メディアリテラシーの高い次世代を育てる

 新しい学習指導要領は、思考力や読解力を育てるために「言語活動の充実」を定義づけ、その一環として新聞の活用を位置づけている。新聞を使った授業にはどんな意義、効果があるのか。明治大学文学部教授で、『新聞で学力を伸ばす』の著者でもある齋藤孝氏に話を聞いた。

世界に通用する「実用日本語」が身に付き社会に対する意識が高まる

――新聞を教材として、授業に使った経験があるそうですが、どんな内容でしたか。

明治大学文学部 齋藤孝教授 齋藤 孝教授

 新聞から自分の好きな記事を選んで切り取り、それをノートの見開きの左側に張ります。右側には、その記事の要約と自分なりのコメントを書きます。そしてそのノートをもとに、2人や4人一組になって、自分以外の人に説明をする、という授業でした。大学でこの授業を1学期の間、毎週続けたところ、学生からすごく評判がよかったのです。社会やニュースを見る目が変わり、学生自身の中にもポジティブな意識変化があったようです。初めは、切って張って話すなんて、面倒くさいし、子どもっぽいと言われるかと心配していたのですが、「もっと続けさせてほしい」と言ってくるほどでした。僕のこれまでの授業の中で、ある意味、もっとも劇的な効果があったように思います。以来、大学生だけでなく、さまざまな場面でこの授業をやってきました。

――学校の授業で新聞を使うと、どのような成果があるのでしょうか。

 大きくは3つあると見ています。

 新聞は、社会意識が集約されたものと言えます。その新聞に触れることで、たとえば「将来あんなことがやりたい」「英語って必要なんだ」と感じ、学ぶ意欲が出てきたり、自分の人生プランに対して意識的になれたりします。動機がないと学ぶことは難しいものですが、「社会の中で自分がどうしたいのか」という目標を見つけられると、勉強に対しても前向きになれるようです。

 次に、新聞を読むようになると「実用日本語」が身に付きます。実用日本語とは、情報を理解・分析し、それを論理的にまとめ、発信する力です。これまでの学校の国語の授業では、感性豊かな「文学的な日本語」の読解力や表現力が重視されてきました。しかし、国際化が進む今、必要なのは実用日本語の能力です。国際社会では「意味」が共通通貨になるからです。英語力ももちろん大切ですが、それ以上にしっかりとした実用日本語を使いこなし、意味の通ることをコミュニケーションできることが国際人としては重要になるのです。

 新聞は、読む人によって解釈が変わるようでは困るので、伝えるべきことが簡潔な文章でまとめられています。そうした新聞記事を読み、要約し、自分でもう一度言葉にしてみることで、無駄のない、意味のある実用日本語に慣れることができるのです。

 新聞の記事を声に出して読んでみるのも、いい方法です。日本語は日常生活では使わない語彙(ごい)が意外に多く、その多くは漢字の語彙です。日本語は、言葉を聞いて漢字が浮かばないとうまく聞き取れないし、理解するのも難しい。活字で聞き、活字で考えるという「活字力」も、新聞を音読したり人に説明したりすることで、身に付きます。実用日本語の語彙は絶対的に必要で、集中的に鍛えなければ国際社会の中で必ず後れをとることになるでしょう。

 3つ目は、プレゼンテーションという形式をとることで得られる成果です。人に説明しようとすると、一生懸命記事を読み、一生懸命考えるようになります。僕は、ジャーナリストの池上彰さんの存在が非常に大きいと思っています。ニュースというのは、大切で身近で、そしてなんといってもおもしろいものだと、子どもたちも感じることができたからです。一種の「ニュース革命」が起きたのです。このいい機運に、単に池上さんの番組を見るという受け身の立場ではなく、自分が池上さんになっちゃおう、池上さん風にニュースを説明してみよう、と。そして、自分なりの視点でのコメントを発表する。この「発表力」を習得することで、現代社会や国際社会における主体性を育てることになります。

 そして、自分が選んだ「マイ記事」は、記憶に残り、それが一つの磁石になって関連するニュースが次々と耳に入ってくるようになります。たとえばパレスチナ問題や中国問題について選び、発表した経験があると、その後その問題に関連したニュースがどんどん耳に入ってくるようになる。継続して新聞を読むことで、 知識が寄り付く島のようなものを作ることができるのです。

