講談社、小学館、集英社など国内の出版各社、大日本印刷、凸版印刷など印刷各社の出資に加え、官民ファンドの産業革新機構も150億円の出資を決め、設立された出版デジタル機構。今年4月に活動をスタートし、5年後をメドに電子出版の市場規模を100万点、2,000億円規模に拡大することを目指している。代表取締役社長の野副正行氏に、活動目的や今後の課題について聞いた。
コンテンツの充実が急務の課題
──出版デジタル機構の活動によって、読者にどのような効用がもたらされるのでしょう。
新刊本をはじめ、小さな街の書店では手に入らない本、大型書店でも置いていない本、あらゆる本が電子化され、迅速に検索・購読できるようになれば、読書環境は豊かになります。古書の電子化が進めば、読者は希少なコンテンツを手頃な値段で読めるようになります。数十冊の重たい文学全集が電子化されれば、旅先にも気軽に持っていくことができます。出版デジタル機構は、そうしたことを可能にするために、出版社、電子書店、電子書籍端末、そして読者を結び、電子出版マーケットのインフラ整備に取り組んでいます。
──活動の進み具合は。
経済産業省による「コンテンツ緊急電子化事業」(緊デジ)により、今年1年間で国内の出版物の電子化を進めています。しかし、電子書籍先進国のアメリカに比べると、日本の電子書籍化は大幅に遅れており、コンテンツの充実が急務の課題です。出版社には、デジタル化に消極的な著者への働きかけを期待しています。
日本の出版業界は、印刷や物流といった資本のかかる分野を印刷会社や取次会社が請け負ってきたので、比較的新規参入しやすく、現に4,000社もの出版社が存在します。しかし、電子出版ビジネスは小さな出版社の資金力では難しく、出版デジタル機構では、中小出版社の出版物の電子化、データ保存、電子書店や電子取次への配信業務なども行っています。ただ、いまだに「様子見」の出版社が多いのが現状です。電子化によって紙の本が売れなくなる、という考えが根強く残っているのを感じます。
──書籍の電子化については、「著者の権利や財産が守れない」「書店がつぶれる」といった声も出版業界にありますね。
そうした声は確かにありますが、新しい通信技術がコンテンツ市場の構造を一変させている事実は、ゲーム市場や音楽市場を見れば明白です。私は以前ソニーに勤めていたのですが、インターネットという新しい技術が注目され始めたとき、出井伸之社長(当時)は、「ネット時代の到来は、地球にいん石が降ってきたようなものだ。従来の成功事例は役に立たない。生き残れるのは強い者ではない。変化に対応できる者だ」と社内に発信しました。出版マーケットもまさに同じ状況にあると思います。
昔、ベータマックスやVHSといったビデオが登場したとき、アメリカの映画業界は「映画文化が脅かされる」と法廷論争までして大騒ぎをしました。しかし、その後の映画市場がどうなったかといえば、映画ビデオやDVDが興行収入の倍を売り上げ、テレビ放送でもコンテンツを使い回して稼ぎ、映画産業全体が拡大しました。一方、音楽市場は、ユーザーのニーズに対応しきれませんでした。ユーザーは好きな曲だけ聞きたいのに、音楽業界は数千円のアルバムを売ろうとしました。そうしている間に音楽の配信システムが発達し、音楽の価格そのものが大きく下がってしまいました。今、音楽マーケットは全世界でピーク時の半分ほどに縮小しています。出版業界が同じようにならないためにはどうしたらいいのか。日本の出版物の売り上げは右肩下がりが続いていますが、早急に電子化を進め、出版産業全体の拡大に寄与していきたいと考えています。
電子書籍は「時間シェア獲得競争」に勝たなければならない
──映画業界のように市場全体を拡大していくために必要なこととは。
まず、出版に携わるすべての人が、電子書籍が競っているのは、紙の本でも書店でもなく、ゲーム、映画、スマートフォンといった異分野のデジタルコンテンツであると認識することだと思います。ゲームや映画のインフラ整備はひと足先に進み、検索もアクセスも極めて便利になっています。これらは集中しないと楽しめないコンテンツで、ユーザーは能動的に時間を割いています。電子書籍は「時間のシェア獲得競争」に勝たなければならないのです。
今、アップル社の「iPad」、グーグルの「nexus7」をはじめとする汎用(はんよう)端末や、楽天の「kobo Touch」、ソニーの「Reader」など専用端末の品数が増え、アマゾンの「Kindle」も発売されました。アメリカでは、こうした端末がクリスマスプレゼントの1、2位を争う人気になっていますが、日本でも近い将来、誕生祝いや入学祝いの定番になっていくでしょう。
電子書籍の支持を広げていくためには、やはりコンテンツの充実が何より重要ですが、売り方の工夫も求められます。例えば、「まとめ買い」を促すネット通販のマーケティング手法など、大いに参考にできると思います。ネットで何かを注文するとき、たいていの人は、1個単位ではなく、送料が無料になるまで商品を集めて買うものです。本も、連載ものの全巻など、パッケージで売っていくプロモーションが成功すれば、読者、作家、出版社、それぞれにメリットが生まれます。また、顧客の注文履歴に基づいて好まれそうな商品情報を配信し、次の購入につなげる手法も考えられます。
──電子書店とはどのように連携していきますか。
電子書籍の販売を拡大するため、知恵を出し合って様々な可能性を探っています。社会のトレンドとなっているテーマの関連本を集中的にアピールするとか、夏休みの時期に児童書フェスティバルを開催するとか、ジャンルごとにプロモーションを展開するとか……。とくに子供たちへのアピールは積極的にやっていきたいですね。ゲームやスマートフォンのアプリの代わりに読書に夢中になる時間が作れたらいいなと思います。
──古書や図書館の本の電子化も進めていく予定ですか。
例外なく取り組んでいきます。古書のデジタル化が進めば、古書店が新たな収入を得る可能性も広がります。図書館の本の電子化については、地域コミュニティーとの関係や、無料貸し出しシステムなど、独特の運営スタイルとどのように折り合いをつけていくか、知恵をしぼっていきたいと思います。
──テクノロジー分野との連携は。
電子書籍を簡単にダウンロードできるシステムを、健全な形で確立していく必要があります。海賊版の横行を許してはいけませんが、何度も手続きを踏まなければ読めないようなシステムでもユーザーに敬遠されてしまいます。より良い検索・購入環境の構築のため、国内の技術者とも積極的に連携していくつもりです。
出版デジタル機構 代表取締役社長
1949年東京生まれ。72年慶應義塾大学理工学部卒。同年ソニー入社。米国勤務が長く、エレクトロニクス、通信、エンタテインメント(映画、音楽)などの分野で活躍。2002年から執行役員上席常務。05年からボーダフォン執行役副社長。07年からI&S BBDO代表取締役社長&CEO(最高経営責任者)。12年5月から現職。