130周年を機にあらためてブランド認知をはかり、永 六輔さんとの絆を伝える

 浅田飴は1887(明治20)年から続く家庭薬メーカーで、2017年に130周年を迎えた。記念日に認定された「浅田飴の日」9月6日に、2016年7月に亡くなった永 六輔さんを偲(しの)び、同社の130年のあゆみと商品ラインアップを紹介する全30段の広告を朝日新聞に掲載した。

「新しさ」よりも「懐かしい」と思う世代を大切にしたアプローチを

2017年9月6日付 夕刊4.9MB

 「せき・こえ・のどに浅田飴」は、1960年代から使われているキャッチフレーズだ。テレビ・ラジオCMで永 六輔さんが語ったナレーションで、全国に広まった。永 六輔さんは同社のロングセラー商品である浅田飴のCMに30年以上にわたって関わり、雑誌広告のコピーも書き、著書でも浅田飴やその創業者について記していた。近年はCMに出ていなかったにもかかわらず、「浅田飴といえば永さん」というイメージが強く、同社内では永 六輔さんに対する感謝の思いがあるという。浅田飴取締役総務部部長兼社長室室長の玉木 卓氏は次のように語る。

130周年ロゴマーク 130周年ロゴマーク

 「当社のイメージを象徴するものとして、永さんの存在は強烈だったと思います。永さんの言葉に『人の死は二度ある。最初の死は肉体の死。でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。』というものがあります。2016年に亡くなりましたが、永さんの存在、残されたすばらしい言葉を今に伝えるお手伝いをしたいと考えました。それとともに、130周年という節目に、改めて浅田飴というブランドを認知してもらいたいという目的がありました」

 永さんの次女でフリーアナウンサーの永 麻理さんと孫の育之介さんの対談、そして浅田飴の創業から現在までの道のり、企業メッセージとしての会長と社長の言葉で構成されている。130周年記念として「『声』でつながる130周年」キャンペーンを企画し、のびやかな歌や会話が弾む様子を表現した130周年ロゴを制作した。

 玉木氏は、「全30段広告は、『声』でつながる、というコンセプトにぴったりでした。永さんから子、孫へとつながっていく価値。そして当社の歴史。ストーリーがつながったのです。永 六輔さんを懐かしく思う人をひきつける一方で、浅田飴になじみのない若い世代には、歴史を知ってもらう機会となる」と言う。

 対談あり、歴史あり、インタビューありと情報密度は濃くなった。「伝えたいことが多く、それが唯一できる媒体が新聞だったと思います。30段というボリュームは迫力があり、周年だからきちんと伝えたい、という当社の姿勢を表現できました。家庭薬メーカーである私たちにとって、一番大切なのは信用です。歴史はその信用の上に積み重なっていく。新聞という信用できる媒体が発信源としてふさわしかったと思います」

「気がつけばそこにある」家庭薬のように、じわじわ響く広告を

玉木 卓氏 玉木 卓氏

 30段広告の反響はというと、永 六輔ファンからは「よくやってくれた」という感想があり、お付き合いのある同業他社からも言葉をかけられた。「当社より歴史の長い家庭薬メーカーから褒めていただきました。家庭薬というものの価値を認識してもらう機会として評価されたと思います。お互いに盛り上げていきたい、という考え方です」。さらに、社内にも効果があった。

 「紙面に掲載したように、浅田飴の起源は江戸幕府の御典医だった、浅田宗伯が考案した漢方処方です。若い世代の社員のなかには、そうした当社の創業のエピソードについての理解が薄くなっている傾向もあります。今回、明治時代の広告画像なども載せられたので、インナープロモーションの役割も果たしたと思います。また、永さんと直接関わっていた会長へのインタビューで思い出が語られ、わたしたちも認識を新たにする部分がありました」

 かつての商品画像や明治時代の引き札など、古い画像データを探し出す手間もあった。しかしそろえられたことで、掲載紙面は今後同社を説明するツールとして利用できるという。

 老舗である浅田飴は、その歴史に裏付けられた信頼を、「声」を軸にしたプロモーションで強固にしてきた。落語や演劇といった声を使う芸術活動への協賛やラジオなど、永 六輔さんの活動ともリンクしている。その半面、新しい世代へのアプローチが課題となっている。

 「子ども向けにドラえもんをパッケージに起用した商品の展開を始めており、そこから子どもの親世代にも浅田飴全体への認知を広げていきたいと考えています。永さんを知らない世代に浸透していないことは、課題だと思っています。アプローチの方法や商品ごとにターゲットを分けながら認知を広げていければと考えておりますが、まずは『懐かしいな』と思っていただける層を大事にしたい。永さんの思い出は当社にとって大事な宝物だと思っています」

 広告表現は、スペースを生かしてシンプルなデザインではなく、あえて情報量が多く読ませるものを選んだ。「衝撃的に刺さる、というよりハートフルなイメージが当社に合うと思います。今回の広告も、思い出の引き出しをトントンとノックするような感じです。こういうコミュニケーションで消費者に近づけていけたらいいですね。家庭薬とは、気づいたら近くにあって、安心して使えるものです。そっと寄り添うようなアプローチがふさわしいと思っています」

3つのポイント

新聞社に期待したこと
医薬品メーカーにとって信用は一番大事なもの。新聞も信用を積み重ねてきた媒体であり、特別な価値があると思っている。周年記念ということで、きちんと読んでもらいたい内容があり、信用できる媒体に掲載したいと考えた。

朝日新聞のイメージ
当社より歴史が古く、企業の重要なメッセージを発信するために使う場だと思う。また、新聞ならではの面の大きさ、紙の「味」のようなものがあり、スマートフォンやパソコンの画面では表現できないことができる。

コミュニケーション上の課題
家庭薬は身近に感じてもらう存在でなければならないが、若い層の知名度が低くなっている。SNSなど若者を意識した発信もしているが、接点がまだ足りないと思う。キャラクターとして永 六輔さんが強かったので、それに代わる人というのはなかなか定められない。今後は総合的にコミュニケーションをはかっていきたい。