人気漫画家・羽海野チカ氏によるコミックで、白泉社の青年向け雑誌『ヤングアニマル』で連載中の『3月のライオン』第6巻発売の広告が、7月22日付朝日新聞朝刊に掲載された。ビジュアルは羽海野氏の描き下ろしイラストで、漫画に登場するキャラクターたちが主役だ。新聞の5つの販売エリア(東京・大阪・西部・名古屋・北海道)によってキャラクターが異なり、それらを横につなげると全75段のイラストになる。同社はこの展開に先がけ、漫画の登場キャラクターに宛てた手紙を募集する「3月のライオン 手紙大賞」キャンペーンを実施。選ばれた手紙をイラストとともに掲載した。
コアファンへのコミュニケーションを徹底
『3月のライオン』の広告は、発売当初から読者参加型のキャンペーンを打ち出してきた。ファンが定着してきた第4巻発売時には、読者自身が作品の魅力を伝えるテレビCMを発売当日に25本一挙放送。第5巻発売時には、作品中で「方言で言うと面白くなるセリフとシーン」を募集し、採用された方言を漫画にアテレコしたポスター47種を47都道府県の駅に貼り出した。こうしたキャンペーンのねらいについて、宣伝広告部 宣伝広告課 副課長の安藤三四郎氏は語る。
「今の時代は漫画を売るのが難しくなっています。まず、漫画が好きな若年層の人口が減っています。また、漫画はパッケージされて売られ、立ち読みできないので、書店で内容に興味を持って買う、という行為が期待できません。同じエンターテインメントでも、音楽は店頭やネットで視聴できますし、映画は予告編を見ることができますよね。それに比べて内容をアピールしにくいコンテンツなのです。たとえ広告で『面白い漫画です』と訴求しても、新規層にはなかなか響きません。では、どうしたら手に取ってもらえるか。私たちは、クチコミしかないと考えました」
そこで徹底したのが、既存読者を対象とするコミュニケーションだ。『ハチミツとクローバー』など名作を生み出している羽海野氏は、作品に対する思い入れの強いファンを多く抱えており、その人たちを巻き込む施策である。「読んだことのない人とのコミュニケーションは一切考えない、というくらいまで振り切ったほうが、逆にファンの熱は高まります。それがクチコミを誘発し、結果的に新規読者の獲得につながるのではないかと思いました」
最新刊の第6巻発売のキャンペーンでもそのコンセプトは一貫している。ファン参加型の新しい企画として持ち上がったのが、「手紙」だ。
「羽海野先生に宛てた手紙を募集する案もありましたが、漫画の登場キャラクター宛てのほうがより絞り込んでいて、読者の盛り上がりが期待できるのではないかと考えました。メディアは、文字を読むという点で手紙と共通する新聞を採用。朝日新聞の5つの販売エリアごとに版を変えられることを利用し、5種のビジュアルを展開して地域間の読者コミュニケーションを促しました」
手紙の応募総数は、安藤氏の予想をはるかに超えて500通に及び、年齢層も7歳から72歳までと幅広かった。採用する手紙の選定には、編集部や宣伝広告部の担当者数名と、羽海野氏も参加した。「広告効果やキャラクターへの理解度などにはとらわれず、純粋にキャラクターに宛てた手紙として、読んで心にくるものを選びました。どの手紙もすばらしく、作品への思いの深さを再認識しました。羽海野先生も大変感動されていました」
手紙は、羽海野氏の意向もあって6点の採用となり、「零君(東京本社版)」「島田さん(大阪本社版)」「林田先生(西部本社版)」「二階堂君とモモちゃん(名古屋本社版)」「ひなちゃん(北海道支社版)」という人選に。宣伝広告部では、既存の絵を使用するつもりだったが、羽海野氏の一言で描き下ろしが決まったという。5点のイラストは、つなげると1つの絵になる。つながった絵は、同日夕刊1面で掲載した。
「イラスト制作には、大変な苦労がありました。絵の背景は、漫画に登場する街のモデルとなった月島の風景です。1枚の絵としては、キャラクターたちが同じ空間に立っているように見えなくてはいけませんが、背景の遠近感に合わせると、手前に立つ人物が大きく、奥に立つ人物が小さくなるので、5つのイラストに分けるとキャラクターの大きさがまちまちになってしまいます。逆に大きさをそろえてしまうと背景とのバランスが取れません。羽海野先生は、何枚もの下絵を描いて調整してくださいました」
2011年7月22日付 朝日新聞朝刊掲載『3月のライオン』(白泉社)第6巻広告
東京本社版
販売エリアごとに異なるイラスト、すべて集めようとする人も
新聞掲載は、公式ツイッターで予告。「どの地域にどのキャラクターがくるのか?」といった内容で盛り上がった。さらに掲載当日の朝から、「朝日新聞がすごいことに!」「うちの地域は誰々だった!」「他のエリアの広告も気になる!」などといったツイートが急増。愛読者以外の反響も多かった。販売の出足も好調で、緊急重版が決まった。
イラストのポスターも作製し、全国の書店に配布。さらに、7月22日から28日まで、「手紙大賞」6通と新聞に掲載されたイラストの原画などを月島駅で掲出した。月島は、新刊が出るたびにイベントを行い、ファンが集う場所だ。JR札幌駅、JR名古屋駅、JR大阪駅、西鉄福岡(天神)駅でも「手紙大賞」6通とイラストなどを掲出した。
また、5種類のイラストの原画は、8月6日から西武池袋本店で開催された「羽海野チカ原画展~ハチミツとライオン~」にて、チャリティーオークションにかけられ、収益は東日本大震災の被災地への義援金にあてられた。
読者参加型のキャンペーンを新聞広告で展開したことについて、安藤氏はこう振り返る。「テレビCMや駅貼りポスターも話題になりましたが、新聞は漫画と同じ、読む紙媒体なので、とりわけ相性の良さを感じました。大好きな作家の作品を手元に取っておけるというのも、ファンに取っては大きな魅力です。また、今回のキャンペーンでは、5種類すべての紙面を集めようと奔走する人もたくさんいました。新聞の販売エリアを生かし、ファンの心をくすぐる試みができたと思っています」
出版物の広告というと、「100万部突破」などと売り上げ部数を大々的にアピールするケースが多く見られるが、『3月のライオン』は、売り上げ部数を一切公表していない。羽海野氏のファンは、「みんなが読んでいるから」というよりも、「私のとっておき」という思いで購読している人たちで、出版社からの一方的な「売れています。あなたも読んでみては?」というコミュニケーションは、かえって逆効果だと安藤氏は言う。
「邪念なく『楽しんでください』と読者に委ねて、皆で盛り上がってくれる仕掛けが重要だと考えています。やや脱線しますが、『3月のライオン』と同じ『ヤングアニマル』に連載していた『デトロイト・メタル・シティ』という漫画があります。この作品は、初版の部数も多くないコンテンツでしたが、熱狂的なファンがつき、彼らをめがけたコミュニケーションを徹底したところ、クチコミによる反響がどんどん広がってヒットし、映画化もされました。これが、メディアの使い方を見直すきっかけとなりました。コンテンツを知らない人への訴求ではなく、既存のファンに働きかけ、お祭りを盛り上げる装置としてメディアをとらえていこうと。今後も読者が盛り上がれる企画を模索していきたいと思います」