「自ら一歩踏み出す勇気を」内田 高広が語る仕事③ ―あるべき未来を想定する―

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成功より、次の成長を求めて

 現在、製薬会社の経営企画部長を務めています。私は新卒で大阪のある製薬会社のマーケティング部門に勤務し、組織の枠を超えて役立ちたいと行動していました。例えば営業効率を高めるために、得意先全店の販売データを分析してシステム化したり、ドラッグストアでしか買えなかったドリンク剤の販売が規制緩和された年には、コンビニや自動販売機へと販路開拓に奔走したりしました。
 そして、人生と仕事を見つめ直そうと以前から決めていた10年の節目の時を迎えました。今後も大好きな今の会社で一般用医薬品事業に携わっていくか、医療用医薬品部門、または管理部門への異動を希望するか。三つの選択肢が浮かびましたが、このままでは挑戦の機会が減り自身の成長が鈍くなるという危惧(きぐ)を抱いたのです。
 大学の同期で銀行や他のメーカーなどに就職した友人と比べると、初期の私の成長曲線は大きな仕事を任せられたおかげで上回っていたと思います。しかし30歳を超えてくると、体系的な教育システムがあり、幅広い部署を経験して鍛えられた彼らに追い抜かれたという感覚が芽生えました。それは、全身全霊で約10年をやり抜いた自負を揺るがす「私は我流ではなかったか」という思いでした。そして、成長を目指すなら大きな舞台で通じるか勝負してみようと決め、誘われて東京の製薬会社、三共(当時)に転職しました。
 32歳での転職後はコンビニ担当の営業リーダーを務めていましたが、初の中途入社社員ということもあり、「社外の知見を生かす」ことを狙って部長会にオブザーバーの立場で参加する機会を得ました。事業部長など上の人たちが積極的に意見を求めてくださり、担当部門やブランドのことだけでなく全社戦略的な展望も問いかけられ、私自身も幅広い経営視点を持つように成長していきました。一つの大きな転換期だったと思います。

統合プロジェクトの重責に挑む

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内田 高広氏

 転職して3年経った頃、所属する三共と第一製薬(ともに当時)の統合が決定し、私は統合プロジェクトの実務リーダーとして指名を受けました。「対等合併は、時に会社対会社の対立もあって非常に難しい。新会社がうまくいき成功するためには、しがらみのない内田くんがやるのが一番だ」と言われ、やり遂げなくてはという責任を強く感じました。
 統合では部門・機能ごとに新会社のあるべき姿を議論しますが、互いのやり方や価値観をそのまま戦わせても平行線をたどります。双方が腹落ちする合意点へ落とし込む気の遠くなるような作業が日々続きました。そうした中で私なりに得たのが、「お互い尊敬し、対立するのではなく同じ方向を向いて統合会社のあるべき姿、未来のビジョンを描く」という本質でした。
 そこで私は「A4一枚のディスカッションペーパーを作成して会議に臨む」「議論が行き詰まった時はペンを持ってホワイトボードの前に立つ」ということを実践しました。向かい合っての議論が対立を生むのであれば、そうではなく、用意したディスカッションペーパーやホワイトボードを見て、同じ方向、同じ未来に向かって議論しようと試みたのです。プロジェクトメンバーが初めて顔を合わせてからわずか8カ月での経営統合でしたが、納得のいく形で何とか新会社設立へと至ることができました。

内田 高広(うちだ・たかひろ)

第一三共ヘルスケア(株) 執行役員経営企画部長


1969年大阪府生まれ。91年同志社大学商学部卒業後、大阪本社の製薬会社に入社した後、2001年三共(株)(現・第一三共)入社、06年第一三共ヘルスケアに移り、マーケティング部企画グループ長などを経て15年子会社の取締役副社長として出向。19年から現職。