今年1月、朝日新聞に作家のあさのあつこ氏による書き下ろし小説『この手に抱きしめて。』が掲載された。これは同時期に放映されたアステラス製薬のテレビCMと連動したシリーズ広告だ。さらに朝日新聞デジタルの特設サイトでも紙面に掲載していない特別編も含めてこれらの広告を公開した。一連のキャンペーンの狙いについて同社に聞いた。
好評のテレビCMに連動した「小説広告」を新聞とデジタルで
医療用医薬品の研究開発・製造販売を手がけるアステラス製薬は、2011年から約3年にわたり、『僕は、アステラスのくすり。』という企業広告を展開してきた。これは新薬の開発によって、世界中の人々の健康に貢献したいという同社の企業姿勢を示すブランドコミュニケーションの一環だ。「くすり」が主人公となって、「僕は、」と人々に語りかけるスタイルが視聴者の共感を呼び、2013年の第50回ギャラクシー賞CM部門に入賞している。
テレビCMの狙いについて、広報部コミュニケーショングループ課長の藤本雅也氏は、「当社は、医療用医薬品に特化した事業を展開しており、医療用医薬品については、製品名による広告が薬事法により禁止されているので、製品以外で他社と差別化する必要があるのです。社名は知っているが、業務内容がよく知られていないことが課題でした。そこで当社の企業姿勢を伝え、どんな思いで、何を目指して新薬を開発しているのか伝えたいという趣旨で企画しました」と話す。
2014年1月18日から、このCMの第6弾『パパとぼく/結婚式編』の放映が始まり、それに連動させて1月20日から5回にわたり、朝日新聞の夕刊1面にメッセージ広告『この手に抱きしめて。』を掲載した。前立腺がんとわかった一人の父親の孤独な気持ちや、病と向き合う恐怖心、治療を経て娘の結婚式を迎えるまでの心情をつづった小説となっている。1日1話ずつ5日間、夕刊にストーリーを掲載し、6日目は朝刊全15段に1~5話の全文を掲載した。さらに、朝日新聞デジタル内にも特別サイトを設置し、ウェブ限定の6話を加えて全文を掲載した。
小説というコンテンツを活用した理由として、藤本氏は、「テレビCMによってある程度、企業名の認知を広めることはできたと思いますが、新聞に連続掲載することでより一層当社の事業活動に興味を持ってほしいと考えました。前立腺がんを患っている方を年齢別にみると60歳以上でその数が急激に増加しています。その層は、新聞の精読率は高いですし、夕刊は文化欄などが充実しており、届くのを楽しみにして読んでいる方も多い。非常に親和性が高いと考えました」という。
人々の細かな心情の変化を描くのが得意なあさのあつこ氏に執筆を依頼した理由として、「あさのさんなら、病気と闘う患者さんやそのご家族の気持ちを表現してくださると考えました。そして、あさのさんのファンの方や、あさのさんの作品なら読んでみたいと思う方にも目を留めてほしかったですね」(藤本氏)。
これまで展開してきたCMシリーズは、本上まなみさんのやさしい声と、城井文さんのやわらかなタッチのイラストが印象的な温かいテイストだ。あさの氏ならこの世界観を大切にする小説を執筆してくれるはずと期待をしたという。
2014年1月20日付 夕刊 全3段 アステラス製薬
作家に特別な要望はなし 事前に丁寧に企業姿勢とCMの世界観を共有
テレビCMはこれまで同様、「くすり」である「僕」の目線で展開したが、あさの氏の小説はこれとは異なり「父親」目線で展開し、テレビ編の「裏ストーリー」になっている。しかし、あさの氏には設定やストーリーに関して、一切注文をつけていない。
「作家の持つオリジナリティーを消したくなかったので、いたずらに制約をかけてはいけないと思いました。仮にもし万が一、CMの世界観と異なる作品ができたとしても、書き直しをお願いしないとも決めていました」(藤本氏)。
しかし、依頼から約2カ月後に届いた原稿は、CMの世界観が見事に表現されたすばらしい作品だった。藤本氏によれば、この企画の成功の鍵は、執筆依頼をする際に行ったオリエンテーションだったという。
「あさのさんのご自宅近くまで伺い、半日以上かけてこれまで放映した5本のCMをご覧いただきました。それとともに、CMの世界観や広告をする意義、新薬開発にかける思いなどをじっくり説明したのです。作者にとって、ある世界観からストーリーを立ち上げることは想像力を最大限に生かせる得意領域。ああしてほしい、こうしてほしいと細かく要望を出すのではなく、広告を通して何を伝えたいかを共有できたからこそ、イメージ通りの作品を書いてもらうことができたのだと思います」(藤本氏)。掲載後は反響が大きく、「感動した」「この小説を本にしてほしい」、「続きはないのですか?」などの問い合わせが相次ぎ好評を博している。
今回、新聞に加えて朝日新聞デジタル内でスペシャルサイトを開設した理由について藤本氏は、「自社のインターネットサイトでは、当社に興味があって見にきてくれた人にしか、この小説を読んでもらうことができません。朝日新聞デジタルの読者に伝えれば、これまで私たちに興味がなかった方にも注目してもらえます。もちろん、朝日新聞デジタルから当社サイトへの導線をつくることも狙いました」と話す。
同社は病気と闘う人のチャレンジエピソードを紹介する「勇気、つながれ.com」や、新薬の研究開発ストーリーを絵本形式でまとめた「くすりづくりの絵本」など、デジタルコンテンツの展開にも力を入れる。「コンテンツの届け方や見せ方に制約が少なく、自由で幅広い手法があるデジタルコンテンツは、非常に魅力的で重要な位置付けです」(藤本氏)製品名で訴求できないという制約があるからこそ、企業名の先にある企業のイメージを伝えるアイデアを磨く同社の取り組みに、これからも注目が集まる。