自社アカウントは持たず、クチコミの自然発生を目指す
「ガリガリ君」は2016年で誕生35周年を迎える、赤城乳業を代表するアイス菓子だ。ガリガリ君の販売数は、他社を含めた全アイスのなかで1位を獲得。今年4月に値上げした後も、販売数は前年比の10%増と好調を維持し、いまや「日本一売れるアイス」として多くの老若男女から親しまれている。
ガリガリ君といえば定番のソーダ味に加え、これまでに100種類以上のフレーバーが登場している、変幻自在のアイスとしても有名。なかでもここ数年、衝撃シリーズとして発売された「コーンポタージュ味」や「ナポリタン味」は、ネット上を大きく賑わせた。とくに2012年に「コーンポタージュ味」が販売された際は、ヤフーニュースのトップに7回取り上げられ、Twitter、Facebookともに拡散数第1位。発売3日で販売休止になるほどの大ヒットへとつながった。
しかしこの際、赤城乳業がプロモーションとして実施したのは、プレスリリースの配信のみ。ガリガリ君としてのSNS公式アカウントも無く、自らの情報発信はまったく行っていなかった。それにも関わらず、広告費換算で5億5,000万円の効果を得ることができたという。これについて同社営業本部マーケティング部部長の萩原史雄氏は、「マーケティング的な戦略でウェブ上を賑わせてやろうとは狙っていません。あくまでクチコミなどが自然発生しやすい仕掛けを作るのみ。おもしろい商品を市場に出すから、遊んでね、売り場に立ち寄ってね、というスタンスです」と語る。
コーンポタージュ味の発売までにも、赤城乳業はウェブ上でさまざまなトライ&エラーを繰り返してきた。2006年には、学校卒業と同時に起こる消費者のガリガリ君離れを食い止めようと、ファンクラブ「ガリガリ部」を創立。ネットやクチコミで話題が広がったことで想定以上の数の部員を集めた。またおみくじ付きの「ガリガリ君リッチミルクミルク」もネット上で話題が広がり、冬の寒い時期の発売だったにも関わらず、売り上げは2.6倍に。なおこの商品について、朝日新聞の生活面に「おみくじアイスが子どもを励ました」という投書も掲載された。
海外にまで話題が飛び火した謝罪広告
しかしながらすべてがうまくいったわけではない。2014年に販売した「ナポリタン味」では、これまでの手法が通用せず、コーンポタージュ味に比べて反響が鈍化。結果、3億円の赤字を出すこととなった。「遊び心が過ぎました」と苦笑いする萩原氏だが、失敗を糧に次へとつなげるのが赤城イズム。反省を生かした形で取り組んだのが、例の謝罪広告だった。
「値上げを消費者がどう捉えるか、事前の予想は半々だったのですが、3月上旬に値上げのリリースを発表したところ、『値上げしても買います』という多くの好意的な声が寄せられたのです。この流れなら受け入れてもらえるのではないかと、謝罪広告に踏み切りました」
赤城乳業は、4月1日の朝刊に全面広告を掲載するとともに、1日と2日限定で60秒のテレビCMを放映した。会長、社長を筆頭に、赤城乳業の社員約120人が頭を下げる絵と、昭和のフォークシンガー故・高田渡さんの『値上げ』をCMで流し、新聞では歌詞を掲載して消費者に対するお詫びの気持ちを伝えた。
するとCM動画がネット上で一気に広がり、YouTubeの再生回数が累計230万回を突破。ヤフーニュースを何度も飾ることになった。ここまでの反響は萩原氏もある程度想定していたというが、話題は意外な場所に飛び火する。5月1日にニューヨーク・タイムズ紙の1面に掲載されたほか、イタリアやブラジル、アジア諸国のメディアでも報じられたのだ。各国からの取材対応に追われた萩原氏は、「海外メディアの反応は本当に想定外でした」と一連の反響を振り返る。
謝罪広告の成果について、萩原氏は「値上げにより今期の販売本数はかなり下がるだろうと予測していました。だからこそ値上げリリースの発表後は、どんな取材も受け入れ、値上げの背景や踏み切るまでの経緯を誠実に語ってきました。この赤城乳業の『おもい』の部分を、ウェブだけではなく、新聞やテレビと、各メディアの特性を生かしながら順番に伝えることができたのが、消費者の皆様に『25年間値上げをせずに頑張ってきた』というストーリーとともに、値上げを受け入れてもらえた理由だったと考えています」と話す。
ガリガリ君の発売や、値上げなど、赤城乳業のプロモーションはつねにリアルから始まる。だからこそウェブ上で仕掛けが空回りすることなく、人々の心を動かすことができるのだろう。最後に萩原氏にこれからのウェブ戦略について尋ねた。
「時代とともにウェブのあり方はどんどん変わっていくので、これからどうしていこうという具体的な計画は立てられないのが本音です。その時代の空気を読みながら、消費者の皆様に『楽しく遊んでもらえる』最適な仕掛けは何なのか、一つひとつ探っていくしかないでしょう」