今年のカンヌライオンズで、映像表現からデジタルコミュニケーション、スポーツイベントからプロダクトに至るまで、あらゆるフォーマットがエントリーされる「ブランデッドコンテント&エンターテインメント部門」の審査員を務めた岸勇希氏に、審査の様子や受賞作品について聞いた。
何を審査するべきかの議論を重ね、部門の存在意義や審査基準を鮮明化
──昨年新設されたばかりの「ブランデッドコンテント&エンターテインメント部門」の審査員でした。
審査が始まってまず驚いたのは、クライテリア(審査方針)がなかったことです。例えば、2008年にサイバー部門を審査させていただいた時であれば、審査方針として、アイデア=30%、エグゼキューション(表現技術)=30%、リザルト(成果)=30%、自己評価=10%といったように、なんとなくではありますが、審査における評価軸というのが、審査委員長から示されました。しかし今年は、それがあまりありませんでした。何を軸に審査すればいいか、正直困りました。
クライテリアが明確化しないまま審査が始まったことには理由がありました。今年、この部門の審査委員長を務めたスコット・ドネイトン氏は、昨年もこの部門の審査員をされた方でした。彼は、初年度まだまだ手探りだったこの部門の定義や意義を、改めて今年の審査員でしっかりと議論し、「ブランデッド・コンテンツとは何か」「何を審査すべきか」といった、カンヌにおけるこの部門の意義や審査基準を鮮明にして発信することこそが、今年のミッションであると考えていたわけです。その結果、禅問答のような議論も含め、相当徹底的に議論が行われました。最終的に我々がこの大きな目標に到達できたかはわかりませんが、それでも議論を尽くした末に見えてくるものは確実にありました。個人的には、本当に多くの学びと、考えるきっかけをもらった、素晴らしい機会でした。
──「ブランデッドコンテント&エンターテインメント部門」の審査について。
受賞結果の話をする前に、来年以降この部門で受賞を狙う方もいると思いますので、審査の様子についてお話ししておきます。審査には大きく三つの特徴がありました。
まず審査方法です。実は、審査が進み、作品数がある程度絞られてくるまで、どの作品もコンテンツを要約したビデオ(ケーススタディービデオ)のみで審査が行われます(正確には事前審査では、担当した作品に限り、全編を見ます)。「ブランデッド・コンテント」を審査するのに作品全編を審査しないのかと思う方もいるかもしれませんが、この部門には、映画などの長尺作品が多く、正直、審査期間内に全ての作品に目を通すのは、物理的に不可能だからです。実際にはゴールドを決定する段階くらいから、ようやくコンテンツそのものに目を通すようになります。2時間の映画なら、2時間かけて全編見るという意味です。つまり多くの作品は、ケーススタディービデオで審査されており、コンテンツ内のクラフトや演出などについては十分に目が届いていないというわけです。
二つ目の特徴は審査員の構成です。今年に限ってかもしれませんが、16人いる審査員のうち、実に8人が米国人でした。カンヌの場合、新設部門には、このような傾向があるようですが、それでも半分は多いように思いました。結論から言うと、今年の受賞作に米国の作品が多いのは、審査員の構成とも無関係ではないと思っているわけです。ただし、これは、米国の審査員が自国に有利な審査をしたという意味ではありません。客観的な審査が行われたことは間違いありませんが、どうしても、米国で話題になったキャンペーンの方が、彼らにとってはリアリティーがあるため、結果的に票が集まりやすくなるという現象が起こったという意味です。今年に関して言えば、英語圏以外の審査員がとても少なかったので、今後はもう少し審査員の国籍に、バラつきがあるといいなぁと思いました。
最後の特徴は審査員の半分近くが、広告業界外の人たちだったという点です。例えばテレビ番組のプロデューサー、それもエミー賞の受賞者がいたり、ハリウッドの映画プロデューサーがいたり、かと思えばスポーツマーケティング会社のCESOなど、実にバラエティー豊かな面々が審査員に顔をそろえました。あらゆるフォーマットの作品がエントリーされる、この部門らしい特徴と言えます。「Advertising」からの脱却を推進しているカンヌらしい、広告界に閉じない、外の視点が混ざった審査は、とても刺激的なものでした。
「ストーリー」を審査する部門
──審査では、どのような議論が展開されたのでしょう。
先に述べた通り、審査員自身、部門の定義があいまいなまま審査が始まりました。でも、ディスカッションを重ねていくなかで、徐々に一つの基準が明確化していきました。それが「ストーリー」でした。つまり「この部門はストーリーを審査すべき部門である」という意識でした。実際、プレスカンファレンスでも、審査委員長のスコットは、「Story led marketing(ストーリーに導かれたマーケティング)」という言葉を何度も使っています。
この「ストーリー」という言葉、日本語で「物語」と直訳すると、少しわかりにくいかもしれません。「文脈(context)」と訳した方がわかりやすいようにも思います。正確には「物語」と「文脈」のダブルミーニングで使われています。抽象的な話ではわかりにくいので実例を交えて説明したいと思います。この「ストーリー」を理解する上で最もわかりやすい話がグランプリ決定のプロセスでした。
グランプリは最終的に2作品で争われました。ます、メルボルン・メトロのキャンペーン「DUMB WAYS TO DIE」。史上最多5部門でグランプリを制した今年のカンヌの顔とも言える作品が、やはりこの部門でもグランプリ候補にあがりました。
もう一つが、これもまた複数部門でグランプリを獲得した、インテルと東芝による「THE BEAUTY INSIDE」でした。「THE BEAUTY INSIDE」は、毎朝目覚めるたびに容姿が変わってしまう不思議な体を持つアレックスの恋の物語です。外見は毎日変わりながらも、変わらない内面をどうやって愛する女性に伝えるのか。アレックスが日々記録しているビデオブログの映像を視聴者から募り、ストーリーに組み込む仕掛けとともに作られたウェブムービーでした。
さてグランプリはどちらに?
グランプリに選ばれたのは、圧倒的な映像のパワー、コンテントとしての完成度を誇った「DUMB WAYS TO DIE」を抑えて、「THE BEAUTY INSIDE」でした。最終的には、審査員の皆が納得する、満場一致での決定で。「DUMB WAYS TO DIE」ではなく、なぜ「THE BEAUTY INSIDE」がグランプリだったのか?という点にこそ、私はこの部門の存在意義やメッセージが集約されていると思っています。実際、「DUMB WAYS TO DIE」は審査員の間でも大人気でした。多くの審査員が口ずさみ、コンテンツとしての強さ、完成度に対して疑う審査員は誰一人いませんでした。ただし、ここで重視されたのが、「ストーリー」だったわけです。「『DUMB WAYS TO DIE』は紛れもなく強いコンテントである。パワーがあり、インパクトもある。ただし、単にメトロのメッセージを伝えるための、強い表現でしかないとも言える。表現そのものと、メトロというブランドの間には、そこまで親和性、関係性はない。単なる強い表現、『just strong content』でしかない」。簡単に言うと、このような議論が行われました。
一方、「THE BEAUTY INSIDE」はこのように評価されました。「コンテントそのもののパワーやインパクトでは『DUMB WAYS TO DIE』に劣る。ただし、このコンテントは、インテルというブランドが持っているストーリー、フィロソフィーや文脈を、極めて高いレベルで表現している。むしろドラマという映像表現だからこそ深い部分まで伝えられている。強いか、弱いか以上にそのブランドの持つストーリーが、最も高度に表現されていることこそ、『Branded Content』には重要である」。
私は当初、純粋に「DUMB WAYS TO DIE」の強さにひかれ、これこそ強いコンテントだと思っていました。しかし、議論の中で「strong content」と「branded content」の違いについて、再認識するに至ったわけです。まさにこのプロセスこそが、この部門が「ストーリー」を重んじる部門であることの象徴だと思います。
この結果をふまえ、自分なりにカンヌ全体を考えてみると、フィルム部門は「パワーやインパクト」を評価。フィルムクラフト部門は「エグゼキューション&ディティール」を評価。そして、ブランデッドコンテント&エンターテインメント部門は「ストーリー」を評価する第三の顔として、その存在意義を規定することができたのではないかと思っています。
「普遍」をどこよりも強く鮮やかに発信する
──今年の日本からの作品は。
正直、「印象に残らなかった」というのが本音です。そして日本の苦戦は、恐らくこれからしばらく続くのではと心配しています。今回、審査員をやらせていただいたことで、日本がカンヌで勝つため、と言うか世界で戦うための大切な気付きがありました。それは「日本はコンセプトの解像度を下げ、逆にエグゼキューション(表現)の解像度を上げなくてはいけない」という話です。
──「コンセプトの解像度を下げ、エグゼキューション(表現)の解像度を上げる」とはどういう意味ですか。
広告の基本は、競合他社に言えないこと、つまりUSP(Unique Selling Proposition=自社にしか言えない優位性)を伝えることでした。他社にはない、自社ならではの“売り”を言えば、まさに言葉の通り、モノが売れたわけです。ところが世の中は変わりました。経済成長が引き起こした過剰な競争が、競合商品との間にあった機能差や価格差をどんどん小さくし、飽和状態へと突入しました。特に日本は豊かなので、この傾向が強いと思います。よほど画期的な商品であれば別ですが、今やどの商品でも一定以上の質は担保されており、仮に競合関係にあるAとBの間に機能差が存在していたとしても、それは既に生活者にとっては微差と呼べるような、つまり購入時に決定的な有意差にならないようになっています。
ところが現場では相変わらず、こんなディレクションを耳にします。「そのコピー、他社に置き換えても成立しちゃうじゃん。ダメ、ダメ!」と。この考え方はコピーの基本として、今でも教えられています。
確かに商品間に、生活者を動かすに足る差が存在していた時代は、この考え方は正しかったと思います。「競合他社に言えないことを言う=売れる=企画の保険」だったからです。他社には言えないメッセージを言えること自体に、作り手としては安心感があるわけで、だからこそ必死に競合他社には言えない、自分だからこそ言える、置き換えられないコンセプトにこだわってきたわけです。それが生活者を置き去りにした微差になってしまったことを忘れて。
ここで改めて近年のカンヌの受賞作を見てみましょう。昨年話題になったP&Gの「Thank you, Mom」、コカ・コーラの「Share a Coke」、そして、ユニリーバの「You are beautiful more than you think(あなたは、あなたが思っているよりも美しい)」。いずれも名作と呼ばれているものですが、そのメッセージは極めて普通、普遍的なことを言っていると思いませんか。そしてそうなんです、いずれも、いとも簡単に他社に置き換えられるようなコピー、コンセプトということです。
これは日本と海外の大きな差だと気づきました。日本はハイコンテキストな(意図が共有されやすい)国なので、高解像度に“微差”を表現しようと努力します。実際それができてしまう国とも言えます。一方、海外は、ずっとシンプルで単純です。日本人に比べて大雑把で微差など気にならない、もしかしたら気にできないといった方が正しいかもしれません。それゆえ、とてつもなく普遍的で大きなテーマのコンセプトが掲げられるわけです。
ユニリーバ「You are beautiful more than you think」
「Real Beauty Sketches」ここで重要になるのが、そのコンセプトを体現化するエグゼキューションの質です。競合他社でも言えてしまうようなことを言う以上、保険はかかりません。よって、他の誰よりも、強く、鮮やかにそれを言わなければ、すぐまねされてしまいます。つまりコンセプトやコピー自体に保険がかからない分、表現、エグゼキューションのクオリティーを圧倒的に引き上げないと成立しなくなるわけです。その結果、先ほどの事例にあるように、おのずとその表現は極めて完成度の高い、圧倒的なクオリティーへと到達していくわけです。そこまで言ってはじめて保険になるというわけです。
これが、私の主張である、「日本は、コンセプトの解像度を下げ、エグゼキューション(表現)の解像度を上げるべきだ」という話になります。日本国内だけを考えて仕事をする際は、この考え方を実践するのはなかなか難しいかもしれません。でも、世界を相手にモノづくりする際には、ぜひ意識していきたいと考えています。
電通 コミュニケーション・デザイン・センター シニア・クリエーティブ・ディレクター
1977年名古屋生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了。2004年電通入社。中部支社雑誌部、メディア・マーケティング部を経て、06年10月から東京本社インタラクティブ・コミュニケーション局クリエーティブ室。08年から現職。「コミュニケーション・デザイン」という概念を提唱。広告から商品開発や都市デザインに至るまで広義のコミュニケーション・デザインを実践。トヨタ自動車「AQUA」キャンペーン、商業施設「TOKYU PLAZA OMOTESANDO HARAJUKU」のプロデュース、フジテレビドラマ「東京リトル・ラブ」のプロデュース、アーティスト「JUJU」のアルバム制作など広く活躍中。カンヌ国際広告祭金賞、アジア国際広告祭グランプリなど国内外で多数受賞。グッドデザイン賞など業界外の賞も多い。09年にカンヌの「サイバー部門」の審査員を務めた。