生活者の意識は「モノ欲」から「買物欲」へ

 認知度や好意度が高い商品でも売れなくなっているという。その理由をひも解き、「プロセスとしての買物」という視点に立ったマーケティングを行う博報堂買物研究所。その「買物シナリオ」に基づき、「買物欲」を刺激するブランド開発やコミュニケーションを手がけるのが博報堂買物広告製作所である。買物研究所所長の長谷川宏氏、買物広告製作所所長の西尾淳氏に、昨今の生活者のニーズ、売り場の現状などについてうかがった。

買い物体験も含めたプランニングを

西尾 淳氏 西尾 淳氏

── モノが売れにくくなった理由をどう分析されていますか。

 買い物に対する根本的な欲求が変化したととらえています。買い物に求める満足には、2つの欲求があります。一つは「いいモノを手に入れたい」というモノ欲と、もう一つは「いい買い物をしたい」という買い物のプロセスに対する欲求です。わたしたちは、この2つ目の欲求を「買物欲」と呼んでいます。

 商品の飽和状況やウェブによる日常での商品情報の満腹感といった状況から、「モノ欲」は萎なえつづけています。一方でネットオークションやフリーマーケットといった買い手と売り手の垣根がなくなっていくことによる「もっといい買い物、もっと楽しい買い物をしたい!」という「買物欲」は急速に拡大してきています。

 「モノ欲」から「買物欲」へ。この買い物の満足の重心移動がモノをますます売れにくくしているととらえています。「好きだけれど買わない」。認知や好意度が高く、モノの評価があっても買われないという問題の根幹には、この買い物満足の重心移動が存在していると考えています。

 これまでは生活者のモノに対するニーズは調べても、どうやってモノを買っているかまでは調べていませんでした。売れにくい時代にある中で、「売る」を「買う」からとらえるために買物研究所が設立されました。

── 買物広告製作所設立の背景は。

 博報堂の制作は、広告表現を追究することで企業のブランディングや商品の認知を図ってきました。話題となること、好感度が上がることで良しとするところがありました。しかし時代の流れの中で、商品開発からネーミング、パッケージデザイン、売り場作りと、トータルなプレゼンテーションを任される機会が増え、現場のクリエーターたちが「売るためのコミュニケーション」に目覚め始めたという経緯があります。その意識と買物研究所のフィロソフィーとが合致し、「買われること」を目指したクリエーティブセクションとして設立されました。

長谷川 宏氏 長谷川 宏氏

── 買物研究所の活動内容は。

 従来のマーケティングでは、顧客をひとくくりに「消費者」ととらえてきました。買物研究所ではさらに対象を掘り下げ、対象が買い物モードに入った時にどんな意識を持ち、その意識がどんな行動を引き起こすのかという視点でアプローチしています。具体的には、消費者を「買物客」「購入者」「使用者」と3つに区分けし、中でも「買物客」として行動する段階にフォーカスして分析を実施しています(下図参照)。調査は、アメリカの購買行動研究家のオーソリティであるパコ・アンダーヒル氏が開発した手法を中心に、買い物実態を解明しています。対象店の顧客が店に入ってから出て行くまでの行動を追跡し、どの売り場でどんな商品を見て手に取って、どれくらいの時間をかけていたかなど、細かく行動の実態をおさえます。同時に全客の行動をビデオでも収録します。さらに、何が買い物を進める基準だったのか、買い物を決定した意識のツボは何だったのかなど、行動の裏側にある「買物インサイト」を探るため、追跡対象者が売り場を出た瞬間にインタビュー調査をかけます。これらを解析することによって買い物における意識や行動を定量化・構造化し、戦略的な「買物シナリオ」の立案に役立てています。

── 買い物現場で実際にどんなことが起こっているのでしょう

 例えば「パソコンが欲しいと思って買う機種も決めていたのに売り場に行くと決心がつかず、結局買わずに1年が経っている……」というケース。モノに不満なのではなく、買い物プロセスに不満があり買い物が止まってしまう「寝かせ買い」現象です。他にも、事前の検討が店頭で一気に白紙に戻る「店頭リセット買い」や、同じ人がブランド品と100円ショップの品を買い分ける「二極買い」などの現象が起こっています。こうした背景には少なからず「買物欲」の台頭が影響を与えているとみています。

── 「買物欲」を満たす売り場づくりの成功例は。

 魅力的な商品だけでなくワクワクするような買い物体験までも提案しているスウェーデンのホームファニッシングブランド「IKEA」などは象徴的な成功例だと思います。メーカーはどうしてもモノに対する欲求を満たすことに力点が置かれます。一方流通は、売れている商品は何か、売れる商品はどういうものかを把握することはできましたが、生活者がどういう意識で買っているかまではなかなかつかめていませんでした。商品との出会いの場に工夫をしたり、家であれこれと楽しく悩めるメディアやツールを配ったりと、買い物体験も含めたプランニングをすることで、メーカー、流通、何より顧客にとって理想的な売り場になるのではないかと思います。

