昨年、誕生50周年を迎えた日清食品の「チキンラーメン」は、“インスタントラーメンの元祖”といわれる画期的な食品であり、その味とパッケージデザインを今日まで大きく変えることなく継承する稀有(けう)のロングセラーだ。日清食品マーケティング部第3グループ ブランドマネージャーの吉田洋一氏に、そのブランド戦略と近年のコミュニケーション展開を聞いた。
社内の他商品とのカニバリズム(共食い)を恐れない
―― まずは吉田さんの略歴を聞かせてください。
私がチキンラーメンのブランドマネージャー(BM)を担当したのは、昨年の5月からです。8月25日がチキンラーメンのバースデーですから、弊社が本格的に50周年のコミュニケーション展開に取り組む直前でした。私の場合は、営業、宣伝といった部署を経てマーケティング部に配属されましたが、BMになるための決まったコースというのはありません。生産や研究部門の出身、若いときにマーケティング部にいて海外勤務など他の経験を積んだ後にBMになる人などさまざまです。
日清食品は、1990年からブランドマネージャー制を取り入れました。現在は「チキンラーメン」のほか、「カップヌードル」「日清のどん兵衛」「日清焼そばU.F.O.」など基幹となる九つのグループに分かれてブランドを管理しています。
―― 日清食品において、BMとはどのような役割を担いますか。
BMはそのブランドを担当する総責任者、いってみればそのブランドの社長のような位置づけでしょうか。つまりそのブランドで売り上げと利益の管理に全責任を負うポジションで、販売促進や宣伝企画だけでなく、製品開発や営業、販売戦略についても主導的に各関係部署とコミュニケーションを取ります。万一、生産や販売の現場にトラブルがあれば、どう対処するか各部と連絡をとりながら最終的に判断するのもBMの仕事です。
―― 自社商品同士が競合ともいえますが、個々のポジショニングをどう管理しているのでしょう。
カニバリズム(共食い)を恐れないというのが、基本的な考え方です。日清食品には、「ブランドオーナーシップを持て」「ファーストエントリーとカテゴリーNO.1をめざせ」などといった、激しい社内競争を恐れない行動精神「NISSIN CREATORS SPIRIT」があります。BMとして開発や営業の担当者を巻き込めず、社内で遅れをとっているようでは、市場で勝てるはずがないからです。
決して既存の商品のことだけを考えて安閑としていられる状況ではなく、自分のブランドを守りながら攻めるという感じですね。
簡便でおいしく、長期保存も可能
安全、安価なチキンラーメン
―― では、改めてチキンラーメンについてご紹介ください。
チキンラーメンは私どもの創業者である故・安藤百福が発明し、1958年8月25日に生まれた世界初のインスタントラーメンです。食品業界には多くのロングセラーブランドがありますが、チキンラーメンは世の中の食文化を変えたという意味で特別なものです。
私がBMになって、改めて驚かされたのは、インスタントラーメンの原点にして、利便性という意味では後に続くすべて商品を凌(しの)ぐことです。麺(めん)にお湯を注ぐだけで、別添のスープ、調味料や湯切りの必要もありません。簡便でおいしく、長期保存ができる。しかも安全で安価な商品でもある。生まれた段階からこのような今日的な要求を満たしている商品だったのです。
また、チキンラーメンは50年間を経て、すでにお客様のブランドになっているということも、非常にまれな特徴です。私たちは「マイ・チキンラーメン」とよく言いますが、お客様それぞれにこだわりの食べ方やチキンラーメンとの結びつきがあるわけです。
その中で私たちが大切にしていることは、チキンラーメンを思い出の中にある商品にしてしまうのではなく、今もこれからも、常に皆様と共にあり続ける商品だと感じていただくことです。
―― チキンラーメンは守るべきブランド資産の多い成熟商品です。BMとしては大きな冒険がしにくく、手をかけても大きな成長を期待しにくいのではないでしょうか。
皆さんそうおっしゃるのですが、必ずしもそうでないと私は思っています。例えば私の四代前のBMが、「たまごポケット」を新たに採用して、この時に過去最高の売り上げを記録しています。アイデアの発端は、お客様の声でした。それで平らだった麺にくぼみを作ってみようと考えたのです。
実は、あのくぼみをつくるのは、技術的にそう簡単ではなく、工場のラインも全部調整しなくてはなりません。そういう状況の中で当時のBMは社内を根気よく説得し、結果を出しました。そのような苦労と成功を私も見てきましたから、今以上に、少しでも多くの支持をお客様からいただくために何ができるかと、常に考えています。あきらめてしまえば、進歩はありません。
シンプルな商品が発するシンプルなメッセージ
