創業100周年の記念の年に、刊行点数が2,000点を突破

 今年、創業100年を迎えた講談社の「講談社現代新書」は、刊行書籍が2,000点を突破した。講談社宣伝局書籍宣伝部副部長の宮田徹氏に、ここに至るまでの経緯、最近のベストセラーなどについて話を聞いた。


「教養の大衆化」をねらい、45年間に2,000点を刊行

講談社宣伝局書籍宣伝部副部長 宮田徹氏 講談社宣伝局書籍宣伝部副部長 宮田徹氏

――「講談社現代新書」の創刊時期とねらいについて聞かせてください。

 創刊は1964年3月22日です。刊行にあたって、当時の社長だった野間省一が「教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方的に人々の手元に配布され伝達されうるものではありません」と述べているように、教養を大衆化し、広くみんなの手に届くものにしていこうという狙いがありました。

 当時、すでに「ミリオン・ブックス」「ロマンブックス」「ブルーバックス」という新書のシリーズがあったのですが、教養ものは売れ行きが悪かった。営業部門からの反発もあり、権威のある学者に執筆してもらうことを条件にスタートしました。しかし、内容はわかりやすく、できる限り咀嚼(そしゃく)しやすいものにしました。第1回の配本は、当時、一橋大学教授だった都留重人氏著の『経済学はむずかしくない』、同じく一橋大学教授・南博氏著『現代を生きる心理学』、慶應義塾大学教授・池田弥三郎氏著『光源氏の一生』の3冊で、以降、毎月刊行されてきました。

 創業100周年という記念の年に2,000点を突破することになりましたが、それを狙ったわけではなく、粛々とやってきた結果です。でも、節目の年に節目の出来事を迎えることができた「講談社現代新書」は、運も味方してくれているな、と感じています。

――これまでにどんなベストセラーが出ましたか。

 『知的生活の方法』(渡辺昇一著、76年)、『タテ社会の人間関係』(中根千枝著、67年)、『考える技術・書く技術』(板坂元著、73年)などは、今でもロングセラーを続けています。最近では、青山学院大学教授・福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』が65万部を売り上げ、さらに今年7月に刊行した『世界は分けてもわからない』は1カ月後に15万部を突破しています。福岡さんの本は決して簡単な内容ではありませんが、学術的な新書でありながら文芸的な味わいも感じることができ、そうした深く広い魅力が高い支持を得ているのだと思います。

――7月19日、朝日新聞朝刊に2,000点突破の広告を5段見開きで出稿しました。

2009年7月19日付朝刊 講談社「講談社現代新書」 2009年7月19日付朝刊 講談社「講談社現代新書」

 実は1,500点を突破した98年、ブルーバックスと一緒に30段の広告を出稿した経緯があって、今回も15段を検討しました。ただ、その方法だといかにも「広告」になってしまい、手前みそのような印象を与えるのではないか、と。そこで、定期的に出稿している3面の下5段をさらに2面まで広げ、講義中の白衣姿の福岡さんと、『わかりやすく〈伝える〉技術』が評判の、ジャーナリストの池上彰さんの写真を両端に載せることで、単なる「本の告知」ではなく、著者と本のすばらしい世界を表現しようと考えました。

 掲載した朝日新聞の2面、3面は、政治や経済といった主要なニュースを伝える面です。その面に載っている出版物の広告は、「ニュースの答え」にもなり得るほど緊密な関係があると考えます。上の記事とともに、下の広告に出ている話題の新刊本もまたニュースであるととらえてもらいたい、という期待もありました。

――広告の反響はいかがでしたか。

 とても大きな反響があり、広告に出したほとんどが、あっという間に重版をかけることになりました。朝日新聞の読者は本に親しみ識字能力の高い人が多く、今回の広告に限らず、いい本を紹介すると非常に反応がいいと感じています。

――今後の展望、抱負などを聞かせてください。

 出版不況の中、新書は、各社で売れ行きのいい著者を奪い合っている状況です。しかし、新書は継続して刊行することこそが存在証明になるととらえており、激しい「新書戦争」の中においても、変わらずに丁寧に作り続けることが重要だと考えます。本にできることを改めて考え、本にしかできないことを追求する。そうした原点に立ち返りながら、いい作品を世に出していきたいと考えています。