近寄りがたいクラシック音楽を 「くすり」に見立てかわいく身近に

 今年のカンヌライオンズでは、日本フィルハーモニー交響楽団の「JAPAN PILL-HARMONIC」(通称:きくくすり)が、デザイン部門のプロモーショナルアイテムデザイン・カテゴリーでゴールド、スペシャルエディションズ&プロモーショナルパッケージング・カテゴリーでシルバーを獲得した。このプロモーションを手掛けたI&S BBDOの池田伸一氏に受賞の感想を聞いた。

美肌のためには何を聴くか クラシック音楽との意味ある出会いを創る

池田伸一氏 池田伸一氏

――日本フィルハーモニー交響楽団(以下、日本フィル)のプロモーションを手掛けることになった経緯を聞かせてください。

 スマートフォンが普及するなど、消費者一人ひとりがメディアを持つようになったこと、ユーチューブにアップされる動画コンテンツが、テレビ番組やCMよりもたくさんの人に見られるなど、従来の広告とは違うコミュニケーションが次々と登場したことで、僕たちは広告会社として新しいコミュニケーションビジネスを模索していました。

 そんなときに、日本フィルを知る機会を得ました。特定の企業から経済的なバックアップを受けることなく、杉並区の支援と企業数社からの寄付金によって運営されていること。資金繰りに苦労していても、杉並区の子どもたちのためにコンサートを開いたり、東日本大震災では発生の数日後には被災地に入って音楽で被災者を励ましたりするなど、草の根の素晴らしい活動をしていること。「え?そんなこと全然知らなかった!」というのが正直な感想でした。PRがうまく機能していなかった。同時に、クラシック音楽の世界が限られたファンの中だけの閉じられた業界ということも知りました。

 コミュニケーションは必要だが予算はない。それが課題でした。そのころネット上ではフラッシュモブが花盛りで、スペインの楽団がバルセロナの街に突然現れて演奏し、聴衆が盛り上がるといったプロモーションが反響を呼んでいました。このこと自体はその場に居合わせた数十人ほどしか楽しめないのですが、動画がユーチューブや個人のブログにアップされて拡散するという、広告とは違うコミュニケーションが実現している。

 早速フラッシュモブを提案したところ、日本フィルの方々もそうしたムーブメントや効果は認識していたようなのですが、賛同はしてもらえなかった。オーケストラはきちんとした音響設備があり、どの音がどう届くのかまで計算し尽くされた環境で聴いてもらうものだ、というプロならではのこだわりが理由でした。繊細で高額な楽器を屋外では使えないという事情もあり、フラッシュモブではない何かを考えることになったのです。

――「JAPAN PILL-HARMONIC」の企画はどう生まれたのでしょうか。

 実は僕は、クラシックだけでなく、ほとんど音楽を聴きません。でも大切な曲はある。どんな人にも、例えば「好きな人にフラれたときに慰められた」とか「この曲に励まされて部活の試合で頑張れた」とか思い出と結びついた曲があるものです。特に若い人は歌謡曲やロック、ヒップホップの場合が多いのですが、その選択肢にクラシックが入ることができないか――。そう思ったのがアイデアのきっかけでした。そして、「この曲は自分にとって必要」と思ってもらえるような、クラシックとの「意味のある出会い」を作ろうと考えました。

 その中で注目したのが、クラシックの心身へのポジティブな影響です。モーツァルトを聴くと「よく眠れる」「胎教にいい」といったことは民間療法的には知られています。それを美肌や便秘、胃腸に、と広げれば面白いはず。当然、医学的な裏打ちがあるわけではありませんが、楽団の演奏者の方と話をする中で、「ブラームス 交響曲第1楽章」はブラームスが悩んでやっとできた曲だから「便秘」に、「ロッシーニ セビリアの理髪師」はロッシーニが美食家だったから「胃腸」にと、ちょっとシャレをきかせながらアイデアを出していきました。そうしたエピソードは「処方箋(せん)」として添え、その曲やクラシックにより興味を持ってもらうことを狙いました。

――曲を収録したマイクロSDカードを「くすり」に見立てて処方するアイデアが楽しいですね。

 民間療法ではあるものの怪しいものにはせず、「メディカル」や「サイエンス」のイメージを演出したいと考えました。また、ターゲットの若い世代にはデジタル感は必要だろう、と。そこで、クラシックのイメージ――黒い、茶色い、堅い、重い、権威主義――とは逆のことをやってみようと、白くてカラフルで、音楽を聴く一番小さなマイクロSDカードに収録することに行き着きました。実は、効率や予算を考えればダウンロードやデータ配信でもよかったのですが、「ちっちゃい!」という感覚が大事だった。クラシックという重厚長大なものを、いい意味で軽薄短小にしたかったのです。

――プロモーションはどのように展開しましたか。どんな反響がありましたか。

 3月から5月に、都内の一部のドラッグストアの店頭で配布。楽団員が白衣に身を包み、人々の悩みを聞いて最適なクラシックを「処方」する…という様子を動画でネットに掲載しました。狙い通り、ネット上で広まって音楽メディア以外から取り上げられたり、海外から直接メールが届いたりと、楽団の皆さんはその反響に非常に喜ばれていました。

※画像は拡大します。

受賞作品「きくくすり」

1曲ごとに収録されたマイクロSDが薬包に入れられている 1曲ごとに収録されたマイクロSDが薬包に入れられている
薬袋のようなデザインのパッケージ 薬袋のようなデザインのパッケージ

壮大な作品が多い中で光る「小さくてかわいい」日本的な解決策

――デザイン部門でゴールドを受賞した理由は何だと思いますか。

カンヌライオンズのトロフィー カンヌライオンズのトロフィー

 受賞理由は聞かされていないので推測ですが、「日本らしい解決の仕方」が評価されたのかな、と思っています。世界的にも資金繰りに困っている楽団は多く、今年のカンヌでもオランダの楽団のプロモーションがシルバーを受賞したりしています。特に欧州の楽団はフラッシュモブなど壮大なものをやりたがる中、「小さい」「かわいい」感じが日本的で面白かったのではと捉えています。

 先述しましたが、ダウンロードやデータ配信でもよかったのに、あえて手に取って、聴くまでにひと手間かかる「モノ」にしました。クラシックに限らず、昔はレコードを買ってきて、ジャケットから出すときは指紋をつけないように注意して、そっとプレーヤーの針を落とした。そういう儀式的なことが音楽を聴く楽しみの一つだったと思うのです。その懐かしい感覚を審査員の方々にも思い出してもらえたのかもしれません。

――今年のカンヌに、どのような潮流を感じましたか。

 60周年という節目だったこともあり、ソーシャルグッドを題材にする作品が多いという印象を受けました。ただ、商業主義の権威だったカンヌが、名称から「広告」を外し、これまでと逆方向に向かっていることは、コミュニケーションの本質を見直す上では非常に有効だと思っています。

 そもそも、商品は人を幸せにするために生まれてくるもの。商品のために人が存在しているわけではない。いわば広告コミュニケーションの本質をカンヌが率先して見直したがゆえに「消費者を無視した広告はありえない」という風潮となり、ソーシャルグッドを取り上げる企業やクリエーターが増えているのだと思います。行き過ぎはどうかと思いますが、ソーシャルグッドとうまく融合させていくことで、人も企業も商品も幸せになるコミュニケーションを探すことができる。今年のカンヌからはそうした可能性を強く感じ、そこに僕ら広告業界にもビジネスチャンスがあると確信しました。

――今後の展望について聞かせてください。

 現在、日本フィルの企画は第2弾を進めています。方向性が変わる可能性はありますが、引き続きクラシック音楽との出合いのきっかけを作り、日本フィルを知ってもらうコミュニケーションを展開していく考えです。

 そうした活動を通じ、最終的には「医者と患者」のような関係性が築けたらいいと思っています。日本フィルが「かかりつけ楽団」となり、疲れているときにはこんな曲、いいことがあったときにはこんな曲……というように、自分にぴったりの曲を処方してくれる。そして、その曲を演奏するコンサートに行ってみる、というような流れを作れたら。

 そして、広告会社としては、今回のように広告主の問題を解決でき、カンヌでも評価されたという経験を足がかりに、新たなコミュニケーションビジネスのあり方を探っていきたいと考えています。

池田 伸一(いけだ・しんいち)

I&S BBDO コンテンツディベロップメントグループ シニアクリエイティブディレクター

1969年東京生まれ。92年前身のI&S入社。CFプランナーを経て現職。99年第39回ACC金賞、第41回ACCグランプリ・総務大臣賞、2003年TCC新人賞など受賞多数。花王「リセッシュ」、キッコーマン「うちのごはん」、リオン「リオネット補聴器」、ロッテ「雪見だいふく」「ザクリッチ」など。