―― 昨年、チキンラーメンは誕生50周年を迎え、大々的な記念キャンペーンを行いました。戦略のポイントは。
50周年の節目を迎えた時、BMとして一番意識したのは、商品がものすごくシンプルで素晴らしいものなので、お客様へのメッセージもシンプルに伝えたいということでした。具体的には、まずこの商品が皆様と共に歩み続けてこられた感謝を伝えること、そしてチキンラーメンはますます元気で、次の100年を目指しますということです。
商品面では、「たまごポケット」をさらに進化させ、中央に黄身、周辺に白身とポケットを2段階にして卵を受け止める、「Wたまごポケット」へと昨年5月にリニューアルしました。また昨夏は、北京五輪の日本代表応援企画として「チキンラーメンどんぶり 辛口スパイシーチリ」をはじめとする主力4ブランドの期間限定商品、「チキンラーメン復刻版5食パック」、ゴールドパッケージの「チキンラーメン 50周年記念限定版」など、話題性のある商品を次々と送り出しました。
そしてバースデーの8月25日には、発売以来変わっていない15本のストライプの上に、私たちからの感謝の言葉をあしらった商品パッケージを紙面に大きく据えた全15段の新聞広告を出稿しました。「ありがとう。」の言葉を誰が伝えればいいかを考えたとき、お客様にご愛顧いただいたチキンラーメン自身が伝えるのが一番だと考えたわけです。おかげさまで、たくさんの反響をいただきました。また、このパッケージは9万食分作成し、全国でお客様にサンプリングしました。
キャンペーンは、弊社の創業日である3月5日までを周年事業と位置づけました。8月25日以降は、チキンラーメンの変わらぬ価値を再認識していただきながら、次の50年に向けた販促キャンペーンを行いました。そのひとつが、12月に掲載した、チキンラーメンの系譜図を紹介した新聞広告です。この系譜図では、世界初のインスタントラーメンがチキンラーメンであることを幅広い世代の方に改めて知っていただくということと、そこから生まれたさまざまな商品にまつわるお客様一人ひとりの思い出にひたっていただくことを狙いました。お客様と同じ目線に立って、進化を続けるチキンラーメンに対する私たちの思いを伝えられたと思います。
―― 新聞広告に期待した役割は。
これだけ情報が氾濫(はんらん)している中で消費者にメッセージを有効に届けるのは、マス4媒体だけでは厳しいと思っています。できるだけ多くのコンタクトポイントをつくり、同じコピー、同じトーンでメッセージを発信しながら、各媒体の持ち味を出すことが必要だと考えています。
そういった意味においては、8月と12月の新聞広告は、核となるビジュアルやコピーが新聞という媒体特性に非常になじんでいました。シンプルなメッセージが、新聞のもつメディアとしての信頼性とあいまって、うまく伝えられたと思います。新聞には、新聞のよさというものを持ち続けてほしいですね。
ブランドマネジャーに大切なのは決断力
―― ブランドマネジャーとして、もっとも大事なことは何だと思いますか。
私は決断力ではないかと思います。結局、全責任を負うのは自分ですから、そのつど自分で判断を下していかなくてはなりません。考えて答えが出る問題であれば、スタッフはいちいち聞きには来ません。何か指示や意見を求めている時は、それは考え抜いても迷いが残る問題だからであり、後は自分が最終決断をするしかないわけです。
それとこれは弊社CEOの安藤宏基の言葉ですが、「ブランドは、自分の子供のつもりで育てなくてはならない」ということです。自分の思うように、そう簡単には育ってくれません。手を替え、品を替え、愛情をもって手をかけることが大切です。チキンラーメンは50歳ですから、私よりも年長の子供ですが、まだまだ大きく育つと私は信じています。
―― 「チキンラーメン」ブランドを維持していく上での課題、今後の目標を教えてください。
「チキンラーメン」は、世界の食生活を変えた世界初のインスタントラーメンです。創業者が存命の時は、ことさらその事実を口にしなくても、社員はこの商品のもつ特別な重みを身近に感じていました。これからも社員一人ひとりがそのことを大事に思う気持ちを持ち続けなければ、お客様の心を私たちが動かすことはできません。チキンラーメンとは自分たちにとって何なのか。それを日清食品で働く人たちに考えてもらうことも、自分の重要な仕事のひとつだと思います。
また、「チキンラーメン」がこれからもずっとお客様に愛されていくためには、お子さんたちに愛されることが大切です。さまざまな形で未来を担う子供たちの元気を応援することが、社会と共にあり続ける「チキンラーメン」の大きな役割だと思います。そして日本発、世界初の「チキンラーメン」がずっと元気だということは、日本が元気であり続けているということでもあると思います。