『買物欲マーケティング』 博報堂買物研究所 著 (ダイヤモンド社)『買物欲マーケティング』 博報堂買物研究所 著 (ダイヤモンド社)

「買う」を目指したコミュニケーション

── 買物広告製作所の活動内容は。

 新聞広告全15段、テレビCM30秒、といった表現の枠組みありきで考えるのではなく、ブランド情報とターゲットをどこでどのように出会わせ、来店したいという気持ちを喚起するか。店に近づいたターゲットにどうしたら気づいてもらえるか。来店客にはどうアピールして買いたいという気分を盛り上げ、最終的にお財布を開いてもらうか。そうした一連のシナリオを、買物研究所の科学的な分析とあわせながらクリエーティブ提案をしています。

 構成スタッフは、デザイナー、コピーライター、CMプランナー、SPプランナーなど、あらゆる領域の人間を集め異種格闘技的なスタイルでやっています。皆、自由なアウトプットが歓迎されることにチャレンジの可能性を感じているようです。企業側にも宣伝、営業、販促など、部署の垣根が存在しますが、それらを一括した流れとしていく提案も積極的に行っています。

 世の中にはマス広告を十分に打てず、商品そのものが唯一の自己表現の手段という場合も数多くあります。その場合、究極的には商品自体が広告メディアともとらえられるので、今まで川下ととらえられていた店頭から川上へとアイデアを広げていけるような新しい提案ができればと考えています。

── ゴールを「購買」に据えた時、広告コミュニケーションにどんな変化がありますか。

 例えば車の広告だったら、広く車ユーザーに向けたメッセージと、車を買い替えたい人に向けたメッセージと、どちらが販売に結びつくかと言えば、後者ですよね。するとコピーも、「車に乗ろう」より「車を買おう」のほうが、買い替えを考えている人の心には刺さるかもしれない。そうやってターゲットをセグメンテーションし、コミュニケーションしていくことがよりシビアに問われるようになります。

── 新聞広告に期待することは。

 認知や好感度が購買に結びつきにくくなっているとはいえ、ブランドの存在感をきちんと印象づけることは不可欠で、新聞の影響力は相変わらず大きいと思います。一方で、提供する情報にどれだけ客観性を与えられるかが大事になる気がします。例えば記事面で取り上げられた新商品のニュースなどは中立的な情報として受け取られやすいですよね。広告もあえてメディアの視点で競合商品を並べてみたり、新商品を並べてみたりと、いい意味で「広告っぽくない」情報提供のあり方を模索する余地があると思います。

 買い物という視点で言えば、経済面や社会面の記事に買い物のあり方や商品情報を求めている読者もいると思うので、そうした記事と連携するようなメッセージが発信できると、さらに可能性が広がるのではないでしょうか。

── 買物広告製作所の抱負を一言。

 店頭を基点としたコミュニケーション戦略を企画していく中で、さらに一歩踏み込んで画期的な新商品を誕生させることができたら最高です。

── 買物研究所の抱負を一言。

 いい買い物は人々を前向きな気持ちにさせてくれます。災害や戦後の復興の証しとして「市場が建った」というニュースが真っ先に報道されるように、人々にとって買い物ができるというのはとても幸せなこと。その人々の幸せを作るために、日本の買い物をもっと楽しくしていきたいと思っています。

西尾 淳氏(にしお・じゅん)

博報堂買物広告製作所 所長

1981年博報堂入社。デザイナー・アートディレクター・クリエイティブディレクターとして、航空・家電・自動車・飲料・食品・化粧品・通信・通販など、数多くの企業の広告コミュニケーション制作を担当。「効く広告」を創ることをテーマにATLからBTLまで一環して制作する中、商品開発から関わった仕事でパッケージや店頭コミュニケーションの重要さに目覚める。2007年、店頭を基点としたコミュニケーション戦略のクリエイティブ集団「買物広告製作所」所長に就任し、現在に至る

長谷川 宏氏(はせがわ・ひろし)

博報堂買物研究所 所長

1977年博報堂入社。業種業界を超え、プロモーションおよび顧客接点の戦略設計を担当。特に、企業とゼロベースから一体型で行う、新商品開発、新事業開発、ブランド戦略開発といったプロジェクト型業務に数多く参画。2003年に買物を軸とした、新しいマーケティング推進機能として、博報堂買物研究所を設立し、現在に至る