泣けて、笑えて、じんとくる。浅田次郎さんの小説は、日本人の情をとらえ、大人の読者をうならせる。長引く出版不況の中、ベストセラーを20年近くにわたり生み出し続けている秘けつを聞いた。
芸術の本質は個性と面白さ
心がけていることは分かりやすく書くということ。どんなに難しい思想や時代背景があったとしても、それを分かりやすい物語にし、楽しんでもらう。サービス精神と言われることもあるけれど、最初から芸術の本質は娯楽であると思っていた。
例えば、運慶の作った仏像にしても、当時の人はその迫力にわくわくしただろうね。小説にしても「読者のレベルが低い」なんて言い訳をしてはいけない。本当に良いものは読み手の知識や経験、年齢や性別などに関わりなく等しく面白いと思ってもらえる。つまるところ、芸術は天然の模倣だから、春の桜、秋の紅葉を目にしたときに誰もが心を揺さぶられるように、理屈ぬきに面白いと思ってもらえるはずなんですよ。
そんな小説の世界を大事にしたいから、勉強しましたなんて跡を見せてはいけない。歴史小説を書くにはどうしたっていろんな史料を読まなければならないから、それを小説の中に入れたい気持ちは分かるけど、小説は読者を説得するものでも、知識を見せびらかすものでもない。歴史小説にドキュメンタリータッチを持ち込むという司馬遼太郎さんの創始したスタイルは司馬さんだからできる離れ業であって、安易に模倣してはいけない。 僕のスタイルはあくまで小説はフィクションとして成立し、読者に楽しんでもらうというものです。
出版の総売り上げが最盛期の1996年に比べ3割以上減っていることには、様々な原因があると思う。 例えば、図書館にしても、書店と競合するようなベストセラーの貸し出しに注力するのではなく、勉強しようとする人に必要な知識を与える場であってほしい。僕が図書館で読んだのは、三島由紀夫や川端康成の全集で、単行本や文庫に未収録の作品まで読めたことは作家としての糧になっていると思う。売れるものを売るのが書店であって、買えない本を貸すのが図書館であるという基本は変えないでほしいなあ。
もう一つは、スマートフォン(スマホ)のようなものをいじるのに時間が取られているんじゃないかな。僕はいまだにガラケーだけど、みんないつも何かにとりつかれたようにスマホをいじっている。スマホをいじっていないとコミュニケーションが取れないのかもしれないけど、スマホもゲームも禁止して本を読ませたいね。
こうした外的な理由以上に、発表される小説そのものの質の低下があるような気がする。いろいろな文学賞の選考委員をしていても、この著者は「読んでるな」と思える人が本当に少ない。マンガやゲーム、ドラマの世界から小説に入ってくる人がいて、その多様性は否定しませんが、ゲームや映像の代替物などではない、確固とした小説ならではの世界と面白さがあると、作家であれば覚悟をもって書いてほしい。つまらない小説を読まされたら、他に娯楽の多い若い人たちは二度と小説を読まなくなってしまうから。
明治維新前後こそ現代の指針
戦後の日本はアメリカナイズされて、文化もアメリカ主導になってきている。しかし、ちょっと振り返ってみると、明治期の近代化の過程で日本人が学んだのはヨーロッパの思想だった。ヨーロッパの文化は歴史があるだけに、思想的・哲学的な裏付けがあった。急速なアメリカナイズで日本から思想的な背景が消えてしまった。
新選組三部作や『赤猫異聞』『一路』『黒書院の六兵衛』など、歴史小説の舞台は幕末・明治維新のころに絞っている。
新選組の三部作は『壬生義士伝』『輪違屋糸里』『一刀斎夢禄』で、それぞれまったく違う書き方をした。似たようなものを同じようなタッチで描いたら楽かもしれないけれど、書いていて面白くない。ただ、これまで読んでくれた読者のために『壬生義士伝』の主人公である吉村貫一郎を他の作品でちょい役で登場させています。
この時代を書き続けていると、いま僕らが置かれている状況と似ていることが分かります。すべてが変わるなかで失われなかった大切なものもあった。次々に新しい携帯端末が出てきて、それが日々進化しているのは、知の世界における明治維新と言ってもよく、変わるのは分かっていても、明日どう変わるかは分からない。
こんなときは、職人が仕事に集中するように自分の本分を尽くしていくしかないんじゃないかな。作家になる前の20歳のころと変わらず、「面白い本を読みたい、いい小説を書きたい」ということしか今も考えていない。
作家・日本ペンクラブ会長
1951年、東京都生まれ。『地下鉄に乗って』(吉川英治文学新人賞)、『鉄道員』(直木賞)などの「泣かせる」現代小説、『壬生義士伝』(柴田錬三郎賞)、『お腹召しませ』(中央公論文芸賞・司馬遼太郎賞)などの幕末歴史・時代小説、『蒼穹の昴』『中原の虹』(吉川英治文学賞)などの中国歴史小説と幅広いジャンルの作品を発表し、人気を集める。直木賞など多くの文学賞の選考委員を務める。