほしい。今までのように、食べるだけ食べてダイエットに励む的な燃費の悪い消費を続けていては、未来はありません。おいしくて体にもよく、適当な量で満足できる食生活。故障しても修理が可能で長く使えるモノ。歴史的な建造物を保存しつつリニューアルしていく街づくり──。そんな燃費のいい経済に切り替えていくことが、今の閉塞(へいそく)状況を打ち破る唯一の道なのではないかと思います。こういうと、「新しく買い替えたり建て直したほうが安く上がる」という反論が、必ず出てきます。でも、無駄にならないお金なら、むしろかかった方が経済を活性化させる上でも効果的だと思うのですが。

 マスメディアの世界では、いまだに「安さ」が絶対的な善として語られがちですが、それはモノがなかった時代の話。今のようにモノがあふれている時代に下手に安いモノを増やしても、結局は使い捨ててゴミを増やすだけです。だったら、多少高くてもいいモノを買って、修理しながら愛着を深めていくほうがいい。

 そんな古いようで新しい消費スタイルを提案する広告には、やはり新聞のように信頼感があり、じっくり見たり読んだりできるメディアがふさわしいでしょう。新聞広告には、そんな役割も期待しています。

山田五郎(やまだごろう)

雑誌編集者・評論家

1958年東京生まれ。上智大学文学部卒業。在学中オーストリア・ザルツブルク大学に留学、西洋美術史を学ぶ。『Hot-Dog PRESS』編集長などを経てフリーに。時計、ファッション、西洋美術、化石鉱物など幅広い分野に精通し、カルチャー視点からのトレンド評論や執筆活動を続ける。主な出演番組に『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)、主な著書に『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎)