震災後に回復の兆し見せる中国人訪日旅行者 多様化する需要に挑め

 「中国市場」といっても、中国国内だけがビジネスの場ではない。今や100万人規模で日本を訪れる中国人旅行者も旺盛な消費欲を持つ「お客様」だ。交通機関や宿泊施設はもちろんのこと、小売業、レジャー施設なども彼らに焦点を当てた施策を練って取り込みに必死だ。昨年の震災後に大きく冷え込んだといわれる中国人観光客ビジネスの震災後の現状と中国人観光客の特性などについて、観光業界の業界誌「週刊トラベルジャーナル」の広報戦略室長の岩下智之氏に分析してもらった。

12年度は堅調な動きでスタート

岩下智之氏 岩下智之氏

 日本を訪れる中国人旅行者の数は、2008年に100万人を突破、10年に141万人を超えて順調に拡大していたが、11年3月11日の東日本大震災を境に、観光目的の訪日旅行者の動きはピタリと止まった。中国においても、福島原発事故の放射能汚染、頻発する大型余震関連のニュースはリアルタイムで、かつ過剰に報じられ、右肩上がりに成長してきた訪日観光市場の動きを完全にストップさせた。

 訪日客の動きが止まっただけでなく、震災直後から始まった在日外国人の国外脱出劇は、中国も同様で、総数約70万人と言われる在日中国人がわれ先にと帰国しはじめ、「しばらく日本へは行きたくない」という雰囲気が中国本土に浸透した。

 中国人の訪日旅行のピークは、年明けの旧正月休み(1月後半~2月初旬頃)、桜のお花見シーズン(3月後半~4月初旬)、夏休み(7月下旬~8月末)、国慶節(10月初旬)の4つあるが、2011年は国慶節ごろまでほとんど市場に動きが見られなかった。中国の旅行会社は、繁忙期の夏休み海外旅行商品として訪日旅行を企画したが、原発問題に影響が少ないと期待された大阪・京都・神戸など関西を中心とした西日本周遊コースの訪日旅行商品も、売れ行きは芳しくなかった。この結果、背に腹は変えられない手法として、通常の半額に近い格安キャンペーン訪日旅行商品が市場に出回り、「この料金で日本に行けるのなら」という層をつかみ、市場回復の足がかりとした。

 この時期、日本の訪日観光関係者は、知事や市長など地方行政トップと共に海外セールスに多忙を極め、中国へのトップセールスの回数は45回(国別第一位)に上った。これは2位の韓国が24回、台湾が18回という結果と比べると、いかに各都道府県の訪日観光関係者が中国市場の回復に期待を寄せているか、ということが見て取れる。

 こうした努力と、震災後に一時帰国した“元”在日中国人の帰国(再入国)と相まって、11年の訪日中国人旅行者数は104万人超となった。

 12年は、1~2月の中国人訪日旅行者数は、対前年度比8.1%増で推移しているため、まだ完全に震災の影響から脱したとは言えないものの、堅調な動きを見せているようだ。

 震災後の中国人の訪日観光需要に見られる変化としては、ゴールデンルート(大阪・京都・富士山・東京)以外の新しいデスティネーションの出現、大型クルーズ客船など新しい旅行スタイルの増加が挙げられる。

新たな人気デスティネーション 北海道、沖縄

 ゴールデンルートは根強い人気があるものの、一方で、中国で大ヒットした映画「非誠擾勿」(邦題:狙った恋の落とし方)のロケ地として知名度を高めた北海道が、訪日旅行の人気の渡航先として数字を伸ばし始めた。この映画は、中国の事業に成功した中年男性と若く美しい航空会社のキャビンアテンダントが、恋あり、グルメあり、温泉あり、美しい大自然あり、というストーリー展開だが、経済成長が著しい中国において、日本の80~90年代のバブル経済の時期をほうふつさせるようなブームを生み出したようだ。

 北海道ブームとは違った流れだが、沖縄も新しいデスティネーションとして注目を集めている。これは、沖縄のデスティネーションとしての魅力に加えて、日本政府が11年7月から開始している数次ビザの発給が関連する。数次ビザは有効期間内であれば、何度でも出入国できるビザ。訪日に際して沖縄を旅程に組み込むと、自動的に数次ビザの発給を受けることができる、という緩和策は、中国から沖縄への航空便の増便、新規就航のきっかけとなり、沖縄を訪れる中国人旅行者数の増加に貢献しているのは事実だ。

 なお、12年7月から、日本政府は沖縄に続いて、被災した東北3県(岩手、宮城、福島)を訪れる中国人旅行者にも数次ビザを発給する特例措置を予定している。

中間層に人気のクルーズ旅行 LCCも路線拡充中

 旅行ルートではないが、訪日観光をクルーズ客船で楽しむという新しい旅行スタイルも、ここ数年、市場を拡大してきている。

 イタリアのコスタクルーズ、米国のロイヤルカリビアンクルーズは、上海を拠点に韓国と日本を周遊する定点型クルーズを運航しており、1回の航海で数千人規模の中国人旅行者が訪日している、寄港先は主に九州の福岡、長崎、鹿児島だが、コースによっては京都、名古屋、沖縄、横浜などを訪れる旅程もある。

 クルーズは、富裕層をターゲットとしたラグジュアリークルーズというより、中間層向け旅行だ。華やかなショーなど船上でのエンターテインメントや食事が旅行料金に含まれていることに、中間層がお得感を持つ。また、寄港先で思う存分買い物を楽しんでも、荷物に重量制限がない、というのもセールスポイントとなっているようだ。

 日中間のクルーズとしては、12年5月にハウステンボスが長崎・上海間でクルーズ定期便の運航を開始したが、7月からの本格就航を控えて、新しい訪日観光の流れを生み出すことに期待が寄せられている。

 新しい交通手段が生み出す需要喚起として、もう一つ注目されているのがLCC(ローコストキャリア=格安航空会社)の存在。中国・上海に拠点を置く春秋旅行社の子会社、春秋航空が2011年7月に上海-茨城路線に就航した。航空運賃は4,000円からという驚きの価格で話題をよんだのは記憶に新しいが、同月に上海-高松路線、12年1月には上海-佐賀に就航した。中国ではあまり知られていない高松や佐賀に需要と供給を生み出したことは特筆に値する。ちなみに、春秋航空は日本の高速ツアーバス「WILLER EXPRESS」を運営するWILLER TRAVELとパートナーシップ契約を締結し、日本国内においても格安の移動手段を確保して利用者への便宜を図っている。

観光からスポーツやウエディングへ

 中国人訪日旅行者のトレンドとして注目されているのは、いわゆる有名観光地、名所旧跡、ショッピングなどを柱とした通常とは違うタイプの旅行商品の登場だ。

 具体的には、スキー、スキューバダイビング、ゴルフなどのアウトドア、ウエディングなども訪日観光の目玉商品として登場し、これからのブームの一翼を担うべく、期待が寄せられている。

 スキーは主に北海道を中心としており、スキューバダイビングは沖縄が舞台となっている。ゴルフは商用のオプショナルツアーとして以前からも定評があるが、中国におけるゴルフ人口の増加に伴い、数年前に韓国人の訪日旅行市場で北海道と九州のゴルフツアーがブームとなったように、今後は中国からの訪日旅行者が日本のゴルフ場を席巻する日も遠くないかもしれない。

キーワードは安心な「メード・イン・ジャパン」 食事も買い物も「日常の日本」を楽しみたい

 中国人訪日旅行者の話題としてマスコミから最も注目を集めるショッピング。従来の訪日旅行のお土産の定番といえば、カメラ、腕時計、化粧品、ブランド品など。最近は、炊飯器などの家電製品、健康食品、服飾・雑貨、キャラクターグッズ、粉ミルクなど、高級嗜好(しこう)品から日常生活品に至るまで、多種多様に幅が広がってきているのが特徴だ。

 これらに共通する特徴としては、「メード・イン・ジャパン」というキーワードが挙げられる。街中のドラッグストアで中国人旅行者が大量の日用品を買い込んでいるのは、「肌に触れる物、口にする物は日本製が安心」ということらしい。製品のクオリティーもさることながら、特に高級嗜好(しこう)品を購入するにあたっては、「日本で買えば、偽物をつかまされる心配がない」という中国ならではの事情もあるようだ。

 日本で販売されているアニメ、Jポップなどのキャラクーグッズは、特にバーリンホウ(80後)、ジョウリンホウ(90後)といった一人っ子政策の子供として生まれた世代にはリアルタイムの若者文化であり、日本ならではのお土産品としても好評だ。

 訪日旅行の最大の楽しみの一つ、食事についても、従来は、「中国人は旅行先でも中華料理しか食べない。中国人に冷めた料理を出すのは失礼にあたるため、日本式のお弁当は避けたほうがよい」と言われたが、ここ最近は状況が変わりつつあるようだ。

 中国の大都市には、すし、ラーメン、牛丼をはじめ、てんぷら、居酒屋など、和食の食事を楽しめる店の数はここ数年で増えてきている。しかも、日本人経営の和食レストランだけでなく、中国人経営による人気の和食レストランチェーン店の成功など、和食は中国の生活の一部に入り込んでいると言えるだろう。大都市の中産階級以上の人々は、日本人が日本でフランス料理や中華料理を楽しむのと同じように和食を楽しむのが普通になってきている。

 このため、訪日中国人旅行者の間でも、本場の味に対する興味は強く、中国では特に入手困難とされる、かに料理や神戸牛などに対する人気は高い。B級グルメとして人気のラーメン、カレーライスなども、日本に来れば“本場の味”として好評だ。

 ショッピング、食事の最近の変化を見て感じるのは、最近の中国人訪日旅行者は、等身大の日本、日常の日本を楽しみたい、という需要が増えつつあることだ。中国からの訪日観光のスタイルは、まだまだ団体旅行が中心で、行動範囲とパターンには制限があるものの、中国においても、訪日旅行関連情報については、昨今のインターネットを中心とした爆発的な情報革新の進展を遂げ、その結果、日本の情報はリアルタイムで中国へ伝わり、「日本の今を楽しみたい」という非常にベーシックながらも根強い旅行需要を生み出しつつある、と感じる。

業態を越えたアイデアで中国人旅行者にも大きなメリット

 とはいえ、格安の団体旅行の悪弊として知られる劣悪な宿泊施設、内容の乏しい食事、いわゆる“ガイド”によるお土産店への強制的な案内などが存在することは紛れもない事実であり、こうした問題を日中両国側が業界をあげて取り組み、解決策を見出すことが喫緊の課題となっている。

 では、こうした構造的な問題が解決しないと、日本側の訪日観光受け入れ事業者の努力は報われないのか、ということではない。例えば、ドン・キホーテが実践する販促プランは、傾聴に値すると思われるので、以下に概略を紹介したい。

 ドン・キホーテの旗艦店の一つ、新宿東口本店では、新宿周辺に宿泊する中国人訪日旅行者への来店キャンペーンの一環として、新宿のエリアマップを作成し、エリア内のB級グルメ店へ呼びかけを行い、このマップを持って来店する中国人旅行者へ特典を提供することを依頼した。一般的に、東京は旅程の最後になるため、買い物をするニーズが高い。夜も寝る時間を惜しんで(旅程外の自由行動はご法度ではあるが)、夜中に食事とショッピングを楽しむ需要が大きいと判断し、需要に基づいたエリアマップを作成した。

 ドン・キホーテは、このエリアマップと、店舗で使える個人客用の優待カードをセットにして、ホテルのフロントで中国人旅行者に配布した。優待カードは、旅行者が来店すると特典が受けられるだけでなく、旅行者が購入した金額に応じて、カードを配布したホテルへも恩恵が用意されている。シンプルな仕掛けではあるが、ドン・キホーテ、宿泊施設、B級グルメ店、旅行者の全員に何らかのメリットがあり、この結果、ドン・キホーテは売り上げを大幅に伸ばした、という結果となった。

 中国人訪日旅行者が生み出すビジネスチャンスの攻略法は、市場の構造と需要を研究した上で取り組むことが鉄則、ということを再認識する事例ではなかろうか。

岩下智之(いわした・ともゆき)

株式会社トラベルジャーナル 広報戦略室長

1993年から01年まで、フランス・パリを拠点に旅行業界誌「週刊トラベルジャーナル」のヨーロッパ特派員として欧州事務所を運営。01年に帰国後、トラベルジャーナル本社マーケティング部企画営業配属。09年広報戦略室発足と同時に現職。トラベルジャーナルでは、訪日観光産業におけるボーダレスな産業情報の配信を実現すべく、韓国と台湾の現地観光産業業界誌(紙)と業務提携し、アジア観光産業業界誌(紙)連盟(Media Alliance of the Tourism Industry in Asia / MATIA)を発足。同連盟の合同企画の第一弾として6月19日に「ビジネスチャンスを逃すな!訪日観光市場の攻略法(韓国・台湾編)」を開催する。詳細はURL(http://www.tjnet.co.jp/item/4925)参照。