――新学習指導要領では新聞の活用が明確に位置付けられました。教育現場では、新聞はどのように役に立つと考えますか。

 新学習指導要領が重視することのひとつに、メディアリテラシーの教育があります。今の時代、メディアで発信される情報を読み解く力は、民主主義を運営していく上で基礎的な力です。みんながある情報に操作されると、正常な判断をできずに、パニックに陥る可能性があるからです。昭和のころに比べるとメディア環境が多様化し、このメディアリテラシーが圧倒的に求められる時代になりました。そうした力を培うには、ひとつのニュースに関しても違うニュースソースに触れたり、人の意見を聞いたりして、議論することが必要です。日本の新聞は、新聞社によって多少の角度はありますが、極端に偏ってはいません。そうしたことからも、メディアリテラシーを身につけさせるために新聞は非常に使いやすい教材になりえると考えます。たとえば2~3紙の同じ記事を比べてみれば、新聞社の立場や、見出しの付け方によって、内容の見え方が違ってくることが理解できるはずです。

 また、どうしても情報が古くなってしまう教科書に対し、新聞に載っていることは今現在のニュースなので、子どもたちは「今起きていることなんだ」と関心を持つことができます。授業では、現在進行形のニュースと、歴史など過去の出来事を結び付けて解説すると、子どもたちの理解はより深まると思います。たとえば、社会科ならアフリカの民主運動を取り上げながら、その背景にある歴史を学んだり、科学では過去の知識を説明しながら新しい発見を解説したり、といった具合です。

 そして、朝日新聞の「ひと欄」のように、人物を取り上げたようなコラムは社会的に意味のある生き方を教えることができますし、子どもたちは自分の将来について具体的かつ主体的に考えるようになります。また、「声」のような読者投稿欄では、ひとつのテーマについて複数の意見が寄せられます。そうした記事を読むことで、複数の意見を受け入れる許容力や、複眼的な思考力が身につきます。

 情報は常に変化していて、正しいと思っていたことがそうでなくなることもある、ということも、新聞を読み続けていれば理解できるはずです。情報はうのみにせず、ある種の「揺らぎ」を持ちながら是正していくことを、自然と学ぶことができると思います。

学校で、そして、家庭でニュースについて議論してみよう

――教育者の立場で新聞に期待することは。

 子どもが自力で読める紙面を作ってほしいですね。朝日新聞の「朝日小学生新聞」をはじめ、子ども用の新聞はあって、それはそれでおもしろいのですが、そうではなく、大人の新聞の中に子どもが自分で読めるコーナーや面があるといいな、と思います。それも、子ども用の話題ではなく、世界で今どんなことが起きているかといった普通のニュースを取り上げ、ふりがなを振る、言葉の解説をするといったことで、子どもでもわかりやすい構造にする。今もいくつかありますが、Q&A方式のコーナーをもっと増やすといいのではないでしょうか。

 ただ、これは子どもに限ったことではありませんが、言葉がわからないと読むのが嫌になってしまうものなので、ニュースやそこに出てくる言葉を子どもにも理解できるように説明できる、やわらか頭の記者が育ってくれるといいですね。紙面では、キャラクターを媒介にしてもいいと思います。「しつもん!ドラえもん」も非常にいいのですが、クイズ的でちょっと小さいな、と。もう少し本格的に紙面を割いて、子どもが地続きで大人の新聞に入っていけるようにしていくことが、次の読者を育てるためにも、また、日本の次世代の社会的成熟度を高めていくという意味でも、新聞社のミッションではないかと考えます。

 また、新聞をどのようにして授業に取り入れるかで迷う先生たちも少なくないと思うので、新聞を使った学校の授業の実践例が紙面でたくさん紹介されると、いいヒントになるでしょう。全国に広まって定着した「朝の読書運動」も、最初はある学校の先生が始められた活動でした。子どもたちが新聞を開き、切って張るといった光景を新聞記事で紹介することで、新聞を活用した学習が大きく広がっていくといいですね。

――新聞を使って家庭でできることはありますか。

 子育てするときに新聞をとらないというのはありえないと、僕は考えます。新聞という媒体になじむことで、子どもの学力水準は格段に上がります。受験勉強はもちろん大切ですが、実は新聞を読んでいるような子のほうが結果として受験にも強いんです。知的好奇心のある子どもに育てるためにも、学校はもちろん、家庭でも新聞やニュースをめぐって議論するのがいい。新聞は、親子のコミュニケーションにも一役買ってくれるはずです。

齋藤 孝(さいとう・たかし)

明治大学 文学部教授

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒。同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。専門は、教育学、身体論、コミュニケーション技法。2001年に出版した『声を出して読んでみたい日本語』(草思社・毎日出版文化賞特別賞)がシリーズ260万部のベストセラーになり日本語ブームを作る。ほかに『新聞で学力を伸ばす』(朝日新聞出版)、『読書力』(岩波新書)、『質問力』(ちくま文庫)など著書多数。