「なぜこれを選ぶか深く問おう」坂上 陽三が語る仕事① ―自分探しは時間がかかる―

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行動してみて分かるの繰り返し

 僕は子どもの頃から漫画家を目指していました。映画が大好きで「この作品が好き!」と学校で言っても、当時はネットもありませんから分かってもらえず、得意の漫画を描いて映画の面白さを伝えていたのです。ただ、映画『マッドマックス』のようなハードな世界を描きたいのに僕は可愛らしい絵しか描けず、そのギャップでこれは違うと気づいてしまった。それに漫画家はとても孤独だと思えて、僕には無理かもしれないと10年来の夢を諦めました。
 次に考えたのは映画監督。とにかく映画が好きだし、自分の作品をチームで作り上げるというイメージに引かれて大阪芸術大学の映像学科へ入学しました。4年の間には何本もの自主映画を撮ったり、プロの撮影現場に連れて行ってもらったりしたのですが、「自分は本当にこれをやりたいのか?」と問いただす気持ちが一向に消えません。そのまま卒業後は映像プロダクションに就職し、映画、CM、バラエティー番組など様々な仕事に携わったものの、なぜかどうしても満たされないのです。
 その頃バブル経済がはじけ、就業条件も悪化し、仕事を続けられるかも不安で退職しました。何が自分のやりたい仕事なのか分からなくなって、映画監督の夢もついえていきました。働く多くの人たちもたぶん、僕と同じように「この仕事で合っているのかな」と思っているのでしょうね。僕は行き詰まり、どうしたものかと考えていた時に友人がゲーム会社の入社試験を受けると聞きます。
 そうだ、ゲームも僕がやりたい映像エンターテインメントの一分野だと考え、当時地元に近い神戸市でゲームソフト事業を手がける会社へ電話し、「中途採用の募集はしていませんか」と尋ねました。しかし、僕は間違って同じカタカナ3文字の社名だったナムコに電話していた(笑)。それこそ漫画みたいなエピソードですが、過去の制作物を送ったら、何とそのまま開発部門に採用されたのでした。

動物に見たゲームの可能性

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坂上 陽三氏

 1990年ごろ、まだゲーム会社は伸び始めの時期でしたが、ゲームで遊んでいた僕は面白さを実感していました。その後、「ゲームはすごい」と衝撃を受けたNHKの類人猿ボノボのドキュメンタリー番組もあります。おそらく人間の5、6歳くらいの知能が必要なことができるというボノボがいて、ゲーム機を与え遊ばせる様子が撮られていたのです。
 使われたゲームはナムコの「パックマン」。ゴーストに追われて逃げるパックマンが、途中でパワークッキーを食べると強くなって立場が逆転する。それを繰り返すゲームですが、そのボノボはやり方を理解して遊び続けてました。それは人なら国・地域も関係なく誰でも楽しめるってことじゃないですか。このゲームはアメリカを中心に売れていましたが、日本の映像制作コンテンツが世界に通用する商品として成立するんだと強く感じました。
 僕はそれまで日本の映画やテレビなどの映像業界で仕事をしてきて、なぜか日本だけに閉じこもっているような感覚が拭えなかったのです。もちろん評価されている映像作品も多くあります。でも、ゲームは言葉も年齢も軽々と超えて楽しんでもらえる。こういう仕事をしてみたかったのだと気づきましたね。

坂上 陽三(さかがみ・ようぞう)

(株)バンダイナムコエンターテインメント プロデューサー


1967年生まれ、兵庫県出身。大阪芸術大学卒業後、映像プロダクションを経て91年(株)ナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)入社。大ヒットゲーム「アイドルマスター」シリーズを始め多くの作品を手がける。著書に『主人公思考』がある。