阿修羅像の「ファン」たちが話題のすそ野を拡大

 2009年、奈良・興福寺創建1300年を記念して「国宝 阿修羅展」(朝日新聞社など主催)が東京、福岡で開催された。阿修羅像の3つの顔を360度から拝観できる展示の工夫や、「仏像の展覧会」の常識を破ったプロモーション活動などが話題を呼び、会場には若い女性層など幅広い世代が詰めかけ、計165万人を集める社会現象的な盛り上がりを見せた。企画・運営および広報活動に携わった、朝日新聞社事業本部文化事業部の鈴木麻之に聞いた。


常時拝観できる仏像に「特別な場」を用意する

――「国宝 阿修羅展」は、3月31日~6月7日に東京国立博物館で、7月14日~9月27日に九州国立博物館で開催されました。東京の来場者数は94万6172人。九州では71万138人と、日本美術の展覧会としては史上最高の入場者数となる展覧会になりましたが、朝日新聞社が主催に加わった経緯とは。

 その質問はよく受けるのですが、いつ、誰が、企画したというようなことではないので、答えが難しいです。あるとすれば、2010年に創建1300年の節目を迎える興福寺が、いろいろな記念事業のひとつの柱としてこれを考え、朝日新聞社をパートナーに選んでくださったということです。2004~2005年に、全国各地で「興福寺国宝展」を開催させていただいたことなどがあり、今回も弊社の文化事業の担当者が長年お付き合いを重ねてきた中いただくことができたお話だと思っています。

 阿修羅像は57年前に東京で展示されて以来、一度も東京に来ていませんし、九州は初めて。今回東京で実現したように、阿修羅を含む八部衆像と、十大弟子像の現存する国宝の全14体がそろって寺外で公開されたこともありません。文化事業に携わる者にとっては、これは誰もが夢に見る企画のひとつです。一方、興福寺では中金堂の再建が予定されており、これを機に、興福寺が守り伝える寺宝のすばらしさはもとより、奈良文化や仏教美術への社会的な注目を高め、関心のすそ野を広げるような展覧会にしたいと思いました。

――展覧会の特徴を改めて教えてください。

 展示方法、広報戦略、運営などすべてにかかわることですが、まず考えたのは、「21世紀に、阿修羅展を東京と九州でやる意味とは何か」ということです。例えば阿修羅像の魅力を突き詰めれば、それはたぶん「表情」にあると私は思っています。正面のお顔は憂いをたたえつつ何か強い意志のようなものを感じさせます。向かって左は唇をかみ、やや感情を外に表しています。そして向かって右はどこか内省的な印象を与えます。憂い、迷い、苦しみ、決意・・・・・・。3つの表情は、どんな言葉でも単純に表現できず、あいまいで、謎めいていながら、私たちの心を強くとらえます。先が見えず、一人ひとりがさまざまな悩みや不安をかかえる現代人がそれらのお顔に向き合ったとき、百人百様の心の対話が成立するのではないか、美術鑑賞という枠を超えた精神的な感動が生まれるのではないか。それを目指そうというのが、大きなコンセプトでした。

 阿修羅像は、普段は興福寺の国宝館で365日拝観することができる像です。しかしガラスケースの中に収まり、背中が壁に寄せられているため左右の顔をよく見ることができません。今回は360度、そしてさまざまな高さから像を見られるような会場の構成にするとともに、ガラスケースを取り払ってお顔をじかに対面できるようにしました。また最新のバーチャルリアリティー技術を使い、阿修羅像の姿をデジタル化してより深く理解していただけるような映像を上映するなど、新しい時代にふさわしい試みも取り入れました。

――展覧会の開催にあたり、もっとも苦労したことは何でしょう。

東京国立博物館平成館前には連日長蛇の列ができた=鈴木写す= 東京国立博物館平成館前には連日長蛇の列ができた=鈴木写す=

 最大の苦労は「1300年前に作られた国宝の像を動かす」ということですね。梱包(こんぽう)、輸送、開梱、展示にあたって、どんな小さなミスも許されません。正直、逃げ出したくなるほどの重圧がありました。それでも、この展覧会を開催する意義を信じて、準備に万全を期しました。限りなく100%に近い安全が確保できる方法を、お寺や輸送業者の日本通運、東京国立博物館、九州国立博物館の専門家のみなさんと徹底的に調査し、検証し、議論し、実験し、追求していきました。

 阿修羅像を梱包するアルミ製の特殊な箱を開発し、アイソレーター(防振器)を付けるなど、仏像に移動中の振動が伝わらない最先端の技術を投入しました。実はこういった大変さもうまく世に伝えられれば、展覧会の「物語」が膨らみ、「出会い」の価値を高めることができるのではと考えました。ちょうどNHKから取材をしたいという話があり、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で今回の運送を指揮した日本通運の海老名和明さんが取り上げられたことで、「阿修羅展」にまつわる物語がさらに膨らみました。


文化事業も「報道」と「言論」の両輪で伝える

――消費者の心をとらえるために、どういった取り組みをしましたか。

 まず、「消費者」という意識はありません。阿修羅像をはじめとする展示品の魅力は「消費」するものではなく、一緒に「共有」するものだろうと思います。その魅力は、日頃、仏教美術や仏像に関心のない方にも必ず伝わると信じていました。そして見る人、一人ひとりの心と交流する阿修羅像の多面的な魅力を伝えるのに、一面的な伝え方ではいけないとも思いました。だから、きちんとその魅力を語ってくれる方にどんどんファンになってもらい、語り部、伝道師になって、この展覧会の見えない応援団としてクチコミを広げてもらうことはできないだろうかと、ファンクラブを構想しました。ひとつの仏像のファンクラブを作るというのは、初めてでしょうね。会長に就任していただいたみうらじゅんさんは、その趣旨に賛同していただき、まさに、クチコミの核となってくれました。

 そのほか、すそ野を広げるために意識したのは若い人にどのように関心を持っていただけるか、です。10代の女の子が読む雑誌「JUNON」のスーパーボーイコンテストに阿修羅展にちなんだ特別な賞(阿修羅ボーイ)を設けたらどうだろう、と主婦と生活社に提案したのも、そのためです。また、フィギュアで名高い海洋堂に、今回初めて仏像のフィギュアを作ってもらいました。コアなファンがいるだろうとの狙いでしたが、早々に売り切れたことも話題となり、予想外に広範な人に関心を持っていただくきっかけとなりました。

 ファンクラブも、阿修羅ボーイも、フィギュアも、一見奇抜なアイデアですが、そもそも仏教はその教えを熱を込めて周囲に伝えることで信者の幅を広げてきたわけですし、仏像は文字通り、アイドル(宗教の対象としての偶像)であり、フィギュア(立体造形)であるわけですから私としては自然な発想です(笑)。

阿修羅ファンクラブ会員バッジ。東京、九州両展で2万人もの会員が集まった
「JUNONスーパーボーイコンテスト」で「阿修羅ボーイ」に選ばれた後藤崇太さん(右)と、審査員を務めたモデルのはなさん。翌朝のTVワイドショーやスポーツ紙も話題に取り上げた
海洋堂が制作した「阿修羅フィギュア」は29,000個が完売した

――クチコミによる自由な話題の広がりを重視した一方で、従来のメディアを使ったコミュニケーション戦略で重視したポイントは。

 周囲の方たちから「朝日さん、仏像展の宣伝なのにそこまでやるのですか」といわれるような自由な発想が実現できたのも、まず興福寺のご理解があり、そして私たちが新聞社として「情報を全国多数の人々に均一に届ける」という部分の担保ができていたからです。本紙では多くの特集企画を組みましたが、大きなビジュアルをダイナミックに打ち出せたのは新聞ならでは魅力ですね。阿修羅像の顔のアップを意識して使い、その日の新聞の中で一番存在感とインパクトのある紙面を目指そうという気持ちで取り組みました。

首都圏各駅に掲出された大型ボード広告 首都圏各駅に掲出された大型ボード広告

 その考え方を交通広告にも生かし、開幕3カ月前という異例の早いタイミングで、首都圏のJR・私鉄全線にわたる大型ボード広告200面をおさえ、「今年は阿修羅」を印象づけました。こちらも阿修羅像の顔を実物の何十倍にもなる大きさで使ったり、横長のスペースでは国宝の像14体を等身大で並べたりと、見た人の度肝を抜くような「圧勝」を目指しました。「○○駅でも発見!」「帰宅途中で見て癒やされた」など、多くの仏像ファン、阿修羅ファンの皆さんのブロクで話題になるなど、単純な広告効果以上の波及効果を生みました。これだけ社会に情報があふれている世の中ですので、自分の友人や信頼している人が発信する「温度のある」情報の価値がより高まっているのだと思っています。そうした「熱い」情報のリレーが自然にスタートするような話題の着火を心がけたといえばよいでしょうか。

――さまざまなメディアの「ヒット商品番付」で上位にランクされました。率直なご感想を聞かせてください。また、ヒットの背景、ヒットの要因をどうとらえていますか。

 最大のヒット要因は、なんといっても1300年もの間、興福寺に守り伝えられてきた阿修羅像そのものの魅力だと思います。等身大の青年像でもあることから、思春期の、あるいは、大人になる前の悩みを共有してくれると感じた方もいたかもしれませんし、この先の見えない時代に何かしらの光明を与えてくれるように感じた方もいたでしょう。

 仏像の展覧会が「ヒット商品」と呼ばれることはこれまでなかったと思います。「商品」という言葉には違和感を感じますが、これまでの常識を超えた話題の盛り上がりを目指していましたから、素直にうれしいですね。ただ、阿修羅展が単に「ブーム」かといえば、少し違うと思います。阿修羅像が次に興福寺から外に出るのは、何十年先か、何百年先か分かりません。二度とないかもしれません。大勢の人々が、同じ時、同じ場で、一体のお像を見つめながら思いを胸にするという体験を共有したことで、何十年後にそうした光景やそのとき感じたことなどをふと思い出したり、思わぬ人と思わぬ場所で話題になったりすることもあるでしょう。そんな形で皆さんの心にずっと残っていくものだと思います。

――新聞社の事業部門として、今回の成功で改めて感じたことは何でしょう。

 ひとつは、ターゲットを決めつけないということですね。仏像=年配層、歴史好き、などといったステレオタイプで広報の幅を狭めてはもったいない。イベントというのは、この企画は昼に時間のある主婦向きだとか、ともするとターゲットを決めつけてしまいがちです。しかし、私たちはせっかくマスメディアをもっているわけですから、アイデアをひねれば従来とは違うターゲットにリーチできる可能性がありますし、従来のターゲットをおさえながら、外部の協力を得ることで、新しい挑戦に飛び出すこともできるわけです。

 私にとっても、新聞社の文化事業部というのは仕事をする上で大きな意味を持ちます。朝日新聞とは何かといえば、私は「報道」と「言論」だと思っています。報道というのは、知って欲しい情報を社会にあまねく伝えることです。そして言論とは、今起きていることにはどういう背景があって、私たちに対してどういう意味を持っているかといったような、情報の価値付けをすることです。「誰も見たことのないものや、普段見ることができないものが見られます」という報道だけでなく、言論としての発信のあり方を突き詰めれば、どんなジャンルでも切り口と見せ方によって、新しい感動を生むことができる。阿修羅像は私たちにそう気づかせてくれました。