前向きな「社会の中間管理職」に 明日への元気と夢を

 いわゆる「バブル景気」を学生や新人社会人として過ごした1965年(昭和40年)生まれ。その年に生まれた男性をターゲットにした雑誌『昭和40年男』が話題を呼んでいる。年齢限定の雑誌にした狙いは何か。あの時代を知る世代の特徴や現在の消費傾向などを、同誌編集長の北村明広氏に聞いた。

懐かしむんじゃない 今の自分に生かせる雑誌に

北村明広氏 北村明広氏

――『昭和40年男』創刊のいきさつを聞かせてください。

 昭和40年生まれの私は、若い頃に雑誌の影響を受けて育った世代で雑誌が大好き。自分が読みたくなる雑誌を作りたいとずっと思っていました。一方で、世代で読者をセグメントする雑誌に少し違和感も持っていました。そんなとき、あるアイデアが浮かびました。年齢限定の雑誌があったら面白いんじゃないか――。雑誌と読者が一緒に年をとっていくのもいいな、と。そこで、私の生まれ年でもある「昭和40年」の男性向けの雑誌、その名も『昭和40年男』の創刊に至ったのです。

――編集方針は。

 この年に生まれた男性にとって懐かしい、音楽やテレビ番組、アニメ、スポーツ、車などの特集が中心です。しかし、「懐かしい、あの頃はよかった」で終わりではありません。懐かしさを入り口にそのコンテンツに触れてみると、70~80年代のモノづくりの現場の「熱」や「新しい発想」など、いろいろなことを学べます。それを今の仕事に生かせるのではないか、と。その「温故知新」の視点は常に意識して企画・編集しています。

 創刊当初の2009年、この世代は44歳になり、「俺たちは社会の中間管理職」という言葉をよく使っていました。会社の重役に接する機会もあり、部下も従えている。08年のリーマンショックの後で世相が良くない中、自分たちが少しでも世の中を元気にするような仕事をしよう、「昭和40年男」ならそれができるはずだ。懐かしいことに触れ、若かったころの元気を自分に取り込むことで、読者の皆さんにそんな気分になってもらえたら――。こうした思いで、本誌では「明日への元気と夢を満載!」というキャッチフレーズを創刊からずっとうたっています。

――読者である「昭和40年男」の特徴、消費の傾向は。

 70年代後半から80年代にかけて、生活の豊かさの象徴が「モノ」から「コンテンツやソフト」に移行しました。ミュージックシーンには坂本龍一氏らのYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が登場し、僕ら世代の必須マニュアル本といわれる『ポパイ』や『ブルータス』といった雑誌が次々と創刊したのもこの時期です。

 「昭和40年男」たちは10代の時にバブルの空気を吸って成長した。自分たちよりも少し上の世代が生み出した「かっこいいもの」「おしゃれなもの」に憧れ、常に背伸びをしていたんです。洋服でも、10代なのに7万円もするようなスーツを分割払いで買ったりして。おかしいですよね(笑)。ディスコでもスキー場でも、そうしなければモテなかった。クルマもそう。クルマを買って助手席に女の子を乗せて、カーステレオで普段聞かないような「モテる音楽」をかけて……(笑)。ちなみに、当時のクルマを紹介する記事は、読者の関心がとても高いですね。キラーコンテンツです。

 僕らが社会に出たときはまさにバブル景気の真っただ中で、就活ではいい思いをした連中も多かったようです。もちろん、入ったばかりなので高級な店で接待ができたわけでもなく、実際はほとんど恩恵は受けていません。ただ、「いい風」が吹いていたおかげで、背伸びや見えを身につけ、消費の楽しさを経験できた。これは、僕らのある種のDNAになって、いまだに消費や生き方のベースになっていると感じています。

あの時代に育ったことが幸せ 厳しい現実もネアカに

――あの当時の世相をどう振り返りますか。

 とにかく、「モテたい」「かっこよくなりたい」という気持ちが強く、それが消費に結びついていた。それができたのは、「明日は今日よりも絶対によくなる」と信じられたからだと思います。お金なんてためなくても、将来はもっと豊かな生活ができるものだと疑いませんでしたから。

 現在「昭和40年男」は、子どもの受験や親の介護問題を抱えるなど、厳しい現実を生きています。でも、それを隠してでも粋に振る舞おう、仲間と会ったときには楽しく過ごそう、という風に考える。目先は暗いんだけど「ネアカ」みたいな発想ですね。厳しい世相や状況になっても、どこか前向きでいられるんです。それもこれも、日本が元気だった時代に僕らの消費や生き方が練られたから。僕自身、この時代に育ったことがすごく幸せだし、この時代がとにかく大好きです。

――長引く不況で雑誌の発行も厳しい時代が続いています。『昭和40年男』は売り切れの号が続出するなど好調です。読者の心をつかむ雑誌作りとは。

『昭和40年男』2014年4月号(Vol.24) 『昭和40年男』
2014年4月号(Vol.24)

 かつてのように情報収集や、習慣で雑誌を買う人は、今はあまりいないでしょう。その雑誌を手にしたときに優越感に浸れる、その雑誌から何かを得ようと思える、というように、どちらかというと映画を見たり、コンサートに行ったりすることに近い感覚で手にしてもらえるような雑誌作りをしていきたいですね。そのときにカギとなるのが「強い共感」であり、その共感をさらに強めて「これは自分たちの雑誌なんだ」と思ってもらうための「結界」を作っていくことが重要だと思います。

 「昭和40年男」の皆さんに「昭和40年生まれでよかった」と思ってもらうことはもちろん、実際は上下の世代や女性読者もいるのですが、そうした読者が「昭和40年生まれがうらやましい」と感じるような強烈な結界を、魅力的で元気になれる特集やコンテンツで盛り上げていきたいですね。

北村明広(きたむら・あきひろ)

『昭和40年男』編集長

1965年(昭和40年)東京生まれ。ミュージシャン、広告代理店を経て91年に会社設立。イベントや広告、デザインを主な業務として展開。94年にオートバイ雑誌の創刊に関わり、その後バイク雑誌2誌を創刊。編集業務全般を事業に加えた。2000年には出版部門を設立し、現在6誌のバイク雑誌を発行。09年に男性誌『昭和40年男』を創刊(隔月刊)。