先の見えない作業労働に疑問
BtoB(企業間取引)プラットフォームを運営するインフォマートに勤務しています。フード業界を始め、様々なビジネスの売り手と買い手をつなぐインターネット基盤を作り、商取引のマッチングをサポートするのが仕事です。私は大学卒業後、食品流通とインターネットビジネスという2社の業務体験を経て、前職を活(い)かせる当社に巡り合いました。
大学時代は学内の硬式庭球同好会連盟の活動に加わり、イベントや大会開催の資金集めのためネクタイにスーツ姿でスポンサーを訪ねていました。そこで社会人と交渉しながら、働くこと、お金を手に入れることは甘くないのだと感じましたね。
私の実家は江戸時代からお米の卸を生業としていますが、例えばお米が余ってしまう事態には、養鶏場を買って飼料としてさばくという、そんな方策を講じて工夫していたそうです。食べ物の流れをどう扱うか。家業を通して考え、それを自分の仕事と捉えるようになりました。
「食べ物の世界を知るためには、どこへ行けばいいか」が私の就職課題。大手食品メーカーも頭をよぎりましたが、川上も川下も全部理解できるのは中間の流通業務だと考え、総合食品商社を選びました。大学の同期の多くは金融機関や大手企業などに進んでいったけれど、私が選んだ分野は1人か2人だったと思います。
その会社で、新卒はスーツではなくまず作業着。全国にある倉庫の中で中国・四国エリアに配属されました。朝4時に起きて倉庫で荷下ろしなどの作業をし、午後4時ころまで働いて作業着のままみんなでビールを飲み、ひとしきり食べて解散という毎日でした。
いったい自分はここで何をやっているんだろうか、今頃、同期は都会でやりがいのある仕事の最中だろうかと気持ちは晴れません。間もなく、そんな私に東京勤務の辞令が下りましたが、それも首都近郊の倉庫業務です。なかなか気の荒い従業員たちもいる中、私は仕事に励みました。
インターネットに強く引かれる
食品流通の仕事で約3年が経った頃、社会ではインターネットビジネスが台頭していました。渋谷などにベンチャー関連の会社が急速に集まり、ビットバレーと呼ばれて注目を集めていたのです。いかにも楽しそうに新しい事業を生み出しているように見え、自分が時代から取り残されていくように感じた時、「今からあそこに行くことができるかな?」と転職活動に動きました。
やっぱり目指すならインターネットの雄ソフトバンクさんだと決め、運良く、経営支援サービスを手がけるグループ子会社に就職を果たしました。しかしここで、想像をはるかに超えるスピードと発想の違いに圧倒されます。
当時の会社は、インターネットを利用した競り下げ方式のリバースオークションを大手企業に提供している時期でした。またその後、企業の購買支援を行うコンサルティングビジネスも立ち上がり、このようにして私は、インターネットの仕事に必死で食らいついていくことになったのです。
(株)インフォマート クラウド事業推進部門、事業企画・戦略営業部門 取締役
1976年東京都生まれ。2000年慶應義塾大学商学部卒業。総合食品商社入社後、経営支援サービス会社を経て07年インフォマート入社。電子請求書サービス「BtoBプラットフォーム 請求書」の立ち上げに従事、19年同事業執行役員、22年から現職。