最先端の研究成果を分かりやすく伝え、歴史の楽しさを知ってもらう。歴史学者の本郷和人さんが目指す「ヒストリカルコミュニケーター」には、人文学復興の可能性が秘められている。
分かりやすく伝え、楽しませる工夫が必要
東大史料編纂所で私は『大日本史料』第5編(1221~1333年収録)の編纂(へんさん)をしています。現在は建長3(1251)年をまとめていて、その日にあった出来事に関連した文書や、事件を知る人が残した記録などあらゆるものを調査して整理するのが仕事です。1年を3冊に分けて出し、1冊を完成させるのに3年ほどかかります。
研究者として細部と質にはこだわっていて、基礎資料としてはこれ以上のものはないはずですが、この史料の内容をそのまま伝えても、面白いと思ってくれる人はほぼいないはずです。ただ、魅力的に紹介する可能性がないわけではありません。
多くの研究者はコミュニケーション下手だから、楽しませようなんて考えない。東大で日本史専攻の学生や大学院生に囲まれているだけだと危機感は生まれないのでしょう。
いろいろな大学に講義に行くと、中世史というだけで見事なまでに拒絶反応を示されます。平清盛の人物像を論じるときも白拍子との恋愛という視点でなんとか「萌(も)え」てもらいましたが、どんどん中間層の学生の知的水準が落ちている気がします。「知ることは楽しい」ということを分かっているカルチャーセンターなどに来る年配の方々と熱意の差は歴然です。この子たちが大人になったとき中世史だけでなく、新聞も出版もなくなってしまうのではないかと不安になります。
以前は、「徳川吉宗は○○将軍と呼ばれていたか」という質問に、「コメ将軍」ではなく「暴れん坊将軍」と回答する学生がいたことが学力低下の証左のように言われましたが、いまやテレビの時代劇を見てくれるだけまだましです。
歴史を学ぶことがかっこわるいと思うくらいならまだよい方で、一番困るのはまったくの無関心です。私はNHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証をしたり、マンガの原作や監修をしたり、あるいはAKB48の批評もしています。私がおっちょこちょいだからいろいろ手を出すのかもしれませんが、研究者であれば自分の歴史観を研究書で世に問うたら、それを選書なり新書なりで分かりやすく伝えるのは義務ではないかと思います。
恩師の石井進先生は「どんどん他流試合していらっしゃい」と言われておりました。居心地の良い「専門」の穴のなかに閉じこもっていては、歴史学のすそ野は縮小していくばかりです。
読書を通じて教養を身につけ 多角的に見る力を
科学の領域では、難しい研究内容を分かりやすく伝えるサイエンスコミュニケーターという人たちが活躍しています。難解な最前線の研究成果をコラムや講演などで分かりやすく、楽しく伝えています。これまで歴史を分かりやすく伝える役割は、司馬遼太郎さんなど歴史作家が担い、歴史好きを増やす上で大きな役割を果たしてきました。ただ、小説という制約のためか、すでに流通している武将像や歴史観によったものが多く、研究の進歩とともに変わっていく歴史解釈が取り込まれることが多いとは言えません。
歴史学者によるヒストリカルコミュニケーターがすべきことは、史料の扱い方も含めた歴史への向き合い方を伝えつつ、最前線の研究成果を伝えることだと思います。
中世史という自分の専門領域に限らず、新聞で書評を書くときも、やさしく、読みたいなと思ってもらえるように書こうと心がけています。もともと私は漢文調の文章が好きだったのですが、まず徹底的に漢字を減らし、敷居を低くしようと思っています。
日本の社会を支えてきたのは、豊かな活字文化に支えられた中間層の知的水準の高さでした。ネットなどで誰もが発言できるようになり、インチキなことを言っている人を見抜く力も必要な時代です。多角的なものの見方を身につけ、一定の判断力を持つためには、まず本を読み、最低限の教養を身につける必要があると思っています。
東京大学史料編纂所教授
1960年東京都生まれ。2014年から朝日新聞書評委員を務める。石井進、五味文彦両氏に師事し、専攻は中世政治史、古文書学。マンガの原作・監修や大河ドラマの歴史考証なども手がける。著書に『天皇はなぜ万世一系なのか』『天皇はなぜ生き残ったか』『中世朝廷訴訟の研究』『新・中世王権論』『武力による政治の誕生』『武士とはなにか』『謎とき平清盛』などがある。熱心なAKB48ファンとしても知られる。