医師と患者の円滑なコミュニケーションを育む医療リテラシーとは

 医師と患者のコミュニケーションの現場はどうなっているのか、円滑なコミュニケーションのために双方に求められる医療リテラシーとは。国立がんセンター名誉総長で日本対がん協会会長の垣添忠生氏と、がんの闘病経験がある作家、岸本葉子氏が、お互いの立場で語った。

医師と患者双方に工夫と努力が必要

── 患者と医師とのコミュニケーションで、それぞれに求められることは何だと思われますか。

岸本 患者は、がんと告知され、非常に混乱する厳しい状況の中で、治療法を選択しなければなりません。私は、先生の言われることを理解しようと懸命に学びました。患者の側も、最低限の情報収集や勉強は必要だと思います。

垣添 自分の身を守る、という点では重要なことですね。ご存じのとおり医療現場は非常に忙しく、一人ひとりの患者に多くの時間をさけないのが実情です。そんなとき、症状や医師に聞きたいことを患者がメモにまとめてきてくれると、短い時間でも密度の濃い診療ができます。一方医師の側は、どんなに時間がなくても、たとえばおなかの診察なら患者に横たわってもらい、触診すべきです。トレーニングされた医師は指先に目があるもので、それでわかることも多いですし、何より言葉だけではない肉体を通じたコミュニケーションによって、良好な関係が築かれるケースは多いと思います。

岸本 医師と患者それぞれがあらゆる手段を使ってコミュニケーションをとろうとすることで、短時間でも密度の濃い診察が受けられる。患者もある程度の適切な知識を持ち、要領のいい質問をするなど、お互いが工夫し、努力することが大事だと思いますね。

垣添 コミュニケーションがとれていれば、医療過誤などのトラブルも起こりにくいと思うんです。

岸本 がんの場合、100パーセント期待通りの結果にならなかったり、副作用や後遺症が出たりすることもあります。きちんと説明を受けていないと医師に不信感を持つようになります。特にがん患者はささいなことにも不安を感じるもの。小さなことでも説明して、不安を放置しないでほしい。痛くても苦しくても、医師から説明があれば、安心して治療に向き合うことができるのです。

垣添 私は、すべての医療従事者が、患者さんの肉体的な苦痛と精神的な苦悩を共感できる資質が必要だと考えます。医師や看護師、技師だけでなく、窓口や電話交換といった事務職も例外ではありません。特に電話は、患者や家族が最初に病院と触れる接点。そのときに交換手からぶっきらぼうな応対をされると、患者はとても不安になる。医療従事者全員が、患者とのコミュニケーションを大切にすべきだと考えています。

情報過多の今、病気とどう向き合うか

岸本葉子氏 岸本葉子氏

── コミュニケーションの前提となる医療に関する情報環境は。

岸本 ここ数年で格段によくなったと感じます。今は「情報不足」といったことはなく、むしろ「情報過多」になっているのではとさえ感じます。

垣添 最近の患者さんは本当によく調べています。ところが、中にはアメリカの論文までインターネットで見て、医者がたじたじになるぐらい情報を持っているのに、最後の決断ができないんです。

岸本 氾濫(はんらん)した情報の中から、「一般的にはこうだけど私にはどうだろう」、あるいは「あの人にはこうだったけれど私にはどうだろう」ということを考えた上で情報を判断できるかが、患者にとって大事になってきているように思うのです。たとえば、最近乳がんは温存治療が一般的ですが、仕事もしていて小さい子どもがいる女性にとって、何度も放射線治療に通院するのは大変なこと。だから全摘を選んだ女性がいました。治療の一般論ではなく、自分のライフスタイルや価値観と合わせて決断すべきなんです。

垣添 おっしゃるように、治療の一般論と、患者の個別の状況や価値観は、まったく別の話です。限られた時間の中で、医師は何を提供できるのか、患者が何を求めているのかをすり合わせ、話し合わなければなりません。特に情報を持ちすぎていて決断のできない患者には、「あなたの場合にはこういう理由で、私ならこの治療をすすめますよ」といった具合に、決心をつけてあげることも必要のような気がしています。

岸本 私は、情報収集力=医療リテラシー、と単純化されることを危惧(きぐ)します。もっと色々な変数があって、たとえば自分と向き合う力とか、情報を発信したり受信したりする力とか、そうしたものの総和として、医療リテラシーの向上につながっていくんじゃないかと。情報を取得し、それを「自分」というフィルターを通して、取捨選択したり咀嚼(そしゃく)したりする作業やプロセスが、こと病気と向き合う際にはすごく大事なような気がします。

患者だけでなく一般読者にも伝えたい

垣添忠生氏 垣添忠生氏

── 新聞社など、マスメディアの情報発信をどうとらえていますか。また、期待する役割とは。

垣添 さきほど、医療従事者と患者のコミュニケーションの重要さについて触れましたが、実はもうひとつ課題になっているのが、一般の人とのコミュニケーションです。元気な人には当事者意識が薄く、「受診してがんが見つかったら怖いから、がん検診に行きたくない」という人が多いんです。一生懸命声を上げているのですが、「早期発見・早期治療が重要」という一番伝わってほしいことが伝わっていない。がんに限らずその他の疾病についても、患者だけでなく、一般の人に正しい理解を広める、という点では、信頼性の高いメディアである新聞に大いに期待しています。

岸本 一昔前までは、がん患者が顔写真入りで新聞に出ることも、企業が広告でがんについて触れることも考えられませんでした。がんのイメージが変わったなと感じます。朝日がんセミナーなどの取り組みや、紙面でその採録を大きく取り上げることは、がんを持っている人間への社会の見方を変えてくれるという意味で、企業の社会貢献になっていると思います。

垣添 様々な企業ががん啓発活動に協力するようになっています。日本対がん協会についても、協賛する企業は、ぜひ自社の広告に「私たちは日本対がん協会に協賛しています」の一文を、小さくてもいいから掲載してほしい。そうすることで、がんの啓発活動を広く一般読者に知ってもらうことができます。企業にとっては社会貢献でもあり、企業イメージを高めることもできる意義ある活動ですから、新聞社には企業と協会のハブとして、そういった活動が活性化されるよう、継続して努めてもらいたいですね。

岸本 媒体の特性を見ると、一過性で情報が通過していくテレビに対し、繰り返し、ときには切り取って読むことができるのが新聞の大きな特徴だと思います。私たちが行っているボランティア活動についても、新聞で取り上げられると、反響がゆるやかながら長く続き、さらに、かなり正しい理解をした上で問い合わせをしてくれているように感じます。情報がしっかりと伝わるという点で、新聞は感性だけではないメディアであり、読者が継続し、繰り返して読むという重みがあると思いますね。

垣添 テレビには視覚や聴覚という感性に訴える力が、新聞には、岸本さんがおっしゃったように情報が的確に伝わる力があると思います。影響力のあるメディア同士が垣根を越えて手を組むと、さらに大きなムーブメントになるのでは。

── 朝日新聞の医療報道についてはどのように感じていますか。

垣添 記事に関しては、朝日新聞の医療報道は最近、非常に力を入れているなという印象です。「患者を生きる」はいい連載ですね。

岸本 さきほど話題になった「治療の一般論」と「患者個別の状況や価値観」を分けて報じていて、総合媒体としてバランスがいいですね。生活習慣や予防医療にも貢献していると感じています。マスコミは世論誘導的な部分があると思います。昨今の医療危機に関する報道をはじめ、新聞記事の出方、トーンによって患者と医療従事者の関係が変わるほどの影響力があります。そのことを念頭に、これからもバランスのとれた報道をしてほしいと願っています。

垣添忠生(かきぞえ・ただお)

国立がんセンター名誉総長 日本対がん協会会長

1967年東京大学医学部卒業。72年に同大泌尿器科文部教官助手。国立がんセンターに通いながら膀胱がんの基礎研究に従事。75年から国立がんセンター病院に勤務。手術部長、中央病院長を経て、04年に総長に就任。07年4月から名誉総長。

岸本葉子(きしもと・ようこ)

作家

東京大学卒業後、保険会社に2年4カ月勤務した後、北京外国語学院留学生として中国に滞在。滞在中には、アジア各国を旅する。2001年に受けた虫垂がんの手術体験を、『がんから始まる』(晶文社)として2003年に発表し、大きな反響を呼ぶ。以後、病気や健康、および心のありようにも関心をもち、がん患者サポートや医療雑誌での連載等の活動も多い。2007年、同年代のがん体験者数人と「希望の言葉を贈りあおう」というプロジェクトを